2011年6月アーカイブ

第三期終了

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おそろしいもんである。本日をもって、我が社は第三期終了。

あしたからは第四期。わたしとしては「想定外」のフェーズに入った。

 

いや、いろいろあったな、そしていろいろ進行中なのではあるが、

なんでも早くちゃっちゃとやるひとびとの後塵を拝して、

たらたらゆっくり、塵芥(ちりあくた)の中にまぎれた砂金さがしをしながら、

進むのである。

酷暑

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今年も暑くなりそうだね、って言ったら、もう暑い。

とにかく食欲が落ちる。

ばてるのはいやだけど、

からだをしぼるにはいいのかもしれない。

 

 

かえる印シリーズ

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伝耕分室は風が通る、しかし、同時にそれは蚊もやって来るということを意味する。

というわけで、蚊取り線香ヘビーユーザーである我ら、今年は、天然除虫菊使用の蚊取り線香を導入した。

「かえる印のナチュラルかとり線香」が銘柄名。

「むかしに帰る・自然に還る・暮らしを変える」ってな感じの優等生なキャッチが

ちょっと大きめの字で書いてあるのだが、

ちょうどかえるくんが葉っぱをもっている上のあたりに、

小さな字で、

「僕は愛に帰りたい」と書いてあり。

これってかえるくんのツイートなんだよね。

 

かえる印.jpg

 

 

ホットケーキ

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どうってことなくて、おいしいものというのは、ひとを幸せにする。

ホットケーキもそういうもの。

 

かたすぎず、やわらかすぎず、ふんわり焼くのはむずかしいよ。

なにも、特別なものは入っていないけど、おいしいよ。

 

そういう、あたりまえすぎる非凡さを思い知る。

ことさらにおいしいホットケーキをいただいた午後なんかには。

ホットケーキ.jpg

居合わせる

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なぜか、その場に居合わせる人、がいる。

どうも、私はそういうこと人、なのかもしれない。

 

それで切り開かれる運命、

それで閉ざされる運命、

いろいろあるのだろう。

 

そう見切っているからこそ、

ゆるいようにみえて、

その実、一生けんめい一日をすごせること、

恵まれたことなのだろう。

 

 

来年はボローニャに行くぞ

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来年の話をすると鬼が笑うというが、笑うものなら笑え。

泣きの涙だらけの今年、あえて来年の話でもして、鬼でさえも笑顔のなかまにいれてやろう。

 

ってなわけで(?!)、来年の3月は、イタリアボローニャの絵本原画展に行くことにした。

イタリア在住、英語イタリア語堪能な友人をたよりに、igu伝を宣伝・売り込みにいくのだ。

ついでにそこで、ひとふでんずのワークショップなどもできないか、なんて思ってる。

 

 

子猫の気配

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どうも、伝耕分室黄色い家の端で子猫が生まれたらしい。

燐家との境界、人が入れないほど細い隙間のあたりから、

一昨日からみゃーみゃーとかぼそい鳴き声が聞こえる。

 

子猫の幼気さとはほど遠いメンバーが連なる会社の軒先。

だから選ばれたのか。

 

東西の風

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夏日だ。梅雨の晴れ間は、夏の日差しと高い湿度でうだる。

伝耕の黄色い家、逢阪分室も夏日。

でもここに居ると東西に風が抜け、気持ちがいい瞬間がある。

今日は、お取引先の方がいらして、開口一番、

「ここ、風が抜けますね~」とうれしそうに言われた。

路地の奥、どんつきにある建物なのに、東西に空気の通路があるために、

奇跡のように風が通り抜けるこの執務室。

 

大阪の古地図を見ると、上町台地が馬の背のように海から突き出ていて、東西が海。

今の時代、東西は見渡す限り人の居る場所なので、にわかには想像もつかないが、

かつて、伝耕分室の東西は海だった。

その海を通路にさっと吹き抜ける風。

目をつぶってその風景を思い浮かべてみたら、そこはかとなく涼しくなった。


 

ゴーヤカーテン

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伝耕分室の暑さ対策として、ゴーヤカーテンにチャレンジすべく、苗を買い植えてみた。

