達成感の喪失

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せっかく作った野菜や牛乳を捨てる。

なにかを回復しようと懸命に努力しても、それを捨てなくてはならない不条理。

根本的な達成感をそぐものだ。

穴を掘って、その掘った穴を埋める、ということを強制することが拷問となるように、

人間は達成感をそぐ繰り返しの中で、少しずつ壊れていく。

 

ほんとうに、それは必要だったのか。

補助金やスポンサーに「配慮」して、簡単に疑問を呈することができない社会は、それ自体非常に危険を孕むものだった。

 

人間の力を越えるエネルギーをどう扱うのか、という問題のときは、

たかだか数十年のデータでしか判断できない科学者と金儲け計算組だけに頼るのではなく、

ほんとうは、

1000年スパンで人間の無知無能の歴史を知る人文学者や宗教家たちが語る、

「あやふやなこと」も交えて判断することが必要だった。

 

しかし、あやふや部分を我慢しながら、突き詰めて自分の頭で考えない癖があり、

科学と金儲け計算組以外の人々を低く見る癖のある「輸入知識」専門の我々。

もし、「今回」を乗り越えて、「次回」までの猶予があるとすれば、この癖は治るのだろうか。

そういえば、自分の知る外国に比べ、高い料金を払わされていたということについて、今更ながら気づく、こんな状態で。 

 

少なくとも私は、猶予があるなら、自分の子供には語りたいとおもうが。

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