年末(2016)に思うこと:「即興力について」

仕事納め直前の二日間、「株式会社伝耕」の社屋である「黄色い家」の二階で「特定非営利活動法人(NPO)楽しく伝える・キャリアをつくるネットワーク」社会教育部主催の「こどもインプロ・ワークショップ」を開催。ちなみに、インプロビゼーションとは即興演劇のこと。そのインプロを小中学生対象に英語で行う試みで、今春実施し好評にて継続2回目。

 

「黄色い家」はなんせ「昭和感あふれた木造」ゆえ、二階の様子は一階で仕事をしていても手に取るようにわかる。今回は英語落語の先生をお招きした新しい趣向で、英語と言いつつも途中イタリア語や韓国語も飛び出し、「ここはどこ?」という非日常感に包まれる。

 

落語のテクニックを使い、感情や状況を観客に伝えるための発声・話し方・身振り手振りを先生が全身でまずは表現。コミカルな表現に笑い声が弾ける。そして、大いに楽しんだ観客側の子供たちは一転、演者になることを求められる。

 

全員のとまどい、そしてそれを突き破る勇気、強烈な「恥ずかしさ」を乗り越えやってみた爽快感、うまくできたときの達成感、失敗と思ってもその場でやり直してリカバリー。空気が縮んだり、膨らんだり、凍り付いたり、あったまったり。

 

普段は静かな二階に新しい気流が生まれてはかき混ぜられることの繰り返し。

 

子供たちが去った後も「元気なケモノのにおいと湿気」が充満し、最近、何を塗っても体中がかさかさしてしまうわたしは、思わず大きく深呼吸してみたのである。

 

ケモノの空気を深呼吸しながら考えた。

 

「即興」とは「新陳代謝」みたいなもんじゃないか。大きなスケールではなくて、ごく小さい単位で古い組織をどんどん壊して新しいものに作り替える。人間の身体はよくできていて、何にも言わなくても命が続く限り、なにがしかの「新陳代謝」が行われている。逆に言えば、一切「新陳代謝」が行われていないということは、死んでいる、ということだ。

 

「即興」でコミュニケーションするという作業は自分が無意識に行っているコミュニケーションのありようをいったん学びほどき(Unlearn)、もやっとほどかれてしまったものを別の形で発信してみること。まさに無理くりなコミュニケーションの新陳代謝である。

 

どんな声が出るか、どんな節回しになるか、どんなアクションになるか、やってみるまでは自分でもわからない。その自他ともに評価の定まっていないものを衆人環視のもとで披露するとは、大変なプレッシャーである。

 

さて。

 

来年は、激動の時代の幕開け、らしい。「変化に対応する」ことなしに、やっていけない時代が本格的に始まるってさ。いや、ひとごとではない。「変化に対してストレスを最小に対応する」には、即興力を高めておくことが重要だ・・・。などと、さらに評論家みたいなことを言っている場合ではない。未来を生き抜くには子供だけでなくて、これまでのやり方に凝り固まった大人だって、・・・つまりわたしだって、即興力を高める必要がある。二階の子どもたちではなく、むしろ凝り固まったわたしにこそ即興力が欠けているのだから。だって、年を追うごとに心身共に新陳代謝が落ちてるからね。

 

いつものパタン、つまり自分の中で型が決まっていて、ああすればこうなるという評価も決まっていて、ついでにビジネスの文脈で言えば、それに対するチャージも決まっている。変化に対応するとは、この、いつものパタンを破ること。そして、変化への対応の「いの一」は、必ず「即興」になる。

 

しかし、即興であってもアクションを起こす前には、一瞬の間があるわけで、その間で形にして結果を出す力を「即興力」と呼ぶ。

 

もう少し別の言い方をすると、「即興力とは、瞬時の構成力」。そして瞬時の構成力は、その時・その場での次のような行動の連鎖を経た合力によって生まれる。

 

  • 瞬時に何らかのリソースを認識し、②瞬時に何らかのリソースを選択し、③瞬時に選択したリソースを自分なりに組みあわせて結果を出す力

 