SNSでつながっているお友達がゴーヤを植えているのを見て、

我が社もやってみようと。

黄色い家の玄関前には、これまた黄色い柵があって、ゴーヤくんには、ここをつたって大きくなってもらうのだ。

植木鉢に植えたばっかりでひょろひょろしているが、

暑い夏の日差しをうけて、しっかり育って欲しいのだ。

 

ゴーヤ.jpg

夕食の用意

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働く主婦ならば当たり前なのだろうが、

ただいま19時半をすぎ、さっさとしないと夕食作りにそろそろ乗り遅れそう。

気圧のせいで妙に身体が重くて、

やる気がない。

こういう日もある。

 

できれば、

日が長くなってなかなか真っ暗にならない空をぼーっと見ながら、

スパークリングワインとジャズで、

無駄に時間を過ごしたかった、そんな日。

時代の変わり目

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そういえば、リーマンショックをきっかけに、

やっぱり、会社を作ろう、と狂気の沙汰のようにはじめたのだが、

大震災があって、まさに、時代が大きく変わろうとしているときに、

3年目を迎え、毎日勉強をさせてもらっている。

 

延長線ではない方向に、一歩前へ。

身近と遠く

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車であちこち。

もっと遠くに行きたいと思いつつ、身近なもので満足。

 

日曜日の過ごし方に限らず、

若いときは、もっと遠くに行きたいと願っていたけど、

だんだんその気持ちが変わってきて、

もっと近くのものをずっと極めたら、

遠くに行かなきゃ得られないものの真髄と

ふと会えるんじゃないかと思ったり。

 

 

抹茶と煎茶

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土曜の仕事。

その合間に、頭とココロをすっきりさせようと思って、

お抹茶の単品を頼んだら、濃い甘い煎茶がセットで出てきた。

うーん、びっくり。

この組み合わせ、癖になりそう。

抹茶と濃甘煎茶.jpg

どこに自分の頭を使うか

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自他共に優秀だと認める人は、

どうか、今、「自他」の子供たちのために、頭を使って欲しい。

そういう風に頭を使えないのなら、

使えないことをはっきり認めて欲しい。

衆愚としてない知恵を絞るということを、

決断しなくてはならないかもしれないから。

 

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用事があって、神戸の総合運動公園のあるあたりまで出かけた。

緑が多く、空気がきれいで、四天王寺の濁った空気を吸い慣れている

自分としては、気持ちが良いおでかけでした。

 

ふと、そこで、植え込まれていた木に咲いていた花。

一本の木なのに、白と紫の2色。

つい写真を撮ってしまいました。

色違いの花.jpg

 

砂金ふるい

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エネルギー問題について、

誰がどんな「立場」でモノを言うのか、

今ほど気をつけて見聞きすることはこれまでなかった。

 

「立場」のありようによって、これほどまでに事実がねじ曲げられ、

命にかかわる優先順位を変えてしまうことについて、

これほど身にしみたことはなかった。

 

砂金探しのように、数少ない真実の言葉を探す非常事態の日々。

 

久しぶり

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ずいぶん、さびついた英語で、ほとんど体をなしていないが、

まあ、油をさしながらぎこぎこコミュニケーション。

 

ちょっと、しばらくぶりに、勉強し直してみようかな、なんて思っている。

母国語以外の言語に親しむことは、人生の喜びが増えること。

学べるということは元気なこと。

ばったん

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今日は、ひさびさに会う方と会食である。

話題は考慮中のNPOのことなど。

 

小さな力でものごとをおこすということは、

大きな会社でものごとをおこすことと、全く違うというのは、

会社をやってみてしみじみ身にしみたが、

さらに、こんなジャンルでも、こんな風にものごとが進むんだ、と体感してもいる。

 

いい意味で、ちょっとばったんばったんしてきた。

そのばったんばったんも、振り回されるのではなく、

視線はまっすぐ向こうに向けたまま。

 

 

 

雨の休日

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いやあ、よく降る。夕方から雨の大阪。

ひんやりした雨が、しずしずと闇をつれてくる。

 

ここ数ヶ月は、ちょっと考えすぎてたけど、

ここ数年やってきたことを、形にできるものは形にして、

世に問うてみようと決心できたし、

それにはいろいろ準備もいることを認めて、

その準備を楽しもうとしているし、

まあ、それなりなのである。

 

