2010年11月アーカイブ

自分自身を知ることは、

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振り向かずに後ろを見るのと同じくらい難しい。(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)

 

自分自身を知るのは難しいな、とつくづく思ったのが30代中盤、

いったいどうしようかとじたばたしたのが40代、

というわけで、その後半にいるわけだけれど、

そろそろ、らしい方法が見えてきて、

やがて、らしくできるようになる、といいなと夢想。

 

いや、自分探し、なんて、若いときに考えるとろくなことがないな、と

しみじみ思うわけです。

コレやってみたいな、誰かと一緒にやりたいな、という気持ちだけを暖めて、

それにふさわしい自分になれるよう言い聞かせてすすむ、

ということだけしていれば良かったのではないかと。

 

 

銘・大和路

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伝耕分室御用達のささやさん。今日のお菓子の銘は、大和路。

州浜に鹿の子の文様が浮かび上がっており。

大和路.jpg

かすかな甘さが、ほんと、さりげなくていいの。

毎日食べても飽きないおいしい和菓子。

その土地に古くからある和菓子やさん、重要です。

 

おやじたちは地元のすしやとか洋食やとか、言うけれど、

和菓子やさん、忘れちゃダメです。

その土地の、文化度と深く結びついていますから。

 

ほわっと

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人が何かに反応すると、ほわっと気がたったように見えることがある。

さっきと考えを変えたとき、

気持ちが高ぶったとき、

今日は仕事の中でそんな状態を何度か見て、

そういう日もあるんだな、と思った。

 

目に見えてないけど、それが見えるような。

電位か何か、本当に変化しているのだと、私は信じている。

ふらふら(続き)のアタリ

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明日の朝一番の仕事のために夜、東京へ入り。

定宿がいっぱいだったので、初めての東新宿泊。

あー、お腹すいたナー、と近くの新大久保周辺のコリアンフードを物色。

ふらふらと「ハンヤン」に。

ハンヤン.jpg

地下一階の店は大賑わい。

かなりのレベルでした。

韓国風の水餃子スープ食べました。

サンゲタンの出汁、すごく美味しかった。

ふらふら歩いて決めた店、アタリ~。

学校とか、仕事で習ったことよりも、

ふらふらにまかせる方が、

ずいぶんと精度が高いんだな、私の場合。

ふらふらにまかせる

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「筋肉の収縮を担う分子は、脳から一挙手一投足を指示されて動くのではなく、

どこへ向かえばいいかを自分でふらふら動いて探すという。

ふらふらしながら自ら進む道をみいだすことにこそ、生物の本質がある」というのが、

生物物理学者の柳田敏雄氏の持論らしい。

 

日々のお料理だって、まちあるきだって、もしかしたら、

だれも手をつけたことのない分野のビジネスだって、

ふらふらだらけである。あっち、こっちをのぞいたり、嗅いだり、

聞いたり、空気を味わったり、さわったり。

20年以上前は、筋収縮のモデルは1かゼロのデジタルで動くというのが定説だったらしいから、

まさに、「筋収縮ふらふら説」はパラダイムシフトである。

 

がちがちの戦略とか確立しすぎた方法なんか、トレースするだけでは何も生まれない。

いくぶんかのリスクをのみつつ、何か新しいものをふらふらと取り入れなきゃ、

そうすることを楽しまなきゃ、と思うと、なんだかむくむく力がわいてくるのである。

要するに、きっとわたしは真性ふらふら組である。

黄色い家お祝いお食事会

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ひとふでんず本の出版のお祝いと毎月のお食事会を兼ねて

今日は黄色い家でお食事。 パエリア.jpg

どーってことないものを、みんなでつつきながら食べる。

週末は伝耕ゆかりのメンバーの結婚式。

サプライズのお知らせ。

えーっ、そんなに若いのに結婚しちゃうんだ。

そんなに若くないと結婚できないという話もあるし。

 

そんなことをみんなでごにょごにょ。

お食事会愉し。

 

 

天王寺24時前

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あの騒がしい天王寺が終電前にはこんな感じ。

天王寺駅前.jpg

 

 

 

 

 

 

 

明日がいい日になりますように。

 

いまのところ

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会社なんかをやっているが、いまのところ、である。

無理な約束なんかするとろくなことはない。

自分のありように背く約束なんかしないことが得策だ。

ほんとうにそう思えるようになったのは、文化の縛りがきつい会社を辞めて

その縛りが根をはやしていることに気づき、はびこらない程度に根を枯らすのに

相当苦労してからのこと。

 

