ヨーロッパかぶれ

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2015年の世の中に照らすと、笑ってしまうほど、ヨーロッパ偏愛家庭で育ったと思う。

高度成長期、まっただ中にプレイヤーの中心だった両親ですが、なぜかアメリカではなく、ヨーロッパ好き。

ただ、ヨーロッパ偏愛を、そのままをストレートに踏襲するなと、両親だけではなく、両親に連なる色々な方の無言の圧力は甚大で。まあ、おかげで偏屈な今の私ができたとも言えるけれど。

世の節目、先人たちに、たくさん聞いてみたいことがあるなと思いつつ、色々なことを教えてくれた先人は今は亡き人も多く、未だコミュニケーション可能な父との会話は、病室で交わす視線だけになりました。

なんだか、そういうフェーズらしく。

というわけで、がんばるでー。

三つ葉って添え物という認識しかなかったけれど、今日の三つ葉は骨太。

香りも味も食感も、「私、三つ葉ですけれど、何か?」と主張が激しい。

お吸い物とか、茶碗蒸しとか、かき揚げの彩りとか、

せいぜい余ったささみと和える程度と思っていたけれど、

これなら炒めものも可能です。

というわけで、本日は山葵の皮とオリーブオイルと塩炒め。

でも、これって、世間的には「とうがたっている」と表現されるのですよね。

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大往生

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90を過ぎれば、訃報はある種のお祝いごとかもしれないけれど、

一つの時代の終わりを感じさせて、お祝いできない気持ちにさせられる往生もある。

 

コーラとお肉と、何よりも鉄道模型をこよなく愛するおじさま。

お会いする機会は少なかったけれど、

振り返ると、自分の在りようを考える時には、いつも必ず登場する存在で、

何十年も前にいただいた野いちごの刺繍のハンカチを

使わずに大切にしまっていたことを思い出す。

 

おそらく、与えられた(押しつけられた)役割のなかで、

自分の興味・大切にしたいことを、シンプルに貫き通す気持ちと、

それを実現するための方略について一生懸命で、

それでいて、周りのことにも、一生懸命。

同時に、ワークとかライフとか、そんなカテゴリーわけに何の意味があるのかと、

周りの人に突きつけながら、ただシンプルに興味と大切にしたいことだけにまっしぐらな姿だけがよみがえる。

 

順番だから仕方がないけれど、それだけでは納得できない寂しさを感じる大往生。

映画を観る理由

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1日1作品と、読書マラソンならぬ映画マラソンをしていたのは、かれこれ15年ほど前。

その頃に比べると、観る映画の数は50分の1になった。

50分の1になった希少な映画の一つが、アクトオブキリング。

洗練された表現方法も、予想を裏切る驚きも何もないけれど、私にも起こりえるかもしれない「人の弱さ」に向き合う2時間の映画。

インドネシアで1960年代後半に起きた虐殺がテーマの映画。

廃校になった小学校でわずか2日間だけ上映された映画。

加害者が当時を思い出して心や身体に異様な変化を生じる映画。

平和な日曜の宵をかき乱す観客わずが6名の映画。

かき乱された気持ちを越えて、加害者にならないための少しの強さが欲しいと願う気持ちで見終える映画。

後味の悪さを抱えて言葉少ない夕食を余儀なくされる映画。

 

けれど、コレ、たぶん、良い映画と言うのだろうなぁと。

食べられる機会なく、捨て去られていたであろう「大根の実」。両手山盛りで100円也。

三度豆のような出で立ちとは裏腹に、食べると大根の辛みがぴりりと残る不思議なやつ。

本日は豚ばらと椎茸と一緒にオリーブオイルで炒めるだけの3分間クッキング。

ですが、1分追加して、ひげはとるべきですな、かたくて口に残ります(笑)。

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帰宅すると、「うちの子どもたち(うち、一人は私のこと)が帰ってこない」と父のことば。

「あれ、じゅん(うちの子ども)が帰ってきたよ」と伝えても

「あなたじゃない」の一点張り。

仕方がないので、半分相づち、半分無視を決め込んで、

自室に戻ると言い出すのを期待しながら夕食かたがた壊れた父の話相手。

父はしきりに話しかけてくるものの、内容的にはほぼ頓珍漢、

つけっぱなしのTVからは引退の線引きに苦悩する宮崎駿のプロフェッショナル仕事の流儀。

10日ほど前は「顔を忘れちゃうと困るから、明日起きたら写真撮影ね」と言われたことを思いだしつつ、

何ともシュールな満月の夜。

夏休みのお楽しみ

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この時期恒例のお楽しみの一つ、NHKラジオで放送される子ども科学相談。

