2012年5月アーカイブ

zeroから1へ

| コメント(0)

1から2よりも、、zeroから1への道のりは本当に遠く感じる。

1がどんな形をしているのかさえわからなくて、

もうこのままzeroのまま終わっちゃうんじゃないかと思う瞬間が何度か来る。

これは、自分でzeroから何かを立ち上げた人にはわかることだ。

 

最初はzeroにしか見えない自分たちの力が、

自分たちを支えていく、ごくごく基本的な1にすら到達しうるのか、なんてことにさえ、不信がよぎり、

それが過ぎたら、そのかけがえのない1を保持しながら、

次なる2を目指しうるのか、について不安が募る。

 

わたしは、まだ、zeroの近くにいる。

 

遅まきながら、

家事・育児を「すっごく、えらそー」に私の仕事としてカウントすることにした。

当たり前じゃないか、とおっしゃる向きもあると思うが、

これがなかなか難しかったのだよ。

 

私に限らず、

母親であり仕事を持っている女性は、実はあまり家事・育児のことをオープンに語らない傾向がある、と思う。

なぜか?

語っても評価されないだろうという見切りと、語ると「自分のできていなさ加減」に向き合う自己嫌悪感と、

さらに、その問題を問題として語りすぎると、

家事・育児ごときで忙殺されている=ある種無能の証と烙印を押されてしまう恐怖感もあるだろう。

 

また一方で、何らかの形でアウトソースしている場合は、

それはお金をかけてアウトソースしているのか、

はたまた実家のお母様などにお願いしているのか、によってかかる費用はピンキリで、

お願いするにしろ、雇うにしろ、そのマネージメントの方法はさまざま、になるから、あからさまに語るには微妙なトピック満載となる。

 

家事・育児のハンドリングは、①有能と無能、②お金かけるか、人持ち(お金じゃなくて手伝ってくれる社会資本がある人)か、等々 

心理的・経済的・社会的要因が絡んでそのマネージメントは複雑きわまりなく、意外とオープンに語れるものではない。

だから、何気にこなしているように見える人でも、それに至ったプロセスも含めると、

はっきり言っておこう。

 

大変なのだ。

 

家事・育児のモジュールのひとつひとつを丁寧にすると際限なく時間がかかり、仕事が出来なくなる。

手を抜きすぎると、日常生活に支障をきたして、生活ができなくなる。

 

この、「仕事が出来なくなる」ことと「生活ができなくなる」ことの両極端を行ったり来たりしながら、

日々過ごすありようをデータ化してみれば、

「どちらかというと仕事が出来なくなる程度の家事・育児時間」と

「どちらかというと生活ができなくなる程度の仕事時間」には結構ばらつきがあり、

平均値は中央値に近くとも、分散は結構高いと想定される。

 

さらに、育児のモジュールは成長によって変化する。

ちょっと大きくなっても学校関係の役員なんかが廻ってくると、

2週間を切ってからでも当たり前のように昼間の時間がブロックされる(もう予定決まってるっちゅうねん)。

「仕事をしています」というと逃げているようだから、その逃げ口上も頻繁に使うと問題があると思えば、

ムリして仕事の予定を変えてみたりする。

この手の活動には、中央値も平均値もない。

あるのは外れ値、である。

 

とにもかくにも、家事・育児・仕事を鼎立させようとすると、数々の振幅の大きい活動に身を委ねることになる。

振幅の大きな活動に対しては、その対応の定型化が難しいから、その場しのぎ、とか、その場限り、と思えるような対処も行う。

 

鼎立生活には、日々振ってくる振幅の大小のある課題に対して、内容把握力、対応の柔軟性などの問題解決能力が常に問われているのだ。

 

だからこそ、

何とかがんばって鼎立生活を成り立たせている働くママがビジネス面でも有能であることが少なくないのは当たり前である。

日々、「危機管理トレーニング」的な内容に充ち満ちているのだから。

 

さて、この種々様々な家事・育児の仕事を、それでもなんとか形におさめようと思うと、定型を作らねばならず、

その定型が、必要十分であるかの検討も求められる。

 

何もしない外野は、そういうことについて、モジュール化しろよ、な~んて簡単に言う。

ただ、アドバイスはくれても、モジュール化するまでに必要な、

バリューチェーンの網羅=「一つ一つの家事・育児項目を書き出して整理すること」の

お手伝いさえも簡単にコミットしてくれない可能性がある。

その作業を、仮に一緒にやってくれたとしても、

それをモジュール化するプロセスの中で、バリューチェーンが膨大かつ複雑すぎることに気づき、状況適応した方が得策ということになるか、

はたまた、大きなモジュールのチャンクが自分に降りかかってくる恐怖を感じて逃げ腰になり兼ねない。

 

さらに、問題の根を深くしているのは、家事・育児・仕事すべてを鼎立させた先輩ママが意外と現役に冷たいことである。

 

