2010年3月アーカイブ

引っ越しの万年青(おもと)

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伝耕の逢坂分室に荷入れの際のハナシ。

私の数少ない引っ越し経験の際は、偏重的合理主義、かつ、全般的縁起担ぎの祖母が、「これ、荷物より前に、お家にいれてね」と鉢植えの万年青を毎回用意してくれていた。その意味なぞ考えたこともなく、ただそうするもんだと思って、そうしてきた。丈夫で日陰でも根付き、いつでも青い(万年青)ゆえ、縁起物らしい。逢坂分室へ運ぶ荷物を車に積みこんだ後、このまま荷物を入れると気持が悪いので、万年青を初めてお店で購入して逢坂分室へ。「残雪」という名の万年青、2500円也。これですっきり。

社会学者のマートンという人が、「予言の自己成就」という概念について言及している。

「予言されること(実現する前に、言語化すること)によって予言された事態が現実のものになるという社会的メカニズムのこと」で、日本の文脈でいうと、言霊とちょっと似ている。予言されたことばを真実だと認識し、その予言に基づいて行動することで、現実のものになると。ことばという明確な形にして目標と認識することで、目標に向かう次なる具体的な行動へ結びつきやすいということだろうか。

まぁ、それはさておき、これまで同様、万年青を最初に入れたので、万年、青色で元気でいられるに違いない(と、疑いなく信じている)。

ちなみに、京都の修学院から芦屋、天王寺への移動の一日、西道は予言の自己成就を試みるべく、ぶつぶつと、呪文を唱えておりました。言霊、言霊。

 

田舎の「春ハンター」

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桜を追いかけて、「ついつい東奔西走」とブログに書いてみたけれど、振り返ると、どうやら「桜」だけではない。

3月28日は母の誕生日。去年はとりがい、今年はたけのこ、素材の調達係が私の仕事。

こちらも東奔西走だが、母の誕生日にかこつけて、実は私が遊んでいる・・・。

たけのこ掘りは重労働なので、朝一に車を10分ほど走らせて、産直でたけのこハント。

収穫その1.JPG

いったん帰宅して、今度は歩いて畦まで出かけ、土筆ハント。

収穫その2.JPG

たけのこは、ふきと一緒にちらし寿司、焼きたけのこに化けて、胃におさまった。

土筆にまでは到達せず、卵とじになる日までスタンバイ。

朝、目覚めて最初にはさみ虫に挨拶する日があることや、白い壁にくつわ虫の動く飾りが突然出没するのをガマンすれば、田舎も悪くはないが、それにしても、田舎の春、顔がぶつぶつにならないことを祈るのみである。

春をつかまえる

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季節は向こうからやってくるもので、雨乞いしようと太陽乞いしようとどこ吹く風でやってくるからこそ、待つことに楽しみがあると思うが、春だけは待ち遠しくて、つかまえに行くこともある。単に寒いのが苦手で冬が嫌いだから待ち遠しいって話もあるが・・・。

和歌山の春は奈良や大阪より早く、関西ではお水取りにつづき、和歌山にある紀三井寺の開花宣言が桜季節のファンファーレ。季節を分ける日に、ござ持参、堺で穴子寿司を仕入れて桜とお昼寝スポットの和歌山城へずずいっと南下。

和歌山さくら2.JPG

ただ、「桜という花が咲く」というだけなのに、木蓮の白とレンギョウの黄色が目につき始めると、次はピンク色かと毎年そわそわ。

和歌山で季節を分ける日につかまえたピンク色の春、今年はどの位長く感じていられるだろう。

和歌山さくら1.JPG

お昼寝しながら眺める和歌山の染井吉野は、まだこの程度。まだまだ咲かない枝もたくさんあるから、しばらくは大丈夫そう。

和歌山から京都へ、染井吉野から枝垂れ桜へ、桜を追いかけて、この季節はそわそわそわそわ、心をなくして忙しくなる・・・。って本末転倒?

南蛮七宝

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1週間遅れのホワイトデーにいただいたチョコレートの表面に載っていた唐長の「南蛮七宝」という文様。

南蛮七宝.JPG

以前、「唐長文様がチョコレートに」という記事を見た際は、「いやいや、チョコレートはないでしょ」とひとりごちていましたが、ちと反省。

チョコレートに唐長さんの美しい文様が載っていて素敵、ということもあるとは思うけれど、デザインとしてのこの柄は私の好みではない(ごめんなさい、単なる好みです)。 好みではないけれど「この文様は何かしら」と封入されていた小冊子を見ると、江戸時代の更紗からヒントを得、「延々と良いことがつながる」意味を込めて唐長11代目が文様にしたものらしい。 耽美的な鑑賞も悪くはないが、人と人の間で使われることで役割を果たすデザインも素敵。