「らじるらじる」なるネットで放送を聴けるようになって以来、

車で移動中でなくても聴けるようになり、なお身近な存在になりました。

今年もいろいろ勉強させていただいておりますが、心に残った話題を二つ。

「どんぐりの種類は何種類あるの?」という4歳児の質問に、

先生は「イベリコ豚って知ってる?」とおそらく話を広げようとした模様。

きっと続く会話は「イベリコ豚はどんぐりばっかり食べるんだよー、

そうするとお肉がおいしくなるんだよー」だったはず。

が、4歳児がイベリコ豚なんて知っているはずもなく、

代わりに「○○ちゃんの住んでいるところの近くにはおいしいお肉ってある?」との続く質問に、

4歳児は「うーん、何かなー」と悩んだ挙げ句に「あっ、焼き肉!」。

どんな知識を前提にするか、どの文脈にいることを想定して、相手に何を伝えるか、

大人にとっても日々の課題ではあるものの、原点に立ち戻って考えさせられる良いやりとり。

もう一つは放射能について。

「広島や長崎に放射能は残っているの?いつになったら福島の放射能はなくなるの?」

という小学生の質問。回答は「原爆投下から68年経った広島や長崎には、放射能の痕跡は0に等しい。

ただ福島から(線量の濃淡はあれど)放射能の影響がなくなるには160年以上の歳月が必要」らしい。

小学生に放射能問題を深く考えさせてしまった大人の責任に心が沈んだものの、

あまりにまっすぐな質問に心打たれて、力が沸いた。

悲劇の感情の共有と、進む事態への対処は別。わかりきった問題だけれど、

悲劇の感情を目前にすると立ちすくんでしまいがちになることを思い出させる、

これもまた原点に立ち戻って考えさせられる心にしみるやりとり。

サイン

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わずかだけれど、重要なサイン(兆候)を見逃してしまった

自分の鈍感さに打ちのめされる。

いつもと何かが違う、なんだろうコレ?いや、まさか・・・。

重要なサインだったのに、違和感は主張されず、

その状況に安堵して、少しばかり行き過ぎた日常だと思い続けて平穏な日々を送ったことを後悔する報せ。

サインは後から振り返った時にだけ認識されるのが常だからとのいいわけ。

専門家じゃないから仕方がないとのなぐさめ。

どれもこれも有り難く、けれど、ずっと昔からこれまで幾度となく繰り返されたはずのシーンにすぎず、

これもまた日常の延長線上にすぎないと。

ただ、報された結果だけが、日常からはかけ離れて。

ほめる

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落語の「子ほめ」という演目。

タダ酒にあずかろうと子どもをほめようとする男にまつわるストーリーである。

そういえば、子どもに向かって「かわいいねー」「かしこいね」「えらいねー」と声がけする機会や、

大人に向かっては「かわいらしいお子さんですね」と言う機会は多いけれど、

「あなた、かわいらしい(美しい)ですね」と言う機会は多くはなく、

逆に「あ、ほめられた」と思う機会は子どもの頃に比べるとずっと少なくなったなと思う。

(まぁ、ほめられた大人に成長していないという個体の問題は横に置くとして)

で、ここ数年、時々やる遊びを思い出した。「お互いに10個ほめてみる」という遊び。

コレ、くだらないと思いつつ、やってみると結構楽しいものである。

まとまって10個もほめられることは少ないし、ほめるところを10個探してみると、

相手のことについてあれこれ発見もある。たいてい、5つくらいまではすらすらすら・・・。

その後はうなりながら、「・・・鼻丸いよね」など、そもそも「ほめ」なのかどうかさえあやしい言葉が出ることも多くなる。

人間そう変化の激しいものではないし、相手が同じだと「ほめ」も、前に聞いたものと同じだったりする。

また、聞いていると、「いや、それは違うな」と思うような納得度の低いものも出てくるけれど、

10個もほめられると、なぜかさっきまでとは違う力が沸いてくる気がするからふしぎなものだ。

「ほめ」程度で何かが変わるほど、世の中簡単なものではないことくらい身にしみる年齢ではあるけれど、

ゆえに、このばかばかしいお遊び、結構楽しめます(笑)。

ロールモデルや準拠集団が自明でないからこその承認機能の重要性について話した後に、

ふと久しぶりに「ほめ遊び」やってみたくなった。

くどいけれど、「ほめ」がそのまま承認につながるなんて幻想にすぎないと思うからこその大人の遊びとして。

銭湯

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大学生の頃に住んでいた部屋の近くにある「船岡温泉」。

漆塗りの天井と豪華な欄間が自慢の温泉という名の銭湯である。

http://www.kyo1010.com/feature/funaoka/index.html

久方ぶりに船岡温泉に行ってみて驚いた。

かつての船岡温泉は一時的住人である学生の私が訪れるだけでも

「あんた誰?」という好奇の視線を免れることはできなかったが、

今はお客の半分が外国人。番台では銭湯英語が話されている。

「テルマエ・ロマエ」の世界なんて今は昔。

時折訪れる温泉で出会う日本人の方が、入浴マナーが悪いかも?

