非現実的な夢想家と女性とラベリング

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たとえば、女のいうことは、感覚的すぎて、わけわかんないとか、

やつら子宮で考えるからね、とか、ずいぶん言われてきたもんだ。

 

そう言われるのにうんざりしたから、直観的にいいとかマズいとかいう感覚に半分蓋をして、

交感神経が興奮したまま突っ走る世界に身を投じ、かりそめのロジックを駆使し、オヤジに認められようともしてみたし、

世間では、そんなこんなを喧伝するビジネス女教祖様も現れて、一世を風靡したりした。

 

それらが定着する前に、「想定外」のことが起こった。

村上春樹が言うところの、「非現実的な夢想家」以外は想定しなかったことが。 

 

今、しみじみうんざりしてしまう。

かつて、大義のために子供を差し出して失敗した、と悔やむ母親の後にまた、

効率とかりそめのロジックの前に直観を捨て、結果子供を差し出すことになりかねない母親の列に加わったことが重くのしかかる。

 

ああ、「非現実的な夢想家」とラベリングし、それを「効率」と対比してしまうのか。

実体が夢想であると断定されてきたのは確かであるが、夢想は単に効率に対比させられて却下されたのではない。

 

地球や人間の歴史を俯瞰し、文理を越えた科学を総動員した仮説を呈することができるほどの志の高い

Best and brightestを養成できない、物真似社会という文脈。

 

技術屋が考える狭い前提と、金儲けをしたい人間の欲が「合」となる「効率」。

物真似社会の中で、「効率」なるものと、夢想と呼ばれる「総動員の仮説」議論は、そもそも標高がずれているが故に、

かみ合うわけはない。

 

標高のずれを認識・共有することを前提とし、困難だけれども、サルよりはかしこい霊長類の理性のチャレンジとして、

議論のかみあわせを試みなかったという、

所詮、物真似を越えられない「愚かさ」と「知的怠慢」が根本的な問題としてある。

 

リスク想定ということ自体、学問的に未熟であるということを棚上げして、

わかることだけでロジックを組んだ方法について「効率が高い」と喧伝した。

つまりこの「効率の高さ」ですら、制限付きの理性の限界によって、呈示された仮説だった。

人間にはそもそも、制限付きの理性という限界はついて廻るものだ。

当座のBest and Brightestだけがそれを行っても、限界は限界としてある。

それ故、我々は、どこまで行っても、詰まるところ、愚かな存在であるということについて、

強く認識して、そこから、次の世の中を夢想する理性的な場をつくるのだ、と展開してほしかった。

 

文学者ゆえ、非現実的な「夢想家」と比喩的にジャンプできる、「明日への夢」と称した希望の種を生みたいがゆえに、

「効率」と対比させておいた方が、その根源性が孕む問題について触れずに済むからか。

 

取り巻く状況を考えると、もういちど直観的な女が再浮上する余地はありそうだが、

しみじみうんざりを切り開く力を蓄えるには、

私にとって、村上春樹の言説はあまりにも手弱女すぎる、と思う。

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