2010年12月アーカイブ

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ことし、いちねん、ありがとうございました。

思えば、好き勝手させていただいた、ということに尽きるわけで、

それを支えていただいた方々に、ただ、ただ、感謝です。

本当に幸せものだと思います。

 

図に乗って、来年も、、好き勝手させてもらいます。

ありがとうございます。

 

あたりまえの中からの発見

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日比野克彦による、「100の指令」より。

 

ご飯のお米は「種」なんだと思いながら食べてみよう。

 

いただいたかやくご飯は「種」の集まり。

いろんな人といろいろ話ながら、話の種をまき、種をいっぱい食べる気で食べたかやくごはん。

 

ふしぎと力がわいてくる気がした。

あたりまえの中からの発見

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日比野克彦による、「100の指令」より。

 

ご飯のお米は「種」なんだと思いながら食べてみよう。

 

いただいたかやくご飯は「種」の集まり。

いろんな人といろいろ話ながら、話の種をまき、種をいっぱい食べる気で食べたかやくごはん。

 

ふしぎと力がわいてくる気がした。

原初の祈念と欲望の表現

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それが、「漢字」であるというのが、白川静の立場である。

非常に遅まきながら、勉強を始めた。

その理由は二つ。

①ひとびとの祈念と欲望の表現系はまた、私の仕事が対象とする広告や商品である、と言い換えることもできる。

②伝耕のベースとなった「伝版」とは「漢字」の原型と似た共通のメタファーが基盤を成している。

なので、漢字について知っておくことは必然であるような気がしていたからである。

 

下記、白川静著『漢字』の冒頭あたりの引用。

 

古代の先進的な文化地帯には、ヒエログリフや楔形文字をはじめ、多くの文字が生まれた。

それらはいずれも、象形文字であった。しかしこれらも象形文字は、比較的早い時期に、相ついで滅んでいった。

ただ漢字だけが、いまもなお不死鳥のように生き残っていて、その巨大にして旺盛な生命力は、容易に枯渇をみせようとしない。

もしこの文字の背後に、文字以前の、はかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶が残されているとすれば、漢字の体系は、

この文化圏における人類の歩みを貫いて、その歴史を如実に示す地層の断面であるといえよう。またその意味で漢字は、

人類にとっての貴重な文化遺産であるということができる。

 

そのはかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶とは、文字が生まれる以前の「祈念と欲望の表現」である。

人間の欲望ということについて考えるとき、そこを全く知らずに通り過ぎるわけにはいかない。

 

というわけで、白川静『漢字』、『字訓』、『字統』と、絶好の白川入門書を著した松本正剛『白川静』を、

併行して今週から読み始めた。

しみじみ、ゆっくり。

ああ、おもしろい。

 

BGMには何がいいか。

ふと思いついたのが、椎名林檎。

彼女は『本能』でこう歌っている。

 

「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか

 太陽・酸素・海・風、もう十分だったはずでしょう」

 

十分だったはずなのに、十分でない、とでも言いたげに身をよじらせながら、

彼女は、呪詛のような歌を、巫女のような風情で歌う。

そう、「天」と「人間の祈念や欲望」の「メディアとなる容れ物」が巫女であり、

その存在は文字となった漢字によく現れているのだから。

 

はまりすぎ、ではないか。

プライド...、

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どういう場面でどんなふうに使うかによって、

その人の地金が出るのが「プライド」というものの怖いところ。

今、こんな時に地金を見せてどうするの?と言った場面で、

見せてしまう人。

対して、

今、こういときに見せてくれてありがとう、と思える人。

雲泥の差である。

 

「ロジック」と言っておけば、

地をはわずともレッドカーペットの上を歩むように物事が整理できる道が開けると思っている人、

おおまちがい。

ロジック通りに進もうと思えば、必ず泥沼を超えなければいけない。

 

