私という他人

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伝耕の仕事のうち、顧客理解についてのご相談および調査関連のブログ準備のため、

このブログについて再編を考えているにあたり(注:個人ブログは残します)、

2009年7月末から書き始めたこれまでの内容を読み返して、大げさな話、ではなく、「驚愕」した。

 

驚愕の理由は、「誰、こんなこと書いてるの、私?」という印象を持ったことに、である。

体の成分入れ替わり の表を見ると、脳は一年、一番遅い骨で入れ替わりに3年程(70歳ぐらいで)かかるらしく、

まあ、まだ70にはならないから、2009年時点の骨もだいたい入れ替わっていると考えると、

「私」はDNAの設計図通りほぼ(老化)再生されているわけで、「私」は2年前とはほぼ違う人、になっている。

 

っていうのは、頭では前から知っていたことだけれど、今回は身にしみて思った。

自分で書いたブログに「はて?」と思えるのは、ブログなんかを書いているからであって、

要するに、日記をつけるということの根本的な面白さに人生はじめて気づいたのである。

 

そもそも人様より健忘症傾向がひどいという部分をさっぴいても、「私」は肉体的に入れ替わり、同時に、

自分自身の過去のあれこれについて忘れるのである。

 

そして、「あれこれの忘れ方」の特徴にも気づいた。

おそらく、脳の奥の方にしまわれるような、本能に近い反応、

好き嫌い、おいしいまずい、愉しい怖いという感情は、生存の可能性に関わるとされているせいか、

あるイベントを思い出せば紐付いて簡単に想起される。

しかし、他人事と思えるのは、脳のおそらくうすっぺらい表層部に浮かんでは消えている、

瞬間のアイデアとか、考え、を書き留めたもので、そういうものは、まったくといっていいほど覚えていない。

名前を変えて他人のブログに掲載されていても気づかないような内容がたくさんある(もしかして、ホントに病気??、そうかも)。

アイデアやその場の考えなんかは、シナプスの小さな花火、のようなものだろうから、書き留めなくては保持されず、

「その場限り」で、未来につながらないのかもしれない。

 

そっか、

「その場限り」の時空間から人間を解き放った、「紙」とか、「IT」ってすごい発明なんだ、と、妙に感心してみる。

 

同時に、

人間が同じ過ちを犯し、こざかしい話はすぐ忘れ、簡単な整合性も保てない理由、を自分の中に発見する。

「私」を「私」と思うなかれ。

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