積極的諦観

ここ数年、ワタシ、ちょっとは大人になったんだろうかというチェックとして、

「苦手な人・嫌いな人リスト」というのを、頭の中に展開してみることにしている。

 

この1~2年、そのリストの人数が激減した。

その理由は、ワタシがいい人になったのではなく、

人間の限界=固着した態度はなかなか修整できない、ということを身を以て知ったからである。

 

人間としての基本的な態度が形成される青年期、誰もが主観的にパーフェクトと思える環境が与えられるはずもない。

主観的に何かが足りなくて、何かがゆがんでいて、何かが過多な刺激のある環境で大きくなる。

そこで、対処方法として、とあるスキルが突出して高くなるということと、ある態度が損なわれるということがおそらく同時に起こる。

 

きっと、ワタシもそうなのだ。

 

自分にとって、苦手・嫌いだった人に特有なのは、単にその人のスキルと態度の組合せが、

ワタシが力を発揮しやすい環境を「直接的に」形成しないことである。

 

この「直接的に」というところがミソで、

「直接的に」形成しない人であっても、ワタシにとって「間接的に」メリットがあるように組み替えることは可能である。

 

何も考えず、「直接的に」メリットがある人とだけ付き合うのではなく、

ワタシを殺しには来ないどんな人との間でも、

「間接的に」望ましい環境を創造することができるというコントロール感の元に考えて、行動する方が、

自分にとって最終的にメリットがある。

 

人には殺されないかもしれないが、自分自身は死に向かって進んでいく。

自信のあった集中力は落ちているし、肌はたるんでいるが、

せめて、どんなリソースもうまく組み替えて、人生ハッピーにした方がいい。

 

積極的諦観に基づく、リソース配置についてのパラダイムシフト。