さらに、「進歩」と言えば、

無理なくリニアに進むと思っている人、

進み方は千差万別なり。

行きつ戻りつ、たとえ戻らずとも螺旋状に進む、と考えておいた方が

起こりうる進歩のパタンにそう確率が高いはず。

手仕事視点

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携帯やiphone、PCなどいろいろな端末があるが、どれも似たような感触である。

つくづく、端末がもっと楽しい触感であればいいのにと思う。

文字を書くというのは頭を使う仕事?、確かにそうなのだが、同時に手を使うきわめて身体的な仕事でもある。

だからこそ、文字を書くという「手仕事」を楽しくする触感的な楽しみも盛り込んで欲しい。

 

もうみんな、どうせ、もっと便利に、もっと効率的になんていうことに嫌気がさしている(のに、それを公であからさまにすると、

世の中から見放されるかもしれないと恐れる輩は多いだろうが)のだから、

「イママデデキナカッタ、ナニカガデキル!ハヤイ!ヤスイ!」みたいなスキームは、

一応お題目としてクリアするのは勝手にさせておいて(連呼された新しい機能の1/10も使わないから、きっと)、

視覚以外に豊かな感覚を発掘、刺激するという観点でIT機器を含めた道具が作られたらいいのに、と思う。

 

かつて厳しい肉体労働を伴う職人たちの仕事には、その仕事のリズムにあう「歌」が自然発生し、

ともに働く仲間たちと歌うことによって、

労働のつらさを歌う楽しみに変えた。

 

IT機器の長時間ハードユーザーは、機器がもたらす結果ではなく、そのプロセス自体が、身体にとってうれしい刺激となることを言外に要求していると思う。

その路線の一番手前に、身体性を重視したiPhoneやiPadが発生してきたのだろうと思える。

しかし、それですら、ほんの序の口である。

IT機器を徹底的に道具として極めるのならば、自分の身体と機器の間に存在する、まさにinterfaceが文字通り重要になるような気がする。

もしかして、そのとき、さまざまな日本の職人芸がまた、価値あるものとして必要になってくるかも、と思うのだ。

 

日々、人の話を聞いていろいろな商品の評価や使い心地を文字にすることが多いが、

それはつまり、

他人にはつまらない日用品に見えても、経験するその人にとってはさまざまな感覚がちりばめられている豊饒な世界を記すこと。

 

しかし、それらを文字にするときに感じる、この無味乾燥さは何だろう。

そして、書き手が感じる無味乾燥さは、読み手にも伝染して、話を聞いていたそもそもの現場にはなかった無味乾燥さが報告内容の印象を変えることがある。

なので、絵を入れたり、図を入れたり、大変である。

絵とか図ではなく、いっそのこと、毛筆で和紙に巻物に書いてみればどうなるだろう、とか思うのである。

 

今、これを新幹線の中で書いているが、感触がつまんないので、歌でも歌いたい気分だ(そんなことしたら、きっと、つまみ出されるだろう)。

霰(アラレ)

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大阪市内で霰が降ることは珍しいがそれほど冷えた年末の日曜。

家の中での仕事をとにかく優先して、

これだけは作ろうと決めた黒豆を炊き、大根を煮て、さつまいもを焼く。

師走の歳時記のよう。

 

明日は今年最後の出張、日帰り東京だが、

冬型の気圧配置では上空が荒れやすいから、

飛行機派の私もあっさり新幹線にする。

明日、出際に投函しようとしている年賀状を仕上げる。

 

冬の夕方はにぶい鉛色。

「生きる喜び」に逆らう色。

人を不安にさせる色。

準備しなくては、という気にさせられる。

ささやか行列

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今年は諸事情あっておせちを作らない予定だが、黒豆ぐらいは炊いておこうと思い、

