しっかり生まれてきた人たち

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いろんな仕事をやりながら思うこと。

一緒に仕事をしていてすごいな、楽しいなという仲間を見ると、なぜか、しみじみと、

「しっかり生まれてきたんだなあ」と思う。

もちろん、しっかり「育ってきた」という成長の過程を軽く見ているのではない。

その前提として、

各人が生まれてきたことをしっかり受け止めて育む場があった、にちがいない、

という過去の文脈に思いを馳せ、

それで、「しっかり生まれてきたんだなあ」と見てもいないのに、

妙に納得してしまうのだ。

 

生まれ出た後、たどる運命はいろいろでも、いったん、それは無視。

しっかり生まれてきた、という、「ある特異な時と場所の中で祝福されているイメージ」

を自分の中に持つことが、

いつ何時でも、はじめ、に返るために、重要なんだろうと思う。

しっかり生まれてきたな、と思わせてくれる人たちは、

なぜか、どんなときでも、はじめ、に還れる強さがあると思う。

だからこそ、一緒にいて、すごいと感じるし、楽しいと感じられるのだ。 

 

貧相な厩、しかし祝福のもとに生まれたキリスト生誕のシーンがなぜ重要なのか。

今までは、単に、キリストの話、としてしか見ていなかったのだが、

そうじゃない、と強く思った。

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