さて今日は、

ハンバーグという娘のリクエストにこたえ、

今日安かった黒毛和牛の切り落としをたたいてミンチにし、

50分いためた飴色のたまねぎ、ささがきごぼうを入れた特製ハンバーグと、

3本のにんじんをうらごしして作ったにんじんポタージュをメインに。

つけあわせはジャガイモ「キタアカリ」のオーブン焼き。

 

それだけで十分である。

食卓を埋める皿数は少ないが、ひとつひとつに滋味のある夕食となった。

化学反応

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誰かがやってきたことをそのままトレースすれば結果が目に見えるけれど、

何かしら新しいことを手がけるとそうはいかない。

手元にある仕事と遠いものと組み合わせて、

化学反応を待つ。

反応してきたら、どこをどう具体化するかを考えて、

かたちにしてみる。

 

わたしが、ファシリテーションや調査に関わる仕事をしていることと、

遙か昔に情報誌の仕事をしていたこと、

そして、きれいなものが好きなこと、

そんなものを組み合わせて、ぐるぐるしていたら、できたもの。

 

今年は、そういうものから生まれた本が一冊、世に出ることになりそうだ。

化学反応の結果の産物は、広い世の中でまた、どう、新しい反応をはじめてくれるだろうか。

木のキーボード

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樹脂アレルギーを持つお客さんから依頼されたものがはじまり。

福井の鯖江にある山口工芸、木のキーボードである。

この精巧なキーボード、今のところ、世界広しといえども、ここにしかできまい。

気持ちよさそうね。

なぜかipadと組み合わせて使いたくなる。

市場調査DEPOSITIONING

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市場調査は「無味乾燥で、新しいひらめきがなく、センスがないもの」というイメージがあり、

一部のマーケターからは「やっても意味がない」などと悪口を言われたりする。

 

これは巧妙に仕掛けられた認知的なトリックの結果、である。

今まであまり指摘されたことはないが、

このトリックには、日本において、

属人的感覚に頼りすぎず、出来る限り人々の共通感覚と独自性を論理に転換しながら行うマーケティングというものが

いまだに少数派で、むしろ胡散臭いと思われている状況があり、さらに、一部の外資系をのぞいては広い社会的文脈において

さほど確立していないマーケターというものの存在の脆弱さが関係している。

マーケターの他者に対する「もっと評価されてしかるべき」望ましい自己のありようと、そうはならない自己についての印象管理形成へのあせりが関連したトリックなのだ。

そのために、報われない彼らにしてみれば、

市場調査をDEPOSITIONINGしておき、冒頭のようなイメージにブロックしておくということを無意識に行ってしまうことがある。

 

しかし、皮肉なことに、日本ではまだまだマーケターの地位が低いから、市場調査はもっと低く見られ、さらにセットでもっと低く見られている。

洞察にすぐれたマーケターならこの状況に気づかないわけはない。 

 

そもそも、マーケターという人々は、

多かれ少なかれ、「確かに」、データ(質および量)を必要とし、それらを意思決定の判断基準にするのである。

しかし、それらに頼りすぎると、

センスのないマーケターと思われるかもしれない潜在的恐怖を抱えている。

マーケティングが科学とアートの融合であるということに端を発する恐怖である。

マーケティングに関するアクションについてデータだけで判断できるのであれば、彼ら自身がセンスのない、

代替可能(つまり、属人的無能な)マーケターであるというレッテルを貼られることにリスクを感じている。

 

言い換えれば、

データとのつきあい方をどのように見せておくか、ということと、彼らの存在意義の建て方は、密接に絡んでおり、

実は、そのあたりに存在不安が絡む「イタイ」種族がマーケターというものである。

 

なので、

「市場調査を信用しすぎるな」と声高に言うマーケターは、

自分が調べるという行為を「あまり」行わずとも本質を見抜くことが出来、

市場価値を創造するための方向性を示せるのだという属人的能力を誇示したいからに過ぎない。

つまり、シーソーのように、一時的に調査の位置づけを相対的に低下させて、反対側に座る自分を高くあげてみせているのだ。

もちろん、数多く間抜けなマーケティングがあるように、数多く間抜けな市場調査がある。

間抜けな市場調査を見過ごさず、そういうものに頼らない自分はすぐれたマーケターである、と。

要するに、間抜けな市場調査にお金を使うよりも、

自分に使え、と。

彼らはそう言っているのである。

 

ふしぎなことに、

そのマーケターが現在、仮に非常に優秀であったとしても、

彼らが、その成長に際して、

「間抜けでない」市場調査と「間抜けな」市場調査をたくさん経験してきて、その経験の中からはぐくんできた、

本質を見抜く習熟過程の重要性にはほとんど触れられず、さらには、

どれが間抜けでどれが間抜けでない調査なのかということいついては驚くほど語られない。

 