いつも買っている小田垣商店の黒豆、その中でも「飛切」と、阿波の和三盆がどちらも売っている高島屋へ。

クリスマスとおせち材料の買い物が重なり、地下の食料品売り場がごった返しているのは予想通りだったが、

祝い箸を買いに上がった階で、食器・生活用品売り場の中央レジが長蛇の列であったのにはびっくり。

でも、よく見ると、レジに並ぶ人の手には、

私のように、祝い箸だけ、とか、お茶碗二個だけ、とか、小さなお正月飾りをひとつ、とか、ささやかな買い物を手にした人ばかり。

なんだか、まだクリスマスの飾りつけできらきらとしたデパートには不釣り合いな気がした。

 

きっと近所のスーパーに行けば、この種のものもあるにはあるが、お正月だから、

もうちょっと、「小マシ」なものをというわけで、みなさんデパートに来られているに違いない。

つまり、「ぜいたく」のため、ではなく、「小マシ」なもののためにデパートは必要とされている。

スーパーはあっても、この種の商品を扱う専門店はもうつぶれてしまった近くの商店街の風景を思い出す。

ということは、時代がぐるりと一巡して、もう贅沢品を扱うデパートは必要ではなく、「小マシ」なものを扱う専門店がまた、必要になったということかもしれない。

 

所在なげに、こんなことをぼーっと考えていたら、やっと15Mに及ぶ列の先頭に立ち、「次で待ちの客様~」と呼ばれた。

 

やれやれ。

」だらけにしてくれてありがとうね、だけどお買い物は500円以下。

らうめん、な、イヴ

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昨日、作った鶏ガラスープが残っていた。夕方から冷えると聞いて思いついたのが、自家製らうめん。

鶏ガラスープにたまねぎとにんじんと干し椎茸、干しエビ、干しホタテを投入し煮立ててしばらく放置。

しょうゆ、酒、塩、こしょうで、味付けしてらうめんだしを作る。

豚の肩ロースをしょうゆ、酒、ねぎ、八角、こしょう、しょうがにつけ込んで、電子レンジで蒸し、

焼き色をつけて簡単チャーシューを作る。

豚バラで作らないのは、油っぽいのがいやだから。

さすがに麺までは作らなかったけど。

 

暗くなってからの冷えは厳しく、今年初めて、「頭皮が寒い!」と思った。

でも、だしまでも飲み干せる材料で作ったらうめんでカラダの芯からあったまる。

 

自家製らうめんをずるずるすすりながら、MステのSPをチラ見。

すっかりおっさんになっちゃって、そうなると歌も踊りも下手さが際だってイタいSMAPと、

おっさんなりに徹底的な分業体制を敷いていて、歌も踊りも上手いけど、

どことなく加齢臭が漂ってきそうなEXILEを続けて出すのはどうよ?、とか、

AKBよりも、少女時代とカラの方が美女美女集団よね、とか、

らうめんモード、どこまでもベタ路線のイヴであった。

 

ま、これも幸せというものである。

 

 

存在意義

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理由はなんでもいいんだけれど、まともらしく料理をして、家族で楽しむというイベントとしてのクリスマス。

スーパーで会った娘の同級生のママ、私のかごを一瞥して、「あ、クリスマスの用意?」

で、私、「そうそう、きょうぐらいは、わたしの存在意義をだしとかんとね」、と答える。

出張で家を空けることの多い私の日常をよーく知っている彼女、破顔一笑。

 

鶏ガラでスープをとり、かぶらと大根のポタージュに。

ま、ターキーと言いたいところだけど、ここは日本だし、チキンでいいね。

今年は、昨日、新聞にレシピが出ていたロールチキンに決定。

あとはサラダとチーズ、バタール。

デザートは、娘のリクエストで二色ゼリー。いちごのっけて。

スパークリングワインとぶどうジュース。

 

まとも、まではいかなけれど、まともらしい夕食。

これでいいのだ~。

 

 

 

