国難に際して

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冷静に考えて個人とその周囲にとって、リスクが非常に高いと思った場合、

それがフラクタル状に影響すると解釈すれば、それは国難に相当する。

今回の地震は、国難である、と思う。

私というn1が感じたこと。

羽田で地震に遭ったとき、いったい自分はどう振る舞おうかと考えたときに、思い出したのはチェルノブイリと阪神大震災である。

そこで努めて認識したことは、

①被害が最も甚大なところは、その甚大さ故に情報発信できない。

②時間が経つとその甚大さは認識されるが、すでにその時点で功を奏するアクションは限られている。

③生死に関わる重要な情報は、いつもタイムリーに発信されるとは限らない。

という3つであった。

それらを私なりに考えて、羽田にとどまった。

 

阪神大震災の折、4WDで倒壊しかけの家を捨て、安全な場所に向かった我々を迎えたのは、

地震で落ちかけた危険な橋と、1M近く段差のある道路であった。

しかし、それがそうであることは知らなかった。

夜明け前の暗闇の中、橋は落ちかけていても、誰も教えてくれず、段差は急に目の前に現れた。

危険は自分の運と感で察知しなくてはならない。

そのときに思い知ったことである。

 

実際、その状況の深刻さは1日ほどたってから、情報化され、世の中に伝わった。

橋も道路も通行禁止になっていた。

そこがどういう状況か、生死に関わる状態で逃げている人には、間に合わないのが情報というものである。

 

チェルノブイリの事故があった後、アルプスの山々が汚染されていることを知りながら、

オーストリアを旅行する機会があった。

その折に、驚愕したのは、オーストリアの人々にあまりにもその事実が知らされていなかったことである。

最も危ない場所では情報が注意深く統制されている可能性がある。

 

遠くの国の情報をチェックすることによって、真実がわかることもある。

当時と違って、インターネットが広まっている今である。

決してあおっているのではない。

 少なくとも英語が使える人は、その責務として複数チャネルと地域のメディアを使って、

確からしい情報を自分なりに見極め、パニックを起こさないように注意しながら、

自分が影響することができる人に働きかけて行動する必要がある。

 

情報から知識、そして知恵へ。

生きるということに目的に固執して、まずは、あなたにとって大事な人に、必要なアクションを。

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