なぜならそれは、 極言すれば

そういうことを誰もが習熟可能な能力として、ではなく、彼らの本来的な属人的優秀さに帰属させたいからである。

 

ま、生き物とは、

自分を絶対的に価値のあるものに見せたいものなのだろう、

そう思わなきゃ、生きてるの辛いよね、とも私は思うから、

それは仕方ないのだろうけれど。

 

でも、本当に自信があるのなら、そんなこと言わなきゃいいのに、とも思ったりする。

 

どっちも地位をあげようよ。

くらげ

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ミーティングのために上京。懐かしい方にもお会いして。

入稿も無事済んで。やっとこさ、すこしほっこり。

恵比寿のMASA'S KITCHENという中華料理店で、

ちっちゃいくらげを食べました。

かわいくて、こりこりしてて、美味。

くらげ.jpg

 

ただ食べる

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いろんなことがあって、同時処理をやって、

お腹がすいた夜。

そんな時でも、白和えと鯛の子と高野豆腐がいただける夜ってのは、

今晩ボージョレをいただくことよりも、すごいことなんだと思う。

(ちなみに昨日、とあるところで、内緒で飲んじゃってたからね)

201011181950000.jpg

エネルギー補充

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ひとつ終えたら一回休憩。

そうしないといけませんね。

カラダが悲鳴をあげてしまう。

しっかり、ゆっくり、楽しく。

クリスマス飾り付け

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寒くなってくると、似合いますね。クリスマス飾り。

今回の出張の前に行ったオペラシティの電飾を紹介。

寒くても楽しみがある季節がやってきました。

大人になってもそう思い続けたいね。

オペラシティ.jpg

 

本家更科

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昨日、学校の行事で休みだった娘を耳鼻科に連れて行く用事ついで、

久しぶりに新世界の通天閣前通り、「本家更科」にて昼食。

本家更科.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、この老舗、店のどこもかしこも、ぴかぴかに磨き上げてあるのである。

まずは入り口のガラスに映り込んでいるのが、

前の道路にいる人の足であることに驚く。

 

そして、店内。天井もぴかぴか。

壁のお品書きが「木」の格子天井に映っているのがわかる。

「木」に映っているのですよ、鏡ではなく。

更科店内.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すごいぞ更科!いつ来てもそう思う。

寒かった今日にぴったりの鴨なんば。

東京の鴨なんばよりも、少しゆるめのなにわの味。

 

いくら老舗でも、そのままの決めすぎは芋臭いやん。

この感じ、エクイティそのままが正解の輩にはわからんやろな。

鴨なんば.jpg

自分の枠

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自戒を込めて思うこと。

 

自分の感覚、自分の視野、自分のスタンスについて自信を持つことは悪いとは思わないが、

それを人とつながるように使わなくてはならない。

 

なぜ、そう思うのか、なぜそうしたいのか、

語りつくそう、わかってもらおう、というスタンスが相手に伝わらないと、

結局、自分の枠内で済ませたいだけなんだな、とみなされて、

関係を切られてしまう。

 

自分の枠内だけでやれるということは甘美な誘いだ。

しかし、それは同時にリスクヘッジが効かない状況を引き受けることになる。

相手にはそのリスクヘッジが効いていないことが見える。

 

一緒の船に乗るのだけは勘弁してくれ、と決別宣言されてしまう。

 

 

 

みたらしだんご

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10日から東京に居り、今日帰阪。

盛りだくさんな4日間であった。

 

新幹線で新大阪に到着し、ふと、みたらしだんごを目にしたら

買って帰りたくなった。

夕食後に、ひと串。

甘辛もちもちとろりん、

さりげなくたくさんの感覚刺激のあるすごい食べ物であることに気づく。

 

長く残っているもの、ってそういうものなのだ。

まねできそうでできないさりげないすごさ。

そういう力をもった存在になりたいな、と、思って食べていたら、

みたらしだんごが教祖様に見えてきた。

 

 

 

 

手帳のはなし

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みなさんどんな風に手帳を使っていますか?