年末年始の予定

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①本を読む

買ったまま、読んでいない本がたまってきた。

今年は事情があって、おせち料理を作らないので、年末年始は読書三昧ができるかも。

②四天王寺界隈で過ごす

いつも、本家に帰って正月の用意をしていたが、今年はそれもないので、

ここに引っ越してきてからはじめて、四天王寺で大晦日を過ごすことになる。

寺社の多いこのあたり、大晦日と朔日はどんな風景なのか、ちょっと楽しみである。

③下半期についてアタマを巡らす

7-6月という年度なので、ちょうど12月は上半期の終わり。

このマイクロな株式会社の形態をとる共同体の歩みの進め方について、

しみじみと考えてみる。

40代以上の成長

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ここにこそ個性が表れる、ということに最近気づいた。

いろんなことをごちゃごちゃ考えたり、周囲に話したりしているわりには、

根本的なことが、多分に抜けているのが私というヒトなんだけど。

 

今年は我ながら、自分らしい成長のきざしがみられたな、と思う。

しかし、それは、別に社会的地位が高まるきざし、でも、

お金がたんまりはいってくるきざし、でもなく、

ことさらなアウトプットなど何も関係もない成長のきざし、だ。

 

このまま生き続けると思うから、日々平静でいられるのが人間。

しかしながら、

いつまでも生き続けられないのが人間である。

後者の宿命をカラダで知って、なおかつ平静でいられることが、

本質的な成長にかかわることだ、ということを、私は、今年はじめて知った。

 

知識というものはふつう空虚なものだが、

この「知」からは、なぜか、「諦め」が香ばしくたちのぼってきて、

その香りが過ぎ去ったあと、

最初あんなに香った「諦め」はいすこに。

 

今の私にできること、が、私という香炉の中で小さな屑として残った。

その屑を、素直にありがとうと心に受けて進む。

 

ようするに屑、なんだろうな、ということがわかって、

それが成長のきざしなんだろうと、思っている。

マダム美奈子登場

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出張帰りの一日にふさわしい、伝耕分室の賓客はマダム美奈子である。

伝耕パートナー会社のGSS、その取締役であらせられますマダム美奈子、

別名、「超絶」通訳。 この方に、質的調査の通訳を頼めば知見は2倍である。

私がモデレーションをして、マダム美奈子が通訳担当のときは、

私は思いっきり、内容を深掘りするモデレーションができる。

並の通訳ならば、はしょってしまうところも、

日本文化に詳しくない相手の表情を見極めて、

彼女は説明も加えながら、話されている日本語を瞬時にベストの

声のトーン内容表現」で英訳してみせる。

よろしいですか、声のトーンもですよ。

これを超絶、といわずにどう表現しようか。 

 

 

 

マダム美奈子.jpg

かねてより、何かと東京と比べ、

関西は派手だと揶揄され続けてきたが、

不景気の昨今、その派手さも影を潜め、

安っぽい色味が悲しく重なる風景だけが

目立つ大阪の女性の出で立ち。

 

そもそも辛気くさい色味はクールを気取る東京に

まかせておけばいいのであって、

大阪は絢爛豪華な桃山文化であってほしい。

今日のマダム美奈子、一見シックな色味であるが、

かわいく、派手さを極めている。

 

 

 

 

いや、上の写真のどこがって?

これは失礼、写真の撮り方がまずく。

 

重要なところがフォーカスされていなかったですね。

「そんなの見たことない!」と私が叫んだこの一品、

ここぞとばかり、本領発揮、マダム美奈子のグローブである。

 

脱帽するわ。

マダム美奈子グローブ.jpg

帰宅

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14日から19日までの出張が終わり、帰宅。

家族が私の誕生日を祝ってくれた。

娘が、さまざまなカードをジャグリングする私のために、

カードケースを作ってくれ、

夫は、とにかく精米器が欲しいという私のために、

素敵な精米器をオーダーしてくれたそうで。

 

テレビでは、もうこの世にいないターシャ・テューダーの番組の再放送。

彼女のまっすぐなしつこさが可能にする、重労働かつ創造的な日々が振り返られている。

ターシャの家のあるバーモント州にしばらく暮らしたことがある私は、彼女のありようだけでなく、

画面にあふれる懐かしい景色に胸をうたれる。

六甲山系のどこかに似て。

 

