十年の計・予感

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45歳を過ぎたとき、四捨五入して50歳のつもりで生きようと決め、

そういうスタンスで生きてきたが、本当に50歳になるまで、あと一年ほどになった。

 

この4年ほどを振り返ると、

若い頃は勢いでできていたものが、なんだかんだと考えて時間がかかる一方で、

若さが抜け、自分としてはお呼びじゃない部分の「女性要素」に関しては世間向きに斟酌無用とするぞ!方針、

がとれるようになった結果、

うれしいことに、すんなりと可能となった本質の追求だったり、

まあ、いい按配ででこぼこに満ちている。

 

この4年でできたことは会社を作ったこと。

基本ビジネスについての発信は、まったくできておらず、ま、これも辺境極小企業の生き残りを左右するけものみちを考えた場合、

果たしてどれほどオープンにするのが正しいのか迷いがあったのだが、まあ、いいや、来年早々、出すことにした。

手術なんかをする機会をいただいたことが、この、まあ、いいや、の原動力であることに気づくと、人生面白いものである。

ひと目には「うらばん」に見えるこのブログは、自分としては「おもてばん」なのだけれど、

人様に「おもてばん」と見えるものも発信してみよう、というわけで、「おもてうら」をセットにして出してみることにした。

 

閑話休題。

 

そういう「おもてうら」を着物の合わせ目のように見せるやり方も、SNSの進化で可能になり、工夫次第の時代になった。

着物の半襟・重ね衿の選択、もしくは、着物の袖からチラみせする長襦袢、裾の八掛の色。

一貫性よりも「おもてうら」という合わせ技のセンスが問われる有り様が、そもそも日本らしい教養の発露であり、

奇しくも今、そういうことが功を奏する時代が近づいている、と思う。

そもそも人格はベースがあっても複合的なものであるから、

伝達経路がかつてマスコミのみだった故に、

つねに一貫性のある一枚岩の人格をベースとすることで信頼を担保し効率を保っていた企業ブランディングの方略についても、

これから少しずつ変化せざるを得ないだろう。

 

SNSの浸透により、まず個人というミクロベースで、一個人の多面性についてお互いが期待する素地がまず耕される。

そこでは個人に起こる必然的な変化、もしくはある範囲の複合性を見せた方が信頼性が向上する傾向が高くなる。

それはリアルな場面における対個人の評価に近似する形として。

 

フェースブックで見られる面白い現象として、ほぼ毎日趣向が同じ花の写真を出している、いつも景色の写真を出している、

そういうアップは最初は毒が無くて万人受けし、最初「いいね」が多いのだが、だんだんその数が減ってくるようだ。

推測に過ぎないが、それは要するに、「きれいなんだけど、嘘くさくて、それが退屈」と判断され、

ある日突然プラトー化し、反応が降下するんじゃないかと思う。

いつも同じでおもしろみのない人間だと判断されると、質の高い対人関係が結べないのと同様に。

 

「少しずつ違う角度で見せる一枚岩」もしくは、「少しずつ形がかわる一枚岩」の選好、

まるで、着物は同じでも合わせ方を変えることで別のように見せる方法を楽しむように、

一貫性と多様性のバランスとスタイルが問われ、結果コミュニケーションのありようも変化するのではと思っている。

そしてその動向が、しみじみと企業発信のコミュニケーションを変えていくベースになるのではと思う。

どこかから借りてきたような、底が浅い内容は料理のしようがなく、結果的に淘汰されるだろう。

 

さて、妄想は置いて。

次の一年を考えるのは11月が一番いい。12月になると気がせわしくなるから。

 

来年は、

・「おもてうら」を出して活動する年。 NPOの始動も含めて。

・2月にUS、3月にイタリア、可能なら8月にもう一度USに行き、外に出て学び、チャレンジする年。

 

たった、これだけなんだけれど、

来年は、次の10年を左右する年になるんじゃないかという予感がある。

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