ということについて話を聞く機会があり、

「手帳」というものと人のあいだの親密すぎる関係について

ふと考えてしまった。

「手帳の身体性」

うーん、ちょっと考えて書いてみたいけど、

今日はもう寝ます。

出会い・再会

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今日は新しい方々との出会いがあり、久しぶりの方との再会があった。

新しく出会った方々に、自分の思いを伝える楽しさと難しさを感じた一日であった。

これからどう展開していくか、楽しみな一日でもあった。

 

順調かと思いきや、土壇場でひっくりかえることもある一日であった。

そのフェーズの展開が、どうなるか、ある意味で、先行き楽しみな一日でもあった。

出会い・再会

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今日は新しい方々との出会いがあり、久しぶりの方との再会があった。

新しく出会った方々に、自分の思いを伝える楽しさと難しさを感じた一日であった。

これからどう展開していくか、楽しみな一日でもあった。

 

順調かと思いきや、土壇場でひっくりかえることもある一日であった。

そのフェーズの展開が、どうなるか、ある意味で、先行き楽しみな一日でもあった。

移動・出張

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というわけで、今週は今日から東京。

光り輝く都市での仕事を祝して乾杯。

伊丹空港.jpg

 

 

私の今日の体調と好みとしては、いちばん左の

福寿 極上原酒、が好きな味。

試飲の甲斐ありました。

平均年齢低下

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今日は記念すべき日である。

 

伝耕東京メンバー西野ママ、初めての黄色い分室への来訪。

ふたこぶ連れである。

校了したばかりのひとふでんずに取り組む、一年生男子と

たっちができるようになった11ヶ月妹の図。

きょうだい.jpg

 

 

 

 

 

 

分室の平均年齢が、すさまじく下がった3時間であった。

 

ちなみに、BGMは会社設立以前からお世話になっている伝耕サポートメンバーのおすすめ、

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による、マタイ受難曲。

それをかけながら、昼ご飯は深川の大阪うどんの出前をみんなですする。

子供たちを見守りながら、軽い打ち合わせ。

 

へんな会社(自分で言うな)。

マタイ受難曲.jpg

 

あたたかくてさみしいところ

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12月に出るはずの伝耕はじめての本の校了を控えて、そういえば、ずいぶん若い頃に雑誌の編集をしていたときもこんなのだったっけ?と思い出した。マーケティングの販売予測や市場動向、調査などは、データや記録を扱うことが多く、主観をできるだけ入れずに提言をするのが、一昔前の私の仕事のやり方。ふた昔前、ちびっとの客観と大いなる主観で雑誌の編集をしていた頃は校了を控えて、自分のずれていく主観に振り回され、あーでもない、こーでもない、とゲラを真っ赤にしていたっけ。今は、どこまでが主観でどこまでが客観なのか、ということについて、いろんな人の主観になりきることができるから、とある主観をとった場合は、どのグループが第三者として客観の立場をとるのかなんてことを考えながら右往左往してみる。「たかが」と「されど」の軸をずらしてみるのだ。軸をずらしてみることが怖くなくなったのは、生きているということはあたたかくてそしてさみしいことがわかるようになったからだろう。どこからがあたたかくて、どこからがさみしいのか、なんて俗な人間がどんなに長いこと生きても知ったこっちゃないのだ、きっと。

 

料理がしたくなる日

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きっと、主婦の仕事は好きである。ジャグリングそのものだから。

一方、主婦の扱われ方は嫌いであった。価値をうまないもの、と見なされてきたから。

しかし、ここ最近に至って、これまで価値をうむと信じられてきたビジネスのあれこれも、

たいして価値も利潤も生まない世の中になって、様相が変わってきた。

ビジネスと主婦の格差がどんどん縮まってきた。

いいことである。

 

そんなこんなを考えていて、今日は、なんだかんだと料理をした。

そういえば、焼きそばってスペインの安い赤ワインがぴったりだな、と思いだし、

残り物で作った焼きそばとボトルの底に残っていた赤ワインと昼食。

こんな感じでとっても幸せなので、利潤追求だけのビジネスって

根本的に、わたし、向いていません。

 

やきそば.jpg

 

 

阿倍野界隈

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大阪阿倍野、昭和な街。

近鉄百貨店とJR天王寺駅を結ぶ、タコ足歩道橋は、古いのかそういう構造なのかは不明だが、

十分大きく頑丈かと思いきや、歩いていると上下にバウンドする。

いつ落ちないかとひやひやものである。

このぐらぐらタコ足歩道橋のあたり、今や、再開発まっさかり、である。

 近鉄百貨店跡.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、このタコ足歩道橋にはそこここにストリートミュージシャンが陣取って、

特に土日は音楽スポットとなる。

 

ただ、ここで歌っているだけで終わるだろうな、と

可能性が知れてしまう歌い手も多いが、

それは、分野が違えども、こちらとて同じ、と刃を自分に向けかえして、

その場を通り過ぎるのである。

 

それでも、

そこで歌う、という瞬間自体が、生きものとして重要であることは

お互いに了解しているのだ、きっと。

 

