なんとあろうことか、PCの液晶が割れました。
どうしたことでしょう。
PCは本当に、大嫌いなツールなのですが、
私にとってはものすごく大事なツールなのです。
今までやさしくしたことがなかったので、
仕返しを受けた、そんな感じです。
なんとあろうことか、PCの液晶が割れました。
どうしたことでしょう。
PCは本当に、大嫌いなツールなのですが、
私にとってはものすごく大事なツールなのです。
今までやさしくしたことがなかったので、
仕返しを受けた、そんな感じです。
今年の夏も忙しい。
去年も病みあがりなのに、結構忙しかったが、
今年もまた、ノンストップなスケジュールである。
今日の伝耕分室での女子会は、
20代40代という30代中抜きでの珍しいパターン。
女子とおばさんという言い方の方が正しいが、
いいのである。
3時間、さっくり呑んで食べる。
を食べた会社に、「業者」として出入りさせていただき、
昨日は、ブレーンストーミングのような会に参加させていただいた。
働いていた時にはあまり見えなかった特徴が、
どこまでが会社のDNAで、どこまでが個人の特徴なのか、
いろいろとネタに尽きず、面白いのである。
というわけで、大阪にかえってきてから、一杯。
気持ちよく酔っぱらった。
猛暑の中、無理のない程度に身体を動かして、ちょっと身体を絞ろう。
どうも身体が重たいのである。
身体が重たいと、いろんなことがおっくうになって、
疲れやすくなるし、いいことなんかない。
ホルモン剤の副作用で、太りやすいことは確からしいのだけれど、
そんなこといいわけにしないってことにする。
国立公園内に、適地が多いとされる地熱発電の資源を開発するために、
とうとう環境庁が動いたらしい。
日本には世界有数の地熱資源があると言われているが、
国立公園の景観や周辺の環境をおもんばかって、
開発許可がなかなかおりなかった。
放射能で一定レベル以上汚染されてしまえば、そこがどんなに美しい国立公園であっても
全く意味がないことを考えると、
美しさの基準を保ちながら、地熱の有効利用にチャレンジすることに対しては基本的に賛成だ。
実は、原子力以外にいろいろ方法はあったが、検討されるどころか、
オプションとしてないことにされていたのだということに気づいたのが、
遅すぎなければいいのだが。
伝耕の黄色い家は、今年まだ冷房をいれていない。
奇跡的に東西に風がぬけるので、涼しく過ごしているのだが、
季節らしい軽装で仕事をしている。
ときどき、世の中に出て、お客さんのところに出かけたりするのだが、
その道中で、ワイシャツ、ネクタイ、スーツの男性を見ると、
それを強制する環境は本当にどうかしているんだろうと思ってしまう。
大阪なんか、亜熱帯どころか熱帯かと思わせる暑さなのに。
たしかに、そういう格好をしていると、「仕事がいかにもデキそう・信頼できそう」な効果もあって、
お互いにやりやすい面もあるのかもしれないが、
世の中に出て25年が過ぎ、辛辣な視線も磨かれ、
心臓に毛がはえただけでなく、何度も生え替わった私には、
その人の実力とスーツの完全防備との正の相関は特筆するほどでのことはないということを知っている。
仕事ができそうな佇まいは、真夏に完全防備のスーツをきることで演出できるものではない。
もう、やめようよ、そんな「ごっこ」。
この年になって、つきつけられるのは、
どこをめざすか、という問題である。
誰かすごい人がいて、そこを目指そうとすれば、
ベンチマークは明確であるが、落差も明確になる。
落差、か。つまんない。
なので、そんなのいらない。
ずいぶん前に、どこをめざすか、というベンチマークを置くことは辞めたので、
どうなるか、まったくわかりません。
ある時は、高飛びしたまま、降りられず、
またある時は、掘削しすぎて、戻れず、
いきすぎたところに封印されて亡き者となりそうなところを、
なんとか生き延びてここにあること、
いや、単に幸せものってことでくくっておこう。
今日は娘のピアノの発表会であったので、
母親である私は、付き添いつつ、日頃の練習の成果を聞かせてもらう日だった。
ところが、まあ、練習していないな、というのは知ってはいたものの、
今朝、家で弾かせてみると、とんでもない出来なので、
「これで、人様にお聞かせするとはなにごとか」とあいなり、
直前スパルタ練習となった。
「はい、そこ、指が安定しないところ、あと30回!」
発表会に着る洋服にアイロンをかけながら、この調子。
一応、血圧に問題はないことは先月の検診ではわかってはいたが、
急激に血圧が上がりそうなストレス状況になった。
さて、会場で発表会が始まってみると、「なるほど」と思った。
総じて、完成度が低いのである。
なんということだ。
世の中、少子化で競争が緩くなり、晴れ舞台というのも少なくなっているのか。
恥と誇りということについての感覚が変わってきたのか、
まったく?である。
先生が優しいとか怖いということとは無関係にあるレベルが保たれるはずだ、という
私の希望的観測は、まさに希望にすぎなかった。
弾きこみ不足を露呈した娘の発表が終わった後、
達成感とはほど遠く、
妙に後味の悪さだけが残った。
真剣に取り組んで成果を出す喜びを知ろうよ。
梅雨が明けたらしい。
大阪市内の暑さにも慣れたつもりだったが、
昨日は、長らく過ごした夙川の風に触れ、
一瞬にしてすっかり身体が回帰してしまい、
