「見る」以外の感覚を拓く

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「みる」といってもいろいろある。

「見る」というのは、視覚に頼って目で対象をとらえること。

「観る」は現前にあるものだけでなく、アタマの中のイメージを含めて統合した像をつくること。

「診る」は医師が総合的に病気を判断すること。

「看る」は看護の中での判断を含めた行動のこと。

 

広辞苑ではなく、わたし辞書の中では、こんな感じである。

毎日ブログを書き、ツイッターで時折つぶやき、携帯やPCでメールをし、

その上、ソーシャルネットワークなどにも参加し、等々、

「見る」こと偏重の生活が続いているが、

ほんとは、「見る」以外の五感を総動することの方が好きだ。

私にとって、「観る」ことはイメージと対話しながら目の前に像をつくってそれをながめることなので、

目の前に何か現実のものがあるとは限らない。

極端な話、目をつぶっていても、脳の中で「観る」ことは可能だ。

「診る」や「看る」は視覚だけでなく、おそらく味覚以外の触覚や聴覚、嗅覚を

同時に操って判断されること。

からだの不調に関して「みる」行為が、感覚を総動員しておこなわれるものであることは

本質をついている。人間は「見る」ことだけで、判断してはいけないのだ。

 

来年のテーマは五感を総動員して「みる」ことを考える一年になるだろうと思う。

「見る」より広く、深く「みる」ことを求めて感覚を拓くために。

 

 

 

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