「私はもっと大変だったのよ」

 

この構図、誤解を恐れずに書けば、幼い頃にDVを受けて育った親が自分の子どもに愛情を注ぐことが難しくなるという傾向に似ている、と思う。

いや、もう一度誤解を恐れずに、と念押しして書くと、少し前の世代で家事・育児・仕事をサポートなしに鼎立させたママは、

日々DVに耐えているような面もあったろうと思う。

「今の方が、相対的に楽にはなった。それでも大変であることはわかるが、自分はもっと大変だった。」

という思いがどこかにあって、今のママを応援する暖かい手を心理的にも具体的にもさしのべにくい、という推測も成り立つ。

 

根深く興味深い問題満載である。

 

で、私は、 

 

じゃあ、「家事・育児・仕事の鼎立」を「マネージメント」視点で捉えるお手伝いを何かしなきゃ。

さらに、この「鼎立マネージメント」の有効性を世間にアピールして、きちんと評価してもらわなきゃ。

 

そうなってはじめて、パパも大手を振って、家事・育児活動に参加できるんだと思う。だって、ほら、テーマは家事・育児じゃなくて、

マネージメント、だからね。

 

と強く思うのである。

 

 (この4月に登記された「特定非営利活動法人 楽しく伝える・キャリアをつくるネットワーク」について、その活動の中身について

具体的にどうするか、思いを巡らせながら、一人IDEATIONとして。 )

フルスロットル

| コメント(0)

羽田から伊丹までのフライト、乗客も少なく、さて順調に出発と思いきや、コックピット計器の故障で遅延。

夕刻、大阪で訪問予定があるのに、まずいな~と思いつつ、致し方なし。

結局、2時半発の予定が3時15分に。

たかが50分のフライトだから遅れを取り戻しようがないな、と思いながら、うとうとしていたら、

なんだか、いつもより飛行速度が早い、ような。

低気圧乱気流の中もフルスロットルで、なかなか得難い飛行体感だった。

 

結局、伊丹到着は3時55分だったから、40分しかかかっていない。

やっぱり早かったのだ。

車で空港から大阪市内に入る。

17時のミーティングの予定で、受付到着が16時58分。

間に合った。

機長、ありがとう。

 

母の日に寄せて

| コメント(0)

慈しむ、というコトバは、自分が母親になってから、

その意味がなんとなくわかるようになった。

 

慈しむ、とは、単に育むことでなく、一方的に愛することでもなく、

励ますことでもない。

 

ことさらに何をせずとも、ただ相手を大切に思う気持ちで心をを一杯にして、

それを押しつけず、ただ、見つめ、寄り添い、相手を感じる。

 

ふと、慈しみの対象としての自分に気づくとき、人は心の平安を得る。

 

慈しみの対象で「ある」ことと対象で「あった」こと。 不思議なことに、慈しみの対象で「ある」ことは見過ごされ、

 

ふとした拍子に、自分が慈しみの対象で「あった」過去を覚醒し、

心の平安とともに、当時の未熟さを恥じるのであるが。

 

 

 

第三の視線.jpg 

背景としての緻密さ

| コメント(0) | トラックバック(0)

昔の仕事の報告書などを見ていると、

もうこのレベルの緻密な報告はムリだなと思うときがある。

 

一方で、その緻密さをそのまま表現するのではなく、

どこかをフォーカスして、切り取って、

どんな風に加工すれば、もしくはどんなやり方で訴えれば、

人々に伝わるのかということを重視しなきゃ意味がない、

と思えるようになった点では、

少し賢くなったのかもしれない。 

 

緻密さを前に出す必要はない。

本質をやさしく、楽しく、簡単に思えるように。

そのための背景が緻密さ。

緻密な背景はきっと、役に立ってくれるに違いないと信じて。

風薫る5月に

| コメント(0)

Vidal Sassoon氏の訃報を聞いた朝、ずいぶん前にお世話になった別の方の訃報も飛び込む。

同時に、その方が遺した会社の行く先に立ちこめる暗雲についても。

 

訃報の二人に共通するのは、ブランド、もしくは会社の創設者であること。

創設者は、次世代を含めた周囲の未来の芽をことごとく亡き者にできるレベルの力があったからこそ

創設者としての地位を守り得た、とも言える。

 

抜きん出るとは周りの力を骨抜きにすること。

苦労して抜きん出て、その地位を確保したら、

次はベースキャンプをこしらえて、

後進を育む存在へと変身しなければ、

せっかく抜きん出た存在そのものが続かない。

 

いや、これがなかなかできないんだな。

できないのか、本質的にそうしたくないのか、は微妙なところなんだけれど。

 

 

ワークショップという行間

| コメント(0)

講義や文書でなく、ワークショップがどうして必要なのか、ということについて、

これが答えてくれてるな、と思った良寛の漢詩の抜き書き。

いつかきちんと書かなくてはいけないことの備忘録として。

 

