避難所身体記憶

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阪神大震災の折、全壊認定を受けた自宅を片付けるために、避難所に2回ほどお世話になったことがある。

床の上に何かを置いて寝るわけだが、人の足音が耳につき、他人のいびきが耳障りで、眠れたものではない。

羽田空港で寝るハメになったときも、やっぱり人の足音、いびき、動きによる音に神経がすり減る。

長らく忘れていたそのような記憶を、身体が記憶していた。

自分から発生する「音」をコントロールしないと周囲に迷惑がかかると気にして、結局身体がこわばり、身体活動が低下する。

そして、広い体育館のような場所ではどこからか冷たい空気がしのびより、身体のどこかが常に冷えている。

 

そんな状況に置かれると、

頭から毛布をすっぽりかぶって、他人との接触を避けるシェルター型で目をつぶる時間を長くすることによって、

音と寒さから身を守るしかない。

 

ますます、気持ちはネガティブになり、身体はこわばったまま、さらに身体を動かすのはおっくうになり、活動が低下する。

頭がさえていると、ひどい現実に向き合わなくてはならないので、むしろ頭がぼーっとしたまま過ごしたくなる。

 

これはまずい。生きる力が失われる状況だ。

環境との相互作用が心と身体に与える影響を低く見積もってはいけない。

食べ物と水が行き渡った後、生きる力を蓄えなくては、未来が創れないのである。

 

内発的な動機を高めるためのしつらえと工夫も援助であろう。

その場へ物資を運ぶだけでなく、人ごと、「生きる力をはぐくむ場所に」運ぶ努力も同時に試みるべきではないかと思う。

 

 

 

 

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