たとえば人事評価におけるコンピテンシー評価項目には、すでにもちろん「変化に挑戦する力」の類は含まれているだろう。しかし、組織レベルではその挑戦する力を発揮する時間軸はぼんやりしたものであり、日々のアクションに連なる「瞬時の構成力」、つまり「即興力」といったスキルにまでには言及されないと思われる。

 

一方、生き残りをかけた個人レベルから見ると、この「即興力」のスキルの重要性に気づき、磨きをかけることは重要だと思う。これを意識して日々行動することは変化に対応する力をはぐくみ、結果、生き残りを左右する気がする。優れたリーダーは判断も早い、という評価が少なくないことにも関連がありそうだ。

 

もちろんAIも「ある一定のルールに則り」瞬時にリソースを分析することによって対象を認識し、要素を選択し、組み合わせることには長けており、さらに「瞬時」の時間的な短さに対しては人間ごときが立ち向かえるものではない。上述した行動の連鎖で「何らかの・何らかの・自分なりに」と強調したのは訳がある。AIの処理時間に比べらればはるかに長い人間時間の「瞬間」の間でも、「ルールを作っては壊すサイクルの中で、わたしらしさ、あなたらしさの志向を反映させた今ここに立ち上ったルールに則り」、その時々で無限にあるリソースの中から何を認識し、選択するのか(「何らかの」視点)、それらを、どう組みあわせるか(「自分なりに」という独自性)、というチャレンジ、究極の試行錯誤=つまりインプロ的時間を積み重ねることができれば、楽しくしたたかに生き残れると思う。そして、あげくの果てはAIからリスペクト?(その逆に抹消はされないだろうね、まさか)までされてしまい、もしかしたら人類の尊厳を守る存在にもなれるかもしれない。

 

ともかくもまあ、即興力を磨くことなんて、きっとたいして難しくない、と言い聞かせてみよう。これって、猿から変化するプロセスの中で、猛獣に喰われないように我々の祖先がやってきたこととおんなじで、わたしたち、その子孫だよね。

 

冒頭インプロに関連した小中学生の英語の話に戻ろう。文部科学省のホームページを見ると、いよいよ平成23年度より、新学習指導要領の全面実施に伴い、小学校において新学習指導要領が全面実施され、第5・第6学年で年間35単位時間の「外国語活動」が必修化される、と書かれている。

 

で、いったい何をするかというと、「外国語活動においては、音声を中心に外国語に慣れ親しませる活動を通じて、言語や文化について体験的に理解を深めるとともに、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成し、コミュニケーション能力の素地を養うことを目標として様々な活動を行います。」とある。

 

コミュニケーション能力の素地とは何ぞや?そもそもコミュニケーションは生きていくために必要なものなのだから、市井のおばちゃん経営者としては、英語でもなんでもいいから、外国語という日常にないツールを使って、即興力を鍛えることよね、という勝手な解釈をしてみる。

 

もちろん、そんな風に考えている人はあんまり多くなさそうだけど、そう信じているので、自分たちが生き残るためという打算を前提に、周囲の人々の即興力をはぐくむ活動を株式会社とNPOという2種類のチャネルを通して、まさに即興力を生かしながらブリコラージュしつつ、しつこくやっていきたいな、と思う*。

そのための小さな試みとして、今年、株式会社伝耕は、新しい仕事にチャレンジしながら、ちまちまと新陳代謝を図ってみた。

さて、来年はどうなるか。お楽しみ。

 

*今回の「こどもインプロ・ワークショップ」詳細ルポは年明けにNPO楽伝サイトhttp://rakuden-web.blogspot.jp/でご紹介する予定です。

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さてさて、もう今年も残りわずか。支えていただいてありがとうございました。

どうか良い年をお迎えくださいますよう。

 

毎年即興と化すおせちづくりは即興力の鍛錬、と言い聞かせながらつらつらと。

西道広美 拝