昨年の今日は

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そういえば手術のために2度目の入院をした日だった。

入院の以前と以後では、自分の中でいろんなことが変わったように思う。

 

あれこれと変わったな、と思っていたら、

大地震があって、

これもまた、自分の根底を揺るがすことになった。

 

今、何が欲しいって、みんな、

わざわざお金を出して見てくれを操るような類のものではなく、

そこにいて、思いっきり空気を吸え、水をごくごく飲み、

土の上や、水の中で体を思いっきり動かしたあと、

空腹を満たす自然の恵みをいただくことではないのか。

 

そんなものが担保されてはじめて、水や血が身体を巡るように、

さまざまな財や人が動いて経済が廻るという当たり前すぎること。

 

担保されることに、たいして注意もお金を払う価値がないと思っていたが、

ある日、どんなにお金を出してもそれを取り返すことができないと知ったとき、

ぼんやりとは捉えていたが、目の前に取り出してしっかり見ようとはしなかった、

自らが住まう社会の危うさに気づき、呆然としている。

 

たくさんのお金をかけて精緻にマーケティングされていた「図」について、

最近は空虚さの影が「地」となって「図」を浸食する。

かつては、もっと素敵に見えていたのに。

 

一年経って、自分の身体の調子は波があるけれど、

そんなことは、やりすごせる問題である。

 

水に流してすぐにやりすごしてしまう我らは今、

水に流せないほど、もしくは水に流せば流すほど大きくなる問題を抱えてしまっている。

 

さて。

 

 

 

 

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