手仕事視点

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携帯やiphone、PCなどいろいろな端末があるが、どれも似たような感触である。

つくづく、端末がもっと楽しい触感であればいいのにと思う。

文字を書くというのは頭を使う仕事?、確かにそうなのだが、同時に手を使うきわめて身体的な仕事でもある。

だからこそ、文字を書くという「手仕事」を楽しくする触感的な楽しみも盛り込んで欲しい。

 

もうみんな、どうせ、もっと便利に、もっと効率的になんていうことに嫌気がさしている(のに、それを公であからさまにすると、

世の中から見放されるかもしれないと恐れる輩は多いだろうが)のだから、

「イママデデキナカッタ、ナニカガデキル!ハヤイ!ヤスイ!」みたいなスキームは、

一応お題目としてクリアするのは勝手にさせておいて(連呼された新しい機能の1/10も使わないから、きっと)、

視覚以外に豊かな感覚を発掘、刺激するという観点でIT機器を含めた道具が作られたらいいのに、と思う。

 

かつて厳しい肉体労働を伴う職人たちの仕事には、その仕事のリズムにあう「歌」が自然発生し、

ともに働く仲間たちと歌うことによって、

労働のつらさを歌う楽しみに変えた。

 

IT機器の長時間ハードユーザーは、機器がもたらす結果ではなく、そのプロセス自体が、身体にとってうれしい刺激となることを言外に要求していると思う。

その路線の一番手前に、身体性を重視したiPhoneやiPadが発生してきたのだろうと思える。

しかし、それですら、ほんの序の口である。

IT機器を徹底的に道具として極めるのならば、自分の身体と機器の間に存在する、まさにinterfaceが文字通り重要になるような気がする。

もしかして、そのとき、さまざまな日本の職人芸がまた、価値あるものとして必要になってくるかも、と思うのだ。

 

日々、人の話を聞いていろいろな商品の評価や使い心地を文字にすることが多いが、

それはつまり、

他人にはつまらない日用品に見えても、経験するその人にとってはさまざまな感覚がちりばめられている豊饒な世界を記すこと。

 

しかし、それらを文字にするときに感じる、この無味乾燥さは何だろう。

そして、書き手が感じる無味乾燥さは、読み手にも伝染して、話を聞いていたそもそもの現場にはなかった無味乾燥さが報告内容の印象を変えることがある。

なので、絵を入れたり、図を入れたり、大変である。

絵とか図ではなく、いっそのこと、毛筆で和紙に巻物に書いてみればどうなるだろう、とか思うのである。

 

今、これを新幹線の中で書いているが、感触がつまんないので、歌でも歌いたい気分だ(そんなことしたら、きっと、つまみ出されるだろう)。

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