と思うくらい外国人の入浴マナーの良さには目を見張る。

もう1つの変化。

かつて通い慣れた京都の銭湯では、ロッカーを無視して

脱衣かごを床に放置もしくは扉なしの棚に置いておくのがデフォルト。

今の船岡温泉では脱衣かごを鍵付きロッカーにしまうのが当たり前。

ご近所さんだけが使う銭湯から、色んな人が通う銭湯に変貌した証なのか。

各地で姿を消す銭湯のことを思うと、多方面からの集客を得て存続する船岡温泉に、

身近にアクセスできる社会資源存続の形を夢見るのは、新年ならではの楽観的な幻か。

最近のコメント

  • 吉田純子: 「ウキウキ」コメントありがとうございます! 頭のなかで妄想するのも楽しいですけれど、 時には体感してみるのも楽しいですよね。 さらなる妄想のために(笑)、ね。 続きを読む
  • green_mouse [livedoor.com]: わかります! ウキウキしますよね! 私も、少々の雨で、家に帰る時は、 傘、差しません。 そいえば、ヨーロッパの方々は、あまり傘を差さない方々だと いつかテレビで見た記憶が。 私もできれば、夕立の中で、やってみたいです! 続きを読む
  • 吉田純子: ぜひぜひ。 オリジナルレシピに仕立てて、また私にも教えてくださいませ! 続きを読む
  • green_mouse [livedoor.com]: レシピ、ありがとうございます!! おいしそう(^^) 今年の夏は、試してみます! 続きを読む
  • 吉田純子: 公表するほどのレシピでないので恥ずかしい限りですが、せっかくなので。 甘みを控えた、ちょっと柔らかめの卵液をつくり、そこに湯むきしてサイコロ状にカットしたトマト入れて蒸し、冷蔵庫で冷やすだけです(笑)。 出汁やトマトの味は好みですが、私は昆布とかつおで濃いめの出汁をとり、少しだけまったり味の薄口しょうゆのみで味をつけ、フルーツトマトを使いました。いつもの卵液は、卵と出汁を足して1カップの割合ですが、卵1個に対して1カップの出汁でつくりました。 冷たい舌触りだけだったらお許しくださいませ。 続きを読む
  • green_mouse [livedoor.com]: トマトの茶わん蒸し。 想像ができないので、ぜひ、レシピを公表お願いします。 関西は、暑いのですね! これからがもっと暑いむしむし!体調気をつけてください! レシピください(^^) 続きを読む
  • 吉田純子: コメントありがとうございます! 落語の登場人物のごとく単なる「つまらん奴」ですが、小さくて笑えるいたずらはなかなかやめられません、もうすぐ不惑なのに・・・。 続きを読む
  • green_mouse [livedoor.com]: エイプリルフールができる 友人関係があるのは、とてもよいことですね~。 来年は、私も参加させていただこうかしら(笑) ちなみに、私は記憶にある限り1度も仕掛けたことがありません。 基本おもしろい人間だと思っていたんだけどなぁ・・。 続きを読む
  • 吉田純子: 「お雛さん」のことば、お褒めいただいてとってもうれしいです。お社付のお雛様、ぜひ拝見してみたい! 同じだろうなぁと思っていても、色々聞いてみないとわからないこと、多くて楽しいです! 続きを読む
  • https://me.yahoo.co.jp/a/fC3bNBVvUIYkHdTCR5VQIpII_Yw-#bbee7: 初めてコメントさせていただきます。 タイトルの「お雛さん」って言い方、すごく素敵です。 東京の人間は「お雛様」って。 遠い人に感じますが、「お雛さん」ってほんと 身近な自分のものって感じがしますね。 私の実家のお雛様は、なんと雛段ではなく、 神社のような社付きのお雛様なのです。 雛段を飾るだけでなく、お社を組み立てなければならなくて いまでは、もうさっぱりです。 続きを読む

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