迎えるに際して

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大阪市でも、市営住宅500戸を被災者された方々向けに、1年間の無償でお貸しする受付が3月15日(火)より始まった。

大阪のライフラインは日常の風景としてスムーズであり、気候はもちろん東北よりはるかに暖かく、物資はふんだんにある。

 

ところが、被災された方々は、我々の日常、こんな何気ない風景にさえ傷つく。

安堵する気持ちとありがたさを感じるとともに、傷つき、そして自責するのである。

「ここは、あまりにも平穏ではないか。何で私たちだけがこんな目に。」

「こんな安全なところに避難所の人たちを置いて、自分たちだけが逃げてきてしまった。」

普段の状況が普段のこととして当たり前な我々の状況を目の当たりにするたびに辛くなる。

 

家を失って、夫の実家に滞在した我が身ですら、上のようなことを何度も感じたのである。

面倒をかけ続けている、両親の言動や振る舞いに対して腹立たしく思うことさえあった。

「被災地では、みんな大変なんだから!そんなことも知らずに、無神経な!」

 

受け入れている立場からすれば、

「そう言われても、これが普通なんだし。」

 

そうなのである。

今回のような災害の場合、

被災者の方の状況をそのまま追体験することは、ほとんどの人の想像力の限界を越えている。

 

そんなとき、

被災している人、受け入れる人、という関係ではなく、

物事を一緒にやる、経済を動かすパートナーとして、お互いの関係を築きたい。

被災している方でも、元気ならば、何か自分の仕事を手伝ってもらう。

そして、可能ならば、労働の対価を支払ってもよい。

被災すると、とにかくお金がいるのである。

 

お金は頂かなかったが、私も、お客様ではなく、家事を手伝って、ずいぶん気が紛れた。

与える・与えられる、の関係から、早くGIVE AND TAKEのありようを模索することが、

復興に役立つ第一歩につながると信じる。

 

ということを意識しながら、大阪の地で被災者を迎えたいと思う。 

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