それなりにしかできないと認めて、

それなりにやるとして、

それなりに「独自の」やりかたを身につけねばならぬ。

キャラクターからアートへ

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大阪HEP HALL で開催されている、コミックアートフェスタを訪れた。

コミックアート、キャラクターを主軸として、キャラクターとその世界観を描く作品、とでも言えばいいのだろうか。

直筆よりもデジタル画の作家が多い分野である。

 

マンガとかアニメーションという分野でなじんできたありようが、いよいよアートとして活躍の場を広げている。

実はコミケ、投稿サイトや専門誌等では十分に限定的な隆盛をしているのだが、一般的な広がりはこれからであろう。

 

浮世絵が、版画であるがゆえに「版」という方法で世間に広がったものだとすれば、

コミックアートは、「デジタル」という方法で今までの枠を越えていく。

実力のある人の作品が多く展示されていたが、やはり、どこかに浮世絵の歴史を感じる。

村上隆率いるカイカイキキの活動も含め、認識は広まりつつあり、

最初はバリエーションを欠いたように思えた作風にもバリエーションが出てきたように思える。

 

私が気になった3人について、ピックアップ。

カイカイキキのアシスタントを務めた虎硬さんが主宰する百化の作品はまさに現代版浮世絵を感じさせるもの。

さらに、加藤文孝さんのサイト、地と図の配置には、どことなく、押井守監督「イノセンス」を思わせる世界。

挿絵やマンガ、ゲームなどで活躍中の睦月ムンクさんの展示もありました。繊細かつ大胆な作風。

 

好き嫌いはありましょうが、文化の爛熟を感じさせるそれぞれ。

 

 

 

たとえば、女のいうことは、感覚的すぎて、わけわかんないとか、

やつら子宮で考えるからね、とか、ずいぶん言われてきたもんだ。

 

そう言われるのにうんざりしたから、直観的にいいとかマズいとかいう感覚に半分蓋をして、

交感神経が興奮したまま突っ走る世界に身を投じ、かりそめのロジックを駆使し、オヤジに認められようともしてみたし、

世間では、そんなこんなを喧伝するビジネス女教祖様も現れて、一世を風靡したりした。

 

それらが定着する前に、「想定外」のことが起こった。

村上春樹が言うところの、「非現実的な夢想家」以外は想定しなかったことが。 

 

今、しみじみうんざりしてしまう。

かつて、大義のために子供を差し出して失敗した、と悔やむ母親の後にまた、

効率とかりそめのロジックの前に直観を捨て、結果子供を差し出すことになりかねない母親の列に加わったことが重くのしかかる。

 

ああ、「非現実的な夢想家」とラベリングし、それを「効率」と対比してしまうのか。

実体が夢想であると断定されてきたのは確かであるが、夢想は単に効率に対比させられて却下されたのではない。

 

地球や人間の歴史を俯瞰し、文理を越えた科学を総動員した仮説を呈することができるほどの志の高い

Best and brightestを養成できない、物真似社会という文脈。

 

技術屋が考える狭い前提と、金儲けをしたい人間の欲が「合」となる「効率」。

物真似社会の中で、「効率」なるものと、夢想と呼ばれる「総動員の仮説」議論は、そもそも標高がずれているが故に、

かみ合うわけはない。

 

標高のずれを認識・共有することを前提とし、困難だけれども、サルよりはかしこい霊長類の理性のチャレンジとして、

議論のかみあわせを試みなかったという、

所詮、物真似を越えられない「愚かさ」と「知的怠慢」が根本的な問題としてある。

 

リスク想定ということ自体、学問的に未熟であるということを棚上げして、

わかることだけでロジックを組んだ方法について「効率が高い」と喧伝した。

つまりこの「効率の高さ」ですら、制限付きの理性の限界によって、呈示された仮説だった。

人間にはそもそも、制限付きの理性という限界はついて廻るものだ。

当座のBest and Brightestだけがそれを行っても、限界は限界としてある。

それ故、我々は、どこまで行っても、詰まるところ、愚かな存在であるということについて、

強く認識して、そこから、次の世の中を夢想する理性的な場をつくるのだ、と展開してほしかった。

 

文学者ゆえ、非現実的な「夢想家」と比喩的にジャンプできる、「明日への夢」と称した希望の種を生みたいがゆえに、

「効率」と対比させておいた方が、その根源性が孕む問題について触れずに済むからか。

 

