桂離宮を訪れた。前回は冬に訪問、今回は新しい緑の季節の訪問となった。
離宮の細部にある小さき意匠の数々に
「あ、これ家にも欲しい」とか「かわいい」と下世話にうっとりしつつ、
宮内庁職員の方の説明とともに1時間の離宮内ツアー。
「この離宮はお庭全体がすぐには見渡せないようになっており、
点在する茶室に移動した時に初めて見える光景を楽しめるようになっています。」
「この茶室の待合い前にある飛び石は切石と自然石を組み合わせることで、
切石ではこれから案内される茶室に続く緊張感を盛り上げつつ、
自然石ではくつろいでほしい気持ちを表現しています」
「軌道の低い夏の月が、手水鉢にはった水にうつりこむのを楽しめるように、
石が配されています」
当時は珍しかったらしい蘇鉄、山を模した頂にある茶室前の躑躅を見つつ、
洋服姿の私には歩幅の小さい飛び石にリズムを合わせて歩いていると、
なにやら妙な気分になってきた。
次は何に出会うだろうとどきどきしながら歩くこの感じ、
しつらえにいちいち感心しながら過ごすこの一瞬、
USJやディズニーランドに似てる。
月を愛でる、四季を感じる目的で、
実際の自然風景とは明らかに違うが、
自然を模して完全につくりこまれたミクロコスモス。
USJで出会うのは、映画の世界とは明らかに違うが、
ジュラシックパークを模してつくりこまれたミクロコスモス。
やっぱり同じかしら?
ただ、USJでジョーズや恐竜が登場しない日は、おそらくない。
が、この離宮ではどんなに月を愛でようとつくりこんでいても、
雨が降って月が出ない日もある。 仕方ない。
いや、ワンダーランド桂離宮では
「出会えない」ことさえミクロコスモスに埋め込むことが
月に出会えた時間を濃くする演出に違いない。
織り込みずみもいいけれど、「その先予測不可能」が
ワンダーランドだと、近頃思うのである。
数十年も生きる経験を積むと、予測可能な自分の感覚に飽きてくる。
「その先予測不可能」を求める私は、
自分一人では成長できなくなった年寄りということだな、きっと。
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