「メッセージ不得手さん」からの静かなメッセージは、うれしいものですな。贈り主が南蛮七宝文様の意味を知ってたかどうかは知りませんけど・・・。

言い訳フレーズ

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先日打ち合わせの際に、おやつのお団子を持参した。さて打ち合わせ開始、というタイミングで、お団子を置いた場所から打ち合わせテーブルに向かって歩いてくる大先輩に向かって「あ、お団子とっていただけます?」とついうっかり。「しまった」と思ってもあとのまつり。こういう時は「立ってるもんは、親でも使え、です」と付け加える。

この手の言い訳フレーズ、いくつかあって、食事の後すぐにソファに横になって、お行儀悪いと叱られたら、「親が死んでも食やすみ」。 出がけの洋服に糸のほつれがあって服を着たままはさみを使う時、洋服着たままはさみを使うなんて危ないなぁと心配気に見られたら、「脱いだ脱いだ脱~い~だ」

自分で言うこともあるけれど、人から言ってもらうこともある。たとえば先のお団子の場合。私の「お団子とっていただけます?」のことばに、大先輩が「え、なんで大先輩の俺さまがとらんあかんねん?」と気まずい空気が流れたとする。その時、そこにいる第三者がその空気を察して「立ってるもんは親でも使えっていうでしょ」と一言付け加えてくれたとする。すると、大先輩の度量にもよるが、「まあ、この場は大先輩の俺さまがとる方が合理的かな。大先輩っていう前提つきだし」と思ってもらえる。

この言い訳フレーズ、ルールや習慣にほんの少し相容れないことをして気まずい空気が流れた時に空気をただせる便利なことばと勝手に認識。

うっかり手を滑らせてしまいグラスを割った。「落語だったら『グラスが2つになった』、だけど、さすがに使えんなぁ」と考えつつ、ショックループに入りかけた私に、母の一言。「いいやん、新しくなって」、サンキュ、母上。

お雛さん

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10数年前に祖母の家から引っ越していらしたわが家のお雛さん、今年も数日前から旧暦の雛祭りまでの1ヶ月のお目みえである。

母が生まれて以来(戦中?)、母の五人姉妹と、私たち二人姉妹と従姉妹の相手をしてくれたお雛さん、ちょっとお疲れ気味、そして扇もどこかにお忘れではあるが、まだまだ健在。この表情・装束に慣れ親しんできたので、他のお雛さんにはなかなか目がいかない。

お雛さん.JPG

子どもの時は、祖母宅の2階にて従姉妹と姉と三人、お雛さんには雛壇を段々と降りていただき、「お雛さん役」を取り合いながら創作宮中絵巻を繰り広げてさんざん妄想にふけったあと、お道具のお重(超ミニサイズ)に無理矢理ちらし寿司を詰めてもらって食べるのがおきまりだった。で、夜は雛壇から人形が降りてくるのを見たくて、真っ暗な部屋で目をこらしたり・・・(灯りをつけると人形がさぁっと雛壇に戻り整列するって信じてたので。)

雛祭りは、ひとがたを流して無事息災を願う節句と、子どもが人形で遊ぶ「ひいなあそび」が一緒になって今の形に発展したらしいが、最近見かけるお雛さん、美しすぎて創作人形劇のお相手をしていただくのはちょっと気がひけるなぁ。 って、さすがに私はもうしないけどね。

「意味こめ、用意!」

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かつて造り酒屋さんだった町屋の中を見せてもらった。

お酒をつくるための井戸水も、町屋を守る防火の仕組みも、お客さまをもてなす客間の舞台も、興味深くはあるけれど、素通りできなかったのは、1階の奥座敷にあった床柱の「竹の子」(見えるかな?)。

床柱竹の子.JPG

赤松を1本使った床柱、このお家では床柱の一番下を、ナイフで削って、「竹の子」に見立ててある。商家でなければ、床柱に刃を入れるなんてあまりない、と思うが、ここはあえて刃を入れて「竹の子」。さらに、床柱の左手上には「9つの節のついた竹」が横に施されている。数字の「9」は一の位でいちばん大きい数字の見立て。竹の子が大きくなって、大きな数字に届きますように、転じて、商売繁盛を願う気持を表しているらしい。

社長室にある社是・社訓みたいなものだろうが、おそるべし商家の魂。こんなところにも「呪い」をかけて(失礼、意味をこめて)いるのかと感心しつつ、伝紋とも似てるなぁと。

というわけで、「意味こめ、用意!」。twitterのプロフィール、伝紋にしてみました。小さな1滴をたらすことで大きな波の動きを少しだけかえられたらと。

意味込める 時は楽しと あちこちに 知らんぞ後の 右往左往