 

  言語常易出    言語は常に出(いだ)し易く
  理行易常虧    理行(りぎょう)は常に虧(き)け易く
  以斯言易出    斯(こ)の言の出し易きを以て
  逐彼行易虧    彼(か)の行の虧け易きを逐(お)う
  弥逐則弥虧    弥(いよい)よ逐えば則ち弥よ虧け
  弥出則弥非    弥よ出せば則ち弥よ非なり
  油救火聚弥    油をそそいで火聚(かじゆ)を救わんとす
  都是一場凝    都(すべ)て是れ一場の凝(きょう)のみ

できることの定義

| コメント(0)

何事もできることをやる、ということが基本だが、

できることをどう定義するかによって、

すべてが変わる。

 

できる、はちょっと先の未来を見越しているから、

今できていることの少し先、

それってなんだろう、と考える時期。

 

ひとつを終えれば次が

| コメント(0)

いい季節である。

一つが終わっても、次を考えたくなる陽気が続く。

 

不必要に振り返らない止まらない、腐らないでいれば、

何かが自分の傍らに新しく生まれているのに気づくはずだ。

 

ふと見ると、私の横に次の新しい何かが流れ着いている。

手に取るべし。

 

見上げれば、

大きな月がぽっかり。

 

「活躍」プロデュース

| コメント(0)

活躍している感じ、を自分でプロデュースできるのがSNSのすごいところである。

 

っていうのも、最近、「活躍してますね」ってよく言われるので、なんでだろうと思ったら、

それはブログやFBなんかの発信が多いから、みなさん、そう言って下さっているみたいなのだ。

 

いや、だから、発信しているだけだって。

 

発信が、報酬もしくは評価との合わせ技でないと可能じゃなかった頃は、

たしかに発信できていれば、活躍っていうことと近似されてるんだろうと推測すると、

それはつまり、「活躍とは、たくさんの報酬を払える・評価される地位および立場」のことらしいのよね。

 

わたしの場合、今のところ、どっちも違うような気がするんだけど。

 

ま、それはありがたい誤算として、

どうもSNSは、「活躍」状況について、

「時間と工夫」という投資をすれば、プロデュースできる道具だということは確からしく。

 

 

すばらしい一日

| コメント(0)

今日は近しい人が新しい命を世の中に届けてくれました。

FBでの出産前実況中継の後、ぴたっと静かな時が流れ、

出産しました、のポスティング、それに続くぴっかぴかの赤ちゃんのアップ。

電波と子宮と笑顔が違和感なくつながった数時間。

そんな時間をありがとう。

 

今日のigu伝にはたくさんの方々にお越しいただきました。

昨年のigu伝で、じっくりゆっくりずいぶん悩んで、ノギスの絵をお買いいただいた

お客様。絵を大切に思っていただいている気持ちがびしびし伝わってきました。

そんな時間をありがとう

 

昼過ぎには、お世話になっている弁護士さんがやってきてくれました。

能力の高さは当たり前だけれど、まだ若いのに、その包容力。

何するかわかんない、と言って、見張ってくれてます。

じっくり、ゆっくり見ていただきました。

そんな時間をありがとう。

 

夕方には若くて力のある女性がigu伝にやってきてくれました。

中国関連のビジネスにも携わり、

何でもありの国での奮闘。

話をお聞きしていてうれしくなりました。

そんな時間をありがとう。

 

夕闇、ここ数年お世話になっている若者たちがigu伝にやってきて、

凝視の後、近況をあれこれお話してくれました。

つじつまがあっているようであっていない、あっていないようで、やっぱりどこかでつながっている、

妙な私の話にも耳を傾けながら。

そんな時間をありがとう。

 

五月の、すばらしい一日をありがとう。

昼呑み

| コメント(0)

10連休をめいっぱい楽しんでいる古くからの友人がigu伝にわざわざやってきてくれ、

会場に行く前に、四天王寺にあるワインレストランで鹿肉なんぞをほおばりながら、

昼呑み、のひととき。

赤ワインは甘めのジンファンデル。

ジンファンデルと鹿肉を合わせたのははじめてだけど、べりー系のジャムっぽい味がするこのワイン。

確かに、鹿肉とばっちり。

○△×、○△×。

世間的には放送禁止用語的話?の中身もまた楽し。

 

あ~楽しかった。

来てくれて、ホントありがとう。

 

 

鹿のお肉.jpg

 

 

 

 

 

ありがとう

| コメント(0)

いろんなことを平行してやっているのは私の勝手だし、

フォーカスしきれなくて、中途半端になるのは私の責任。

 

なのに、応援してくれたり、サポートしてくれる人々にありがとう。

 

一つにすべてを賭けるよりも、ポートフォリオを持ちたい人生。

 

しかし、ポートフォリオを実行するには、エネルギーと能力を欠く自分、

そういう見切りで進む私を支えてくれてありがとう。