心の中に、自分だけのひそかな森をもつ幸せ。

木々に囲まれ、木漏れ日の中で慈しむ時間が好きな私を認めよう。

今、ここでふと立ち止まって周りを見渡してみると、そこは森である。

 

出張帰りの夜としてはきわめて上出来なひととき。

あと一日

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5泊目になるとさすがに疲れも出る出張だが、残すはあと一日。

とりあえず、明日、無事に仕事をこなせることを祈る。

今回の出張では、それぞれの仕事について、

いろいろなことが明らかになった。

 

その結果について、展開像をかみしめつつまとめる、

という作業のイメージをふくらませつつ、ホテルで夕食。

家に電話してみると、元気そうな娘の声に気持ちがなごむ。

あー、明日、帰ろう。

 

暖かい鉄棒にしよう。」

今日の東京はきれいな空。冬は空気が澄むから都会でも空の色を楽しめる。

しかし、いささか外は冷えている。

はるかむかしのこんな日、天気に誘われ校庭に飛び出る。

誰もいない鉄棒目指して走り寄り、

最初にさわった瞬間の鉄の、しん、とした冷たさ。

ぎょっとして、いそいでカーディガンをまいたっけ。

 

日比野克彦の100の指令。

教室で言われたら、うれしそうに校庭に走り出せる自分に還りたい。

 

たこやきのともだち

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立食パーティに参加する機会があり、そこで若くしてすでにマネージメント職にある女性と出会った。

彼女は東京の両国育ちなのに、なぜかたこやきフリーク。

幼い頃、両国のお祭りのときに、必ず出ていた屋台のたこやきに衝撃を受けて以来、

ただひたすらにたこやきを愛し、ことあるごとに食しているらしい。

その理由は、あの「小さな○の中に、すべての味と栄養がつまっているパーフェクトワールドぶり」とくるから、、

どことなく哲学的である。

ゆくゆくはハワイにたこやき屋をオープンすることを真剣に考えている。

休みの日はご主人と連れ立って、新幹線で大阪までやってきて、たこやきツアーをするのが趣味。

たこやきマップ片手に、たこやきの店をはしごする。

自分でもかなりの腕前で、屋台のおやじさんの手順をじっくり観察、試行錯誤の結果、

ご主人をうならせるレベルにまで上達したらしい。

さすが、若くしてマネージメント、である。 

 

なーんて話を、えんえんとしていたら、そこで供されているバッフェスタイルの食事が悲しく思えてきて、早々に退散。

街をふらふらしながら、これでもない、あれでもない、と物色。

もう足が疲れた、帰ろうと思った頃にやっと出会ったのが、カレーうどんの専門店。「これだ!」。

ここで、「韓国風カレーうどん」をオーダー。

数十のスパイスで仕込まれた「だし」、さまざまな具材、そのだしと具材の味がしみたうどんをはふはふ言いながら食す。

これもある意味でパーフェクトワールド、恐るべし、こなもん、と思いながら、大汗。

長丁場の出張、ちょうど半ばで疲れも出ていたけど、ちょっと元気回復です。

触を表現する

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「さわる」ことによって、感じたり、判断したりすることは、ことのほか多いのであるが、

それは言語化されずにすぐにアクションからアクションに展開される。

たとえば、

「ちくっ」「ざらっ」と不快な感触であれば「手を引っ込める」

「さらさら」、「ふわふわ」と気持ちよければ「なでる」

快・不快ともに「さわる」というアクションによって得られたフィードバックは、

すぐに次のアクションに展開されるのだ。

だからこそ、「さわる」という行為の周辺には言語化されない多くの情報が詰まっている。

 

