2013年6月アーカイブ

ジャカランダの季節

もう3年にもなる。

2010年6月、乳がんの手術を終えて、伝耕黄色い家に行く道すがら、

一心寺境内に咲いたジャカランダの花を目にした一瞬、

そういえば、わたし、生きている、と思ったのだった。

 

ジャカランダブルーと言われるこの花の色は、梅雨のどんよりした中であきらかに精彩を放ち、

花のつけ方は、藤のようなさがり、ではなく、

鈍い曇天に向かって咲いているのがうれしかった。

 

そう、うれしかった。

「わたしは、誇り高く生きてみせるから」、という気概を感じて。

 

今日、わたしの年若い友人が、同じ病気の手術を経て、退院した。

わたしよりもずっとジャカランダが似合うひと。

 

いままでよりも、人生が美しくなる。

 

きっと、本質がすっと見えるから。

そして、迷いなく歩めるから。

 

ジャカランダの花で視界をいっぱいにして、ふっと、息を吸う。

寡黙な日

一昨日、昨日としゃべり過ぎたので、今日はほとんど声を発さずに一日が終わった。

あんまりしゃべり過ぎると口から脳が流れ出そうである。

意に沿わないおしゃべりばかりを押し付けられた日には、とうとうそれに耐えきれず

流れて出たきた何某は、どこまでも不機嫌な風情の汚物で、さらさらと流れて消えるでもなく、

ドロドロねちねち周囲を汚す。

 

さあ、寡黙な日をじっくり過ごして、あたまを自分の決めた枠組みできっちり固めるのだ。

衰退の中の仕事

すでに後退戦に入った私の仕事は、、とりあえず上昇志向に裏打ちされたOver specに基づくいたずらな精度追及ではなく、起こりうる事象についての経験的なパタン分析によって推測される望ましい精度の画定からはじまる。

と言えば聞こえはいいが、要するに無駄打ちに耐えられない状態であるが故の対処方略に過ぎない。

 

でも、無駄うちしなきゃ、と頑張る場合もある。

それは無駄うちしないと決めた後で、明らかに外れ値として目立ち、

その根拠を探ってみたときに、左脳右脳で目立ちの理由を納得してしまい、

結果、柄にもなく、外れ値に対して実際に頑張ってみた後、予想外の結果を得て、

無駄うちの意味を悟ったときである。

これが、たまに、ある。

 

そういうものについては、

今までよりもずっとずっと愉しんで、ずっとずっと大きなアウトプットを出したいと思っている。

「 」つき、「絶対」外れ値という対象。

 

こんなものにコミットすることは、わたしの新たな欲のかたち。

ボストン美術館展

昨日、会期終了間際、やっと行ってきた。

尾形光琳の松島図、なんとグラフィカルなんだろう。なんとアイコニックなんだろう。先鋭的ですらある。

最近高島屋の季節を彩るグラフィックデザイナー、キーやんが描いたと言っても区別がつかない人もいるかもしれない。

 

本質をつかむ力。本質を表現する力。

一方で、お金と時の権力に負けてそれを手放す文脈の脆弱さ。

戦争に負けたから、お金がないからといって、文化の誇りは手放してはならないのに。

 

美しい日本、というのなら、まだ、足元見られて出すお金の余裕があるのなら、

すべてを買い戻して、この国の力で完璧に保存し価値を発信してほしい。

暦の上での入梅

気象庁の梅雨入り宣言は1週間も前、全然雨が降らない日々が続いたが、暦の上で入梅の今日、ぱらっと雨が降った。

台風接近に伴う前線の影響かもしれないが、梅雨らしいどんよりした天を仰いでほっと一息。

 

今朝、曇天小雨の中、娘はうきうきと修学旅行に出かけて行った。

新しいこと満載の年代は、天気なんて関係ないんだ。

 

そういえば、母に20歳の時に買ってもらった赤い傘、今年の初めに、とある店に置き忘れた。

取りに戻ったが姿がなく、とうとう失くしてしまった。

30年間の月日よ、さようなら。

 

あと30年使うつもりで、上等な傘でも買おうか。

あたまのやすめ

昨日の夕方、あたまのなかがわんわんしてきたので、テレビ&PC&携帯遮断して、ひたすら音楽を聴き、緑を見ていたらあたまがだんだんすっきりしてきた。今日は調子がいい。いや、ほんとに、あたまがよわいのに、酷使してはならんのだ。ほどほどにしておかんとね。Take it easy!

土曜の朝

ま、いろいろなことが山積みのままだけれど、とりあえず、土曜の朝がやってきた。

体操をして、洗濯をして、掃除をして、たまった仕事の一部を片付けて、それで一日が終わってしまうだろうけれど、それでいいのだ。

自分のペースでコトを運べるなと夢想するこんなひとときが幸せ。