取り巻く状況を考えると、もういちど直観的な女が再浮上する余地はありそうだが、

しみじみうんざりを切り開く力を蓄えるには、

私にとって、村上春樹の言説はあまりにも手弱女すぎる、と思う。

和紙の切り絵タペストリー

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平和紙業ペーパーボイスの大阪ギャラリーにて、Art & Soul II展が開催されている。

オープニングパーティにお声がけいただいたので、お伺いした。

ジャズをテーマに2人のクリエーターと3人のマテリアルアーティストたちが企画し、作成した立体、

タペストリー、針箱などの作品が展示されている。

 

会場には、和紙を切り抜いて作ったタペストリーがあって、これは素敵だった。

Art&Soul.jpg

確か、長さ2.6mの和紙、とお話されていたかと思うが、

参加アーティスト、クリエーターたちがジャズ奏者に扮した

シルエットが切り抜かれていて、暗闇の中で光を当てると、きれい。

 

ジャズレーベルの澤野工房の澤野さんを囲んで、

ジャズ談義のセッションもあり、楽しいひとときであった。

澤野さんは、いろいろなことをお話してくださったが、

①自分が好きでないと思うものは売らない

②きれいなだけの音楽は飽きる

の2点が非常に印象に残った。

 

独自の美学と、その確かなプロデュース能力にはブレがなくて、

そのブレなさ加減が、半端じゃないからこそ、

下駄を売りながら、ジャズレーベルができてしまうんだな、と納得。

調査の仕事をしながら、アーティストのプロデュースをすることなんか、

澤野工房のありようと比べたら、

まだ、関連性は非常に深く、甘っちょろい感じすらある。

 

なるほど。もう少し、楽しく修行が必要ってことですな。

 

 

 

猫による承認

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逢阪の黄色い家は、数匹の猫の回遊ルートとなっており、ときどき、どたどたと周囲を駆け回る音がしていたのだが、

とうとう、今日、開けはなった扉の前に猫が現れ、中に入ろうとした。

 

その猫ときたら、ずっと昔から出入りしているような顔をして、

悠然と、玄関に佇んでいる。

 

「入らないで」と人間に言うように、きつく注意したら、

しばらく、じっと私の顔を見つめて、去っていった。

 

去年はそんなこと一度もなかったのに。

 

ここに拠点を構えて、一年と2ヶ月。

もともと住み着いていた猫たちに、外様だった我らがやっと認められたってことなのかもしれない。

 

「認めてやったのに、何さ、その言いぐさ」と

思われているのかもしれない。

 

 

昨年の今日は

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そういえば手術のために2度目の入院をした日だった。

入院の以前と以後では、自分の中でいろんなことが変わったように思う。

 

あれこれと変わったな、と思っていたら、

大地震があって、

これもまた、自分の根底を揺るがすことになった。

 

今、何が欲しいって、みんな、

わざわざお金を出して見てくれを操るような類のものではなく、

そこにいて、思いっきり空気を吸え、水をごくごく飲み、

土の上や、水の中で体を思いっきり動かしたあと、

空腹を満たす自然の恵みをいただくことではないのか。

 

そんなものが担保されてはじめて、水や血が身体を巡るように、

さまざまな財や人が動いて経済が廻るという当たり前すぎること。

 

担保されることに、たいして注意もお金を払う価値がないと思っていたが、

ある日、どんなにお金を出してもそれを取り返すことができないと知ったとき、

ぼんやりとは捉えていたが、目の前に取り出してしっかり見ようとはしなかった、

自らが住まう社会の危うさに気づき、呆然としている。

 

たくさんのお金をかけて精緻にマーケティングされていた「図」について、

最近は空虚さの影が「地」となって「図」を浸食する。

かつては、もっと素敵に見えていたのに。

 

一年経って、自分の身体の調子は波があるけれど、

そんなことは、やりすごせる問題である。

 

水に流してすぐにやりすごしてしまう我らは今、

水に流せないほど、もしくは水に流せば流すほど大きくなる問題を抱えてしまっている。

 

さて。

 

 

 

 

読書会なるもの

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今日は、伝耕分室にて、読書会を開催した。

参加者の一名が、「課題文書」を決めて、語る。

 