オノマトペの辞典で、触感についてのことばの現れと傾向を整理してみようと思う。

「見る」以外の感覚を拓く

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「みる」といってもいろいろある。

「見る」というのは、視覚に頼って目で対象をとらえること。

「観る」は現前にあるものだけでなく、アタマの中のイメージを含めて統合した像をつくること。

「診る」は医師が総合的に病気を判断すること。

「看る」は看護の中での判断を含めた行動のこと。

 

広辞苑ではなく、わたし辞書の中では、こんな感じである。

毎日ブログを書き、ツイッターで時折つぶやき、携帯やPCでメールをし、

その上、ソーシャルネットワークなどにも参加し、等々、

「見る」こと偏重の生活が続いているが、

ほんとは、「見る」以外の五感を総動することの方が好きだ。

私にとって、「観る」ことはイメージと対話しながら目の前に像をつくってそれをながめることなので、

目の前に何か現実のものがあるとは限らない。

極端な話、目をつぶっていても、脳の中で「観る」ことは可能だ。

「診る」や「看る」は視覚だけでなく、おそらく味覚以外の触覚や聴覚、嗅覚を

同時に操って判断されること。

からだの不調に関して「みる」行為が、感覚を総動員しておこなわれるものであることは

本質をついている。人間は「見る」ことだけで、判断してはいけないのだ。

 

来年のテーマは五感を総動員して「みる」ことを考える一年になるだろうと思う。

「見る」より広く、深く「みる」ことを求めて感覚を拓くために。

 

 

 

出張準備

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明日から怒濤の出張6日間である。

6日間にできない家の用事を一気に片付けようと試みるが...。

出てくるわ、出てくるわ、もうムリ。

いろんなものごとがダダ漏れのまま出発することに。

あー。

連泊出張はジャグリングが難しい。

 

 

触生活

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というような、コトバに出会って、面白いナーと思っている。

 

本を出したりして、アウトプットフェーズも一段落。

 

新たな展開に向けて、しばし、インプットするのだ。

目に頼らない世界というのは、どういうものだろう?

疑問だけは今まで持ったことがあるが、

具体的にどんなの?というところについてはわからない。

ご縁があったと思って、今回はスルーせず、探りに行く。

きっと手探りだな、こりゃ。

 

あべのアポロビル・ツリー

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伊丹空港からのバスを降り立つと目にするのがこのツリー。

もちろんこの時期にしかないんだけれど、

私にとっては「おかえりなさい」感が満載で、他のツリーとはちと違う位置づけ。

シンプルで、きらきらしてて、でかい、というところ、

わっかりやすくてええやん。

アポロビルツリー.jpg

ごあいさつ:ひとふでんず本

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堂島で仕事をした帰り、140bにお邪魔して中島社長にご挨拶。

今年の初め、カフェリブロ作家養成ゼミで、みなさんに初めて、ひとふでんずの試みを

お話したときに、おもしろくてためになるご意見をいただいたのが中島社長でした。

 

いや、あのときのご意見は、「エドはるみ」風キャラでひとふでんず伝導行脚する?って、アイデアでしたよね。

バブル世代、かつ、とんがった女子しか行かない外資系のキャリア、その後、何を思ったか

ねじが飛んでちょっととっちらかって、行き着く先は、ひとふでんずおばちゃん、どうよ、みたいなノリで、

ひとふでんずを描きまくるという吉本風キャラで本作っちゃう!

 

このひとふでんずおばちゃん、しかし、その存在理由は、

海外に向けての情報発信力がお粗末で、

ユーモアとプレゼンテーション能力の芳しくない、

日本人の尻をおばちゃんパワーで元気にたたくという、

浅はかに見せて、その実、深遠なもの。

「新しく出会った人、外国語を話す相手、いつでも、どこでも、しゃべるの苦手なら、

アンタ、発信したい内容の絵を描いて、まずはアピールせよ! 

