ふだん、仕事で移動する時は、できれば「どこでもドア」の力を借りたいと思っているが、私にはドラえもんのような素敵な友人がいないので、大阪-東京間の移動はもっぱら飛行機である。トータル時間は新幹線と変わらないが、「乗り物」に乗っているのに、ほとんど移動している体感のない、ある意味不自由な時間をなるだけ短くしたいのだ。(ちなみに、飛行機には高速移動しているんだ、という体感が少しだけあるので、「不自由感」が低い)。
この週末、日本デザイン学会に出席するため、上田市に赴くことになり、「どこでもドア」の次に早い移動手段を探すものの、大阪-信州間は現在飛行機が飛んでいない。飛行機を使って東京経由で行くのは、日本からヨーロッパに行くために、日付変更線を超え、アメリカ大陸の上を飛んで行く気分だし、仕方ないので、片道5時間電車の旅と割り切ることにした。
ルートは大阪から名古屋・岐阜経由、長野。長野で乗り換え、上田まで。 帰りは上田から逆ルートで、名古屋からは名阪特急。
往路、夕刻の車窓から山と、田植えを終えて1ヶ月ほどかと思われる青々した田圃の風景を見ていると、仕事からの帰宅途中であろうスーツ姿の男性が、バイクを停めて木陰に座り、携帯を見ながら(おそらく)缶コーヒーを飲んでいる。周囲には会社らしい建物も人が住んでいそうな家もない。あるのは緑の山と、緑の田圃。大阪なら、一杯飲み屋か、電車のホームで缶チューハイだろうが、ここでは木陰で缶コーヒー。周囲には人っ子1人いない夕刻の木陰、湿気と埃とお線香のにおいが漂う伝耕分室からの帰り道にはない爽やかな風が吹いているように思うのは、単なる妄想だろうか? 彼はそこに座って何を思うのか、電車のホームで缶チューハイのおじさんと、2人で話しているのを聞いてみたい。
復路、夕刻に上田で「お蕎麦は食べて帰らないとね」と、学会にご一緒した方が、遅めの昼食(早めの夕食)に付き合ってくださったにも関わらず、上田駅の売店を通りかかった時、5時間の旅程を想像すると、鉄道の旅にはつきものの「儀式の駅弁」がないとやってられんと思い、根曲がり竹の駅弁と、お供のワンカップ真澄を購入して、列車に乗り込んだ。往路の不思議光景に心奪われていたので、しばし車窓に釘付けだったが、風光明媚なばかりで不思議光景には会えず、次第に闇に包まれて車窓からの景色がなくなったので、「そろそろ」と、お弁当を広げた。といってもお腹は空いていないので、ちょこちょこ、ちびちび。
ちびちびやっていたワンカップの内側に目を向けると、なにやら書かれている。よく見ると、長野の主要都市の標高が書かれている。が、真澄(日本酒)が入っている部分は文字が見えない。ワンカップをくるっと回してみても、私が滞在した上田市の標高記載はない。そおっとカップを傾けると、まだ、真澄の入っている部分は文字が見えず、飲んでしまった部分だけ文字が見えるような仕掛けになっている。ちびちびやるたびに、次第に長野の全貌が明らかになっていき、飲み干すと、「真澄富士見蔵 日本一標高の高い酒蔵」の記載が登場。根曲がり竹、味噌、杏と、駅弁に詰め込まれた長野名物をつまみながら、ちびちび飲むワンカップ真澄。日本酒の味を楽しむだけでなく、長野について目一杯、思いを馳せる楽しい車中に早がわり。

この楽しさ、5時間の車中でなければ、私はほとんど気づかんな。っていうか、5時間の車中以外でワンカップを手にすることもないなぁ。おっと、そういえば、初ワンカップ、これでまた「七十五日、寿命が延びた」かな・・・。
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