2011年8月アーカイブ

もう秋の気配

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日中は確かに暑いけれど、日陰にはいると感じる、底に冷たい空気と流れる風。

早朝の肌寒さ。夜の暗さが深くなるような幻想。

秋の気配がしてきた。

こうなると、例年、ああ、と思ってしまう。

あっという間に秋がすぎ、冬になり、年が変わる。

 

でも、今年は、秋をきっちり楽しもうと思う。

素敵な季節に仕事をしすぎないこと。

そんな贅沢な目標を高々と掲げる。

 

 

ナニカガハジマル

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ってことにしなきゃね、ナニカヲハジメルには。

無理矢理ハジメルにしても、自然発生的にハジマルように仕組むことが、

すべてだと気づいたのは、ごく最近である。

くだくだこねまわして語ることの無意味さについて恥じる日。

敬意

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人に敬意を払うということは、難しいことだと思った。

そして、人を威圧せずに、敬意を払われるような身のこなしを身につけることも難しいことだと思った。

 

これほど参加者をリスペクトしないファシリテータを今までに見たことがなかったな、と思いながら、

人種、外観、コミュニケーションスタイルなどなど、コトの内容に行き着くまでにあるさまざまなバリアに思いを馳せる日。

到達点と幅

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一に一を加えて二になる。

これは算術である。

しかし、ヴェクトルの数学では、1に1を加える場合に、その和として、

0から2までの任意な値を得ることができる。

美術展覧会の審査には審査員の採点数を加算して採否を決めたりする。

あれは算術のほかに数学はないと思っている人たちのすることとしか思われない。

                          「柿の種   寺田寅彦」

 

哲学と科学の間を行き来しようとする科学者はそんなに多くはないということを、

今回の震災の後、特に原子力発電所関連のあれこれで思い知らされ。

多くは、「自己利得を中心とする経済効率至上主義技術者」だったわけですね。

寺田寅彦は数少ない「行き来する」科学者だったと思い、「柿の種」を読み返してみたら、

上の一節にしばし考えさせられた。

 

もう年齢的に、社会的にみればかなりの地位になっている人も周囲に増えてきたので、

ついつい、「高さ」において、同程度にある人を比べてしまったりするわけだけれど、

1に1を加える結果が算術の結果の2でしかない人と、ヴェクトルにおける2までの任意な値をとれる人と、

最高到達点は同じ2であっても、ずいぶん印象が違い、できる仕事の幅も違うだろうなと思う瞬間がある。

 

キャリアとは到達点を高くする問題ではなく、到達点を高くすることによって、幅を大きくすることだと

わかっている人の元で働ける人は、幸せなのかもしれない。

 

 

心の残骸

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今日は、朝からブログなんかを書いてみたりしている。

リビングでこれを書きながら、周りを見渡してみたりするのだけれど、いや、まったくもってひどい状況である。

いつ片付けたのかも定かではない。

 

このひと月ほど、あれと、これと、それ、の仕事をしていた以外に、

どんなふうに日々を過ごしていたのか記憶が定かではない。

これまでの習慣なら、かなり忙しくても、日記としてのブログは書いていたから、

なんとなく日付と気持ちと行動を紐づけることはできたが、

この一ヶ月は、ブログを書いていないせいもあり、すべてが圧縮パックにつめこまれたまま、

忘却の彼方に送られてしまい、手元に引き戻すことができない。

 

「忙しい」とは、よくできた漢字である。「心」を「亡くした」まま、命の時間が過ぎることをするどく表現している。

 

日記を書くとは、時の流れとともに、刻々と亡きものになる心の残骸を手元にとどめておく手段だったのだ、とふと思い、

どこか慈しみながら綴ることの意味を、まずは、自分の中のそこかしこに巣くった「あらゆる経済性を排除」して考えてみる。

 

 

 

20年の時

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いつかお会いできないかな~と思いつつ、特にアクションを起こさないまま、

とある方と、今日お会いできたのである。まさに20年の時を越えて。

お会いしてみて、やはり、お会いするべくしてお会いしたのだということと、

お会いする日は、やはり、今日以外なかったのだと思うと、不思議な気持ちになってくる。

ことさらに、お会いする努力をしていたわけではないし、したかったわけではない。

でもこれで、いいのだ、とおもって、寝る。

 

 

 

下請けのち晴れ

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国境を越えて地平が広がったら、いわゆる「下請け」の仕事でもずいぶん変わるもんだね。

「下請け」をパートナーと表現してもいいのだけれど、それはきれいごとだとして。

国と国の関係が、パートナーと表現されているようで、実はそうでないように。

世界の中の日本を俯瞰してみると、今日のわれわれのありように凝縮されている、のか。

お久しぶりです

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液晶が破壊されたPCが帰って参りました。

その間、別のPCで仕事なんぞをしていたのですが、

なんせ、柄にもなく忙しかったもので、液晶が割れたことをいいことに、

ブログをお休みしていました。

 

書かなければ日々についてさしたる軌跡もなく過ぎていくのだということを知り、

それではふがいないような、しかしそれこそ、ただ生まれて死ぬ生き物としては

適切なような気がして、どうにも不思議な感じがしているのである。