ひとふでがきのひとふでんずならアテンションの獲得かくじつ!」

と、言ってアクションはげしく描きまくるおばちゃん。

これ、一見ふざけているようで、実は、なんでひとふでんずを作ったかという根本そのもの、なのです。

つまり、私そのものですね。

さすが、洞察の鋭い中島社長ですな。

 

やってもいいかな、と思ってたんですけど。

吉本新喜劇、トントン、としてこよっかな。

 

いつかやれるかも、ですね!

ひとふでんず「卯年」年賀状作成の巻

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今日は「ひとふでんず」本の発売日。めでたや~と思ったら、初日にアマゾンで売り切れてしまいました。

ちゃんとまた、在庫状態になるのでみなさん、ちょっとお待ちを。

で、「ひとふでんず」の図案デザイナーは、何を隠そう、伝耕主宰の最初の伝紋ワークショップ卒業生なのです。

本当にうれしいですね。感無量でございます。

一昨年、一番始めに、伝紋ワークショップを開催するとき、

「この中から、デザイナーとして世の中に出る人をきっと出します」と言った私。

きょとんとしている、半信半疑の若いデザイナーたちの顔を覚えております。

それに対して、今の私、

「妄想や夢想と笑った奴、ここに出てこい!」(笑)

とすごんでも仕方ないので、

「ほら、ほんとでしょ!」とすまして言ってみる。

思わず頬がゆるみます。ほほほ。

 

で、来年はウサギ年ですね。それにちなんで、「ひとふでんず」のうさぎモチーフ年賀状を作ることにしました。

でも大々的にお売りすることを考えてなかったので、ちょっとだけ。

できたら、またここでご紹介しよっかな。

igu伝年賀はがき 11日まで受け付けです

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昨年、内輪で大好評だったigu伝年賀はがき。私も欲しい!というお声にちょっこっとだけ

おこたえして、12月11日(土)まで、伝耕サイト上で受付しております。

あんまり、数はなく、今すでに1/3ぐらいオーダーをいただいていますが、よろしかったらどうぞ!

限定なので、

他の方の年賀状のデザインとかぶっちゃう可能性は限りなく低いでしょう(ファン同士以外は、ですが、 ふふっ)。

干支モチーフで、しみじみと4種類作っていますので、iguちゃんファンの方には

コレクションとしても人気です。

 

ハイアットリージェンシーのロビーにありました。ほっこりサンタさん。ハイアットリージェンシー.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪華すぎる?シャンデリアに、地味目のツリー。これもまたハイアットらしいです。

 

 

ハイアットツリー.jpg

 

 

 

 

50代受けするツリー

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今日は六本木ミッドタウンのツリー。

ちっちゃいサンタがいっぱいぶらさがっている。

50代受けするね、と横のN。

すると、ほんとに、ツリーの周りにはたくさんの50代女性が携帯でツリーをねらってた。

 

その中に、私も入ってる、よね。

tree.jpg

赤坂見附クリスマスツリー

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Prudential Tower前のツリーがキレイだったので。

青いツリー.jpg

 

ビルに写るツリーもなかなかのものでした。

ビルに写るツリー.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

雪の結晶って、造形的にホント、いいですよね。

結晶.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3時半起床の一日も無事に終わり。

粒状の音

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梯剛之氏のコンサートに行った。

ピアノのリサイタルは久しぶり。

ピアノ、好きな楽器なのだが、同時に大嫌い。

小指が他の指に比べて極端に短く、よって指に力を入れると全体としてバランスがとれず、

鍵盤の芯をねらってまっすぐたたけないという、自分の手の構造的な問題故に、

どうしても濁った音の並びになってしまう私のピアノ演奏。

習っていたときは本当にそれがいやで、高校に入る頃に練習も嫌いになり、やめてしまった。

 