比較的風が抜ける上町台地の暑さもそれはそれでとてつもなく暑く感じた。
出張の疲れも出たせいか、身体が参ってしまい、一日中ごろごろ、である。
そういえば、小さい頃はとても身体が弱く、
季節の変わり目には、必ず熱を出して、
元気に遊ぶ皆からおいてけぼりを食らってじっとしている日々が必ずあった。
同じ時間をどう生きられるのか、
そこには厳然とした差があることを身を以て知らされたのである。
走り続けられないということを悟ったのち、
差を意識して、その差を埋めようとしても絶対に埋まらないが、
創造というマジックでやすやすと差を意識せずとび越えられることについて
私が知ることになったのは、ずいぶんあとのことである。
そして、やすやすと飛び越えるためには、
物事のとらえ方について同時に複数持たなくてはならないことにも気づかされ、
複数の視点を持つこと自体、じゅうぶん、ストレスになりうるが、
それはそれで楽しむことも覚えたのは
ごくごく最近のことである。
というわけで、いろいろなことに開眼し日々を過ごし、
今日のようにごろごろしなくてはならないような、
身体的に衰える状態に至っても、
歩みを進めることができる幸せな存在である。
...などと考えながらごろごろしている。
再会をたのしむ極意は、人と比べることである。
ある一時、同じ釜の飯を食って、ばらけて、もう一度出会うと、
どうしているかという話題になり、その中で自分がどういう位置づけにあるかを期せずしてはかることになる。
そのとき、かならず、他のありようよりも、今のありようの方が、自分らしいと思うに決まっているのだから、
生きているということは、なるようにしかならないのだと思うのである。
人と比べることをおそれることはない。
むしろ、優劣なんて、ちっぽけなものを越えて、違いを楽しむことができれば、
自分らしく人生を歩めているという傍証になるだろう。
梅雨明け前で、晴れの日が少ない七夕。羽田空港で、短冊を書けるブースがあり、
出発前のせわしない中、星に願いを、の風景。
星のまたたきにも満たない人生を、豊かに。
東京ビッグサイトひとふでんずの体験コーナーがある、「墨運堂」さんブース。
あじさいをひとふでで輪郭を描き、できあがったのがコレ。
いらしていただいた方の素敵な作品です。
下に、あじさいのひとふでんずの絵が透けて見えますが、
これをなぞって描きます。
墨運堂さんが開発された紙は特殊なモノで、
水をたっぷりふくませたゆびふでで描いても、
紙が破れないのですよ。
今日は初日でしたが、結構な人出でした。
8日までで、明日の午後は会場アタリをうろうろしてます。
東京に出張の折、ちょうど同窓会が開かれ、楽しいひとときを過ごした。
出会いってうれしいな、すごいな、みんなえらいな、感心するばかりである。
一秒一分を積み重ねて、そして、今目の前にある月日の重さと、
それを軽々と飛び越えるつながりの確かさに、
胸をうたれるものがあった。
会えてよかった。
これが楽しくなくなった。
そこにどれぐらい、それ、が入っているのか、全サンプル調査じゃあるまいし、
わからないんだろうな、と見切って、
で、どうしようか、ということを考えていること自体が苦痛である。
西日本の野菜が日に日になぜか少なくなっている。
不明。
夏のバーゲンが始まっているので、
最近、全くモノを買う気にならず、それもどうよ、と反省し(反省いらん、という声もあるが)、
たまには、と思い、ミナミに洋服を買いに行った。
ま、それはそれで楽しかったのだが、買ってきた服を見て、
娘に、
ママって、やっぱ、変やな、と言われてしまい。
どーせ、ママは変ですよーだ。
夏祭りの季節到来。
愛染祭りで幕を開くこの界隈の夏祭り。今年は雨にたたられることなく、盛況である。
愛染祭りの舞台は、愛染堂勝鬘院、秘仏愛染明王が鎮座ましますお寺である。
きれいどころ芸者衆がかごにのり、周囲を回ることでも有名な、
はなやかでどこか色気のある祭り。
屋台もたくさん出て、人出も多く、みな、暑さそのものを楽しんでいる。
四天王寺に住んで、今年で7年目だけれど、私の町はね、っていう気持ちで、
さらっといろんなことが話せるようになったことがうれしい。
第三期終了と第四期スタートの境目は、分水嶺のようだ、と思う。
たぶん、これまでとは違うフェーズに入るのだろう。
実際しようとしていることもこれまでとはいささか違うことは確かなのだけれど、
それによって見えてくるものが、これまでのありようをきっと変えることになる、と思う。
外資系育ちでロジカルな思考を身につけたつもりでも、それはつもりのつもりで薄っぺらい。
一見、ロジカルでかっこよさそうに見えても、その実、大きく守られた遊園地の中で通用するロジックに過ぎず、
そんなものでは世の中を渡っていけない。
じゃあ、それ以前のローカルな共同体の空気感ではどう?
今、震災で、あらわになった「本当にどうするの?」という問いについて、
「本当のことが言えない、言う作法をしらない、言うための知識ベースがない」という
3ないの袋小路に入り、千載一遇のチャンスを活かすにじたばたしているだけの「空気」。
にっこりにじにじと、薄っぺらいロジックも、よどむ空気も、
どっちも越えて行かなきゃいけないんだ、きっと。
鼻歌まじりで。
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