調査のゆくえ

| コメント(0)

何か物事を理解するために、「典型」というものがあるとすれば、

消費者というものを理解するための「典型」を形成して、

意思決定の役割のサポートをするのが、消費者調査の役割のひとつだった。

その「典型」はセグメントと呼ばれ、わかりやすいラベリングが施された。

その「典型」を作るにも、見ず知らずを理解するにはあまりにも手がかりが少ないから、ある手続きに従って、その像を導き出す手法が生まれた。

俯瞰するために数量的に。内実を理解するためにケーススダディとして質的に。

 

人間は、とどのつまり、他人のことなんか、愛しているか、

利害関係がない(「愛」すらも、生物的には利害関係の一形態と呼べるかも知れないが)と、

必死に理解しようとしないものだ。

ところが、自分とネットワーク関係が築けない・築くつもりもない不特定多数の他人にモノを売らないと、

愛する人もしくは利害関係のある人と幸せに暮らしていけないのが、消費社会の姿。

なので、 省くところはできるだけ省きグロスで扱い、どうしても必要な対象に対しては、

その見極めを厳格にしつつ、こってり濃厚なケースの理解を行い、その両者のバランスを考え、

最も効率的な価値の提供方法を考えるのが、

不特定多数への広告と特定顧客へのCRMをミックスしたマーケティング手法だった。

 

そのようなマーケティングを仮に動脈と呼ぶとすれば、

調査はその結果を反映する静脈の一部と呼べるから、基本的には動脈のありようと表裏一体となる方法論が用意されていた。 

 

さて、「マーケティング手法だった」内容が完全に過去のものになるには一定の時間がかかるだろうが、

ソーシャルネットワークのさらなる進展によって、

動脈となるマーケティングのありようがしみじみ変わっていくことに誰も異論はないだろう。

企業と顧客、顧客同士の間でつながるネットワーク型の社会で本当に何が起こるのか、その実験はまだ始まったばかりである。

ソーシャルネットワークの広がりによって、動脈となるマーケティングが徐々に変化すれば、

それと合わせ鏡にある、静脈としての調査を考えると、

SEOを越えて、ネットワークグラフから把握されるSGOそのものが、

潜在・顕在購買者についてのクラッシックな「典型」のタイプ・記述・影響力の度合いに変わる代物となる。

つまりクラッシックな手法で行われるセグメンテーションの抽出自体が無用となる可能性があるわけだ。

さらに、モノの購入に対して有効なキーマンがソーシャルグラフ上で明確になれば、そこで見出されたキーマンを惹きつけるために

導き出されたアクションと結果間のトランザクション分析がマーケティングの精度を決するようになるかもしれない。

 

ということを妄想して調査のゆくえなんかを考えてみるのだが、

もう今までのやり方には自分ながら飽き飽きしているので、

まさに、いいタイミングなのかもしれない。

 

静脈の世界も、VON VOYAGE!

コメントする