音の粒というものがあるとすれば、その粒には芯があるのに、らしきところには芯が見えず、

しかし、中心性を失わない完全球体の音の粒を出すのが梯さんのピアノの音。

彼の場合、極言すればリズムやメロディは、音の粒を際だたせるために手段に過ぎず、音をつぶしすぎるやり方は

彼のやり方ではない。

どこまでも私は私、と言い切った音の一つ一つが耳を追いかけてくる。

それをうっとおしいと思うか、純粋さに感動するか紙一重なのだけれど。

ライブで聞く音の粒を額に受け取れるように、会場で目をつぶって仰向け。

演奏が始まると、

天井のもっと向こうにある天から、音のつぶつぶが、

なぜかしずく状にならずに、

完全球体のまま額の上に落ちてきて、

額の上でぱんとはねてはじけ、また小さい球体に分かれて

ころころ転がっていった。

オヤジとオバハン

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忌み嫌われる最強コンビである。

忌み嫌われる理由はごもっとも。

さらにそれを認める存在理由があるとする。

その上で 

おのおののコアコンピタンスだけを取り出して、

自らに血肉化することは、

ビジネスを存続する上で必要な態度である、ってことを

社会の中でカネとつながる既得権のない中尾半端なオバハンが知ったとき、

イタイ世間が見えた気がした。 

 

それが見えてしまったこと自体、超しょーもない、と思いつつ、

こんな極小会社をまわして行くには、

まるごとそれをやり過ごせる文脈の準備を可及的すみやかに進めることの出来る能力が非常に重要となる。

自己嫌悪と戦わなくてもいいしつらえを同時に作っておかないとやってられない。

こういう時代に生まれたある種の運命とも言える。

たいした能力がないから、

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能力がある人を応援する、と決める。

中途半端に基準を超えるレーダーチャート的能力があっても、

世の中を変えるようなものは作れないのだから。

 

もうこの年になれば、そんなことは重々承知。

やることといえば、自分自身の地平を意識しつつ、

地平ごとじりじり向こうにおしやりながら、

能力がある人を後押ししてするのだ。

 

死んでしまえば所詮無になる映像であっても

もう少し遠くを、もう少し鮮明に見たいという願いを、

いっときでもかなえるじたばたをいとおしいと思うことにしよう。

それが命の輝きであると信じて。

ソウルフード

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神戸のクリニックに検査の結果を聞きに行った。

ちょうどお昼時だったので、久しぶりに五目汁そば。

これは私にとってのソウルフード。

 

大阪市民になってまだ6年。お好み焼きやたこ焼きは私にとって新しい味。

36年も苦楽園に住み、小さい頃は靴フェチの母親につれられ、休みのたびに通ったのは神戸。

その時に食べるのは決まって五目汁そばと春巻きだった。

 

今から40年ほど前、神戸あたりにはいわゆるラーメン屋はあまりなく、

中華料理店だけは、今よりも数が多かったと思う。

海鮮の広東料理が好きな母は、あっさり目の五目汁そばが好み。

私はその影響で、ラーメンを食べる前に五目汁そばを食べていたから、

長い間、ラーメンとは五目汁そばのことだと思っていた。

そのせいか、いまだにラーメンは苦手で、一年に一回も食べない。

 

靴フェチの母がよく通っていたクセのある趣味の靴屋も代がわり。

まだ元気に店を開けており、そこでレースアップの靴を衝動買いしてしまった。

 

伝耕分室へのおみやげにと思って、元町入り口の牡丹園本館に月餅を買いに行ったが売り切れ。

南京町まで行って、エストローヤルで、ショコラクリームの濃厚エクレア、最後の4つを買う。

えっ、まだ正午前なのに、もう売り切れなの?

 

大阪に居ると、濃厚ケーキはいらないが、神戸にくるとなぜか食べたくなる。

エストローヤル.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

靴屋が残っていたのはどちらかと言えば例外で、

久しぶりに街を歩くと、残っていて欲しかった店がずいぶん姿を消していた。

老人が増えて、大人の数が多いはずなのに、

40年前の方が、「大人な店」が多かったのはどうしたわけだろう。

元町商店街の佇まいはもう、昔と違って、落ち着きのないものになっていたが、

大阪の心斎橋筋ほどひどくないからいいかな、と言い聞かせてみる。