2009年10月アーカイブ

理科年表の時間軸

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最近、大阪でタクシーに乗ると、運転手さんに話しかけられるようになった(そういう年齢になったってことかしら?)。 運転手さんの話には当たり外れがあって、正直面倒だと思う時も多い。先日の運転手さんの話は、乗るなり「久しぶりに台風来るみたいやし、地震もあちこちで起こっているなぁ」で始まった。よくある不安煽り四方山バナシの「外れ」かと思いきや、なかなかの「当たり」。

話し始めは「振り」で、本題は愛読書「理科年表」のこと。 おじさんは理科年表を愛読しており、地震や台風が地域別にどの間隔で発生しているかかを年表を見ながら眺めるのが好きらしい。長い年表を一覧にして眺めると、被害をもたらす台風や近々起こると言われる南海地震などの自然災害が起きる歴史上の点が、自分が生きている間に書き入れられたとしても・書き入れられなかったとしても、フシギではないように感じると。ただ、自分の身の上に降りかかってくることを考えると、色々とあたふたする気持ちも分かるねんなぁと、だから時々理科年表を眺めて、時間軸をずらしてみる。 「実際、しゃあないねんけど、見るの好きやねん」。

理科年表と災害についてのおじさんの話を聞いて、神戸の地震まつわるあれやこれやを思い出した。

室戸台風や伊勢湾台風などの記憶が鮮明だった頃は重い瓦屋根の家がもてはやされた(らしい)が、神戸の地震で瓦屋根の住宅が多数倒壊したために、軽量瓦やスレート葺きの住宅がもてはやされた。また、建物自体が倒れないように、木の柱を土台に接合金具によってつなぐ工法がマスコミで大きく取り上げられたりしていたっけ。かくいうわが家も、造りつけの家具以外は家具の側面に天井から床まで届く長い2枚の添え木が施され、今もぶさいくな状態で「仮造りつけ家具」として鎮座している。地震直後はその効果のほどをいぶかしく思いつつも、激しい揺れを体験した友人たちの経験談を聞く機会も多く、「やることやった感」があったと記憶しているが、今となっては何ともぶさいくな姿、と思うばかりなりで・・・。

確か、地震からしばらく経った頃に、重い瓦屋根もそれ自体が問題ではなく、全体の壁面積が小さい住宅で重い瓦屋根を載せた筋交いなし・開口部(窓)の大きな建物にすることで耐震性が損なわれると聞いた記憶がある。土台と柱をつなぐ接合部も単につなげばよいというものではなく、柱となる木材とつなぎ目となる金属および土台の寿命と性質をいかに組み合わせるかが重要だとの話を聞いた。 時間の流れが必要な手当の受け入れ態勢を変える。 

その時々で生じる問題に「肌ざわり」を感じて対処しようとすると、時間軸を伸縮してものを見ることを、瞬間的に忘れてしまう。

神戸の地震を経験した友人に理科年表の話をしたら、車を揺らして「この位、揺れた」と揺れの「肌ざわり」を体感させてくれた、コワイ。

「やることやった感」のために必要な感情的手当もある、子育ての間、狭小住宅の多いなかで窓が大きく太陽光が差し込む安全な家をリーズナブルに手に入れるための手当もある、そして何代にも渡り受け継いで欲しいと願う建造物を建てるための手当もあるなぁ(そういえば私の住む奈良には、おそらく起きたであろう大きな地震や暴風にも耐え1300年そびえ立つ法隆寺の五重塔があるではないか)。 おじさんの理科年表の時間軸の代わりに、この次元の異なる話を、シロウトで、かつ、場の「肌ざわり」に弱い私に、わかりやすく説明してくれる「専門家」希望します! 住宅建てる予定はないですけれど。 せめて肌ざわりを忘れた時に、「ぶさいくやなぁ」と思う家具を残さないためにも。