発見したことは、ふだん仕事で使っている頭なんて、一部にすぎず、

ずいぶんいろんな思考の可能性を絶っているんだなということ。

思考の可能性を絶っているということは、自分の生き方についての可能性を絶っているということであり、

こりゃ、いかんな、と思ったのである。

 

 

 

移行

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移行するときというのは、「もと」と「つぎ」のせめぎあいのなかで、

考えてもみなかった事象が起こるのだろう。

 

そういう状態を経て、これがふつうなんだと思えるところまで、あゆみを進める。

 

これまでにあったもののなかから、次にも必要だろうと思うものをとりだして、

もういちど、ゆっくり眺めてみる。

いらないものがずいぶんくっついていて、「つぎ」にいるもののありようが見えなくなっている。

 

少ししかできなくていい。

でも、少しの部分だけでも丁寧にやる。

 

そんなことを重視しながら、移行期の波頭をとらえて進んでいきたい。

停止

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今日は一日やすんでいた。

 

おそらくホルモン剤の副作用だろう。

めまいがして、顔がほてり、うまく身体が動かない。

 

こういうときは、ちらっと、

生きていることがどうでもいいこと、に思えてしまう。

紛れもなく、副作用の一つ、うつ、の症状である。

すぐに打ち消すが、あまり打ち消し続けると、打ち消すこと自体で神経が参ってくるので、そのままやりすごす。

 

実は、経口薬を始めてから、ときどきこういう状況がおそってくる。

どんな変な会社でも会社というものを廻している人がこんな症状を抱えているということ、

オープンにすれば、損にはなっても、得にはならないかもしれない。

 

そうかもしれないのだが、

いまは、社会全体が、うつ、とも言える状況なので、

それを認めてから歩みを進めよう、と言いたいので表明してみる。

 

不調なのだけれど、それと同時に、どこか別の自分が不調の自分を俯瞰できていること、

まずはそのことに感謝しよう。

 

俯瞰して空中にふわふわ浮いている自分と、

土偶のようにうずくまっている自分を縫い合わせるための糸は、数本見えているのだから。

あゆみ

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鎮魂して、清め、新たにつくり出すことだけで大変なのに、

さらに、今、生きている人間が全員死んでも鎮まらないものの力を最小化するため、

どこまでやれば明日が見えるのかをはっきり定義できない試みが進められている。

 

すべてが鎮まるとき、ここにいる人間がすべて死んでいるという命題の上に、

人間そのものが、この世に存在するのかという問いをひた隠しにしたまま。

 

自分が思うほど価値なく、寿命を延ばし続けてきたおかしな生物がおさめようとする、

鎮まらないものの存在。

夏に向けて

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ひとふでんずのコラボレーションだったり、igu伝の展開だったり、伝版を生かしたNPOの設立だったり、

いろんなことが少しずつ、動きはじめている。

 

ほんとうに少しずつだけれど。

 

去年の猛暑は、冷房のなかった黄色い家で大汗をかきながら数々のレポートを書き、歩みを進めた日々だった。

それでもそれなりに楽しかったのだ。

 

冷房は導入できたものの、節電で使用を限ることになりそうな今年、何をしながらどんなふうに汗をかくのか、

楽しみになってきた。

コントロールの範囲

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順調に思えても、いきなり順調がほど遠いことばに思えてくるときがある。

 

いま、順調、ということばは世の中にそぐわない言葉だろうか。

 

何かが進化するという視点での順調ではなく、

身体の中で一定のリズムを刻み、日々を積み重ね、そして老いて死んでいく、ということ自体、

根本的な順調さなのだという気づき。

 

世の中が、いろんな人々が奏でる調べやリズムによって成り立っているとすれば、

たくさんの人の調べやリズムを左右する状況や人々の存在が大きくクローズアップされる。

 

だとしても、その状況や人たちですら、わたしやあなたの心臓の鼓動や呼吸、声の調子や話す早さ、咀嚼や排泄の回数まで、

完全に、コントロールできるものではない。

完全にコントロールされた、と思わない限りは。

 

状況や人に左右されることなんかは、部分的なのだと思い切り、

自分の調べとリズムをよくよく聞いて、それを「順調」と名付けよう。