原初の祈念と欲望の表現

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それが、「漢字」であるというのが、白川静の立場である。

非常に遅まきながら、勉強を始めた。

その理由は二つ。

①ひとびとの祈念と欲望の表現系はまた、私の仕事が対象とする広告や商品である、と言い換えることもできる。

②伝耕のベースとなった「伝版」とは「漢字」の原型と似た共通のメタファーが基盤を成している。

なので、漢字について知っておくことは必然であるような気がしていたからである。

 

下記、白川静著『漢字』の冒頭あたりの引用。

 

古代の先進的な文化地帯には、ヒエログリフや楔形文字をはじめ、多くの文字が生まれた。

それらはいずれも、象形文字であった。しかしこれらも象形文字は、比較的早い時期に、相ついで滅んでいった。

ただ漢字だけが、いまもなお不死鳥のように生き残っていて、その巨大にして旺盛な生命力は、容易に枯渇をみせようとしない。

もしこの文字の背後に、文字以前の、はかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶が残されているとすれば、漢字の体系は、

この文化圏における人類の歩みを貫いて、その歴史を如実に示す地層の断面であるといえよう。またその意味で漢字は、

人類にとっての貴重な文化遺産であるということができる。

 

そのはかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶とは、文字が生まれる以前の「祈念と欲望の表現」である。

人間の欲望ということについて考えるとき、そこを全く知らずに通り過ぎるわけにはいかない。

 

というわけで、白川静『漢字』、『字訓』、『字統』と、絶好の白川入門書を著した松本正剛『白川静』を、

併行して今週から読み始めた。

しみじみ、ゆっくり。

ああ、おもしろい。

 

BGMには何がいいか。

ふと思いついたのが、椎名林檎。

彼女は『本能』でこう歌っている。

 

「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか

 太陽・酸素・海・風、もう十分だったはずでしょう」

 

十分だったはずなのに、十分でない、とでも言いたげに身をよじらせながら、

彼女は、呪詛のような歌を、巫女のような風情で歌う。

そう、「天」と「人間の祈念や欲望」の「メディアとなる容れ物」が巫女であり、

その存在は文字となった漢字によく現れているのだから。

 

はまりすぎ、ではないか。

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