 

ひとふでんずと脳波

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今日の昼間はひとふでんずを描いたら、脳波がどうなるか、というテーマでえんえんとひとふでがきをしておりました。

簡易脳波モニター機、東芝のMindTuneを入手し、ヘッドセットをつけてひとふでがき36枚。

描いております。

脳波測定ひとふでんず.jpg

...なるほど。

ひとふでを描いている時の脳波を理解するには、

もともとの脳波パターンからのずれを確認しなくてはならないので、

それができるようにするためのデータ上のしつらえが必要ですね。

 

あと、脳波モニター機、よく言われているように装着感があまり良くないのです。

下を向いていると、だんだんずれてきて、そのうちセンサー部分が外れて

測れなくなってしまう。

 

でも、ま、やってみるのです。

チャレンジあるのみ。

 

 

深川のうどん

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今日は日中忙しかったので出前。

四天王寺の西門前にある「深川」に頼む。

今日は肌寒かったので、鍋焼き。

深川の大将自らが自転車ですーっと来てくれて、

机の上に、ちゃんと置いてくれる。

 

さて、フューシャピンクのお盆の上に鍋焼きなんて、と思ったが、

お盆とナルトのピンクと呼応し、たまごの黄色と白がPOPさを演出、

そしてわかめの黒でぐっとしめる。

なんだかよくできた絵に見えてきた。

ちなみに、だしの色は薄く見えてもしっかり味のついた

なにわのうどんのお味、さすがです。

深川の鍋焼きうどん.jpg

住吉大社

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高野山に行こうかと思っていたが、10月9日に東大寺で行われたサラブライトマンのライブ放送が

テレビで放映されていたので、つい見入ってしまい、タイミングを逃してしまった。

東大寺の大仏前で歌うという文脈の上に乗った「TIME TO SAY GOODBYE」の歌詞は、

胸にぐっとくるものがあった。アンコールでシューベルトの「AVE MARIA」が披露されたが、

それが「大仏前」で歌われたことを考えると、何か根源的な融合のメタファーのようにも思えた。

 

あっという間に一時間以上過ぎていたが、いいお天気だったので、近場でお出かけすることに。

なぜだか足を踏み入れたことがなかった住吉大社に行くことに。

天王寺から路面電車の阪堺電車に乗って住吉大社鳥居前まで。

 

 

 

 路面電車.jpg

路面電車で浜寺駅前まで行ける。

昔はこれで、浜寺の海水浴場へ行ったという話。

今ではもちろん海では泳げず、

かわりにプールというのがちょっと悲しい。

 

 

 

 

住吉大社.jpg

 

立派な鳥居。

人々がなにやら賑々しい風情。

それはもちろん、この季節といえば、

 

 

 

 

 

七五三風景.jpg

 

七五三のお祝い。

何組もの親子が晴れ着で参詣。

晴れやかな風景がそこここに。

 

 

 

 

石舞台近辺.jpg

 

石舞台の横はこんな感じ。

緑豊かな美しい場所。

 

 

 

 

 

帰りは天王寺の一つ南、阿倍野で下りてそぞろ歩き。

駅前再開発で工事だらけ。

平成なのに、なんだか昭和の工事風景に

見えるのは路面電車が走っているからなのか?

阿倍野開発.jpg

 

 

 

 

 

 

紅葉だより

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すっかり冷えてきた。

明日、紅葉狩りにでも行こうかと思ったが、

紅葉だよりを見ると、意外と「色づく」程度の名所が多いことに気づく。

大阪近郊では、まだまだのよう。

和歌山の高野山や兵庫県の氷ノ山まで行けばみごろらしい。

 

明日、簡単なお弁当をもって高野山まで行ってみるかな。

 

100%休む

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ITの進化でほぼ、いつでもどこでも仕事ができるようになって、

私のような子持ち地方生活者でもなんとかやっていけるという恩恵を受けている。

 

ただ、いつでもどこでも仕事ができるということは、休めない、ということである。

いや、休んでいるつもりなのだけれど、いつでもどこでも仕事が入り込んでくるということが起きる。

そうこうしていくうちに、

あらかじめキープしていたつもりでも、

あるまとまった時間を、100%休んで自分と家族のためだけに使う、ということを徹することが

だんだん難しくなってくる。

そうなると、一時的にからだが仕事に取られるだけではなく、頭のシェアが喰われることになるので、

結果、長い目で見て自分の足下をかためるに必要な、直観、感情、ロジックの質を落とすことになる。

結構ストレスになるんだと思う。

 

これからの時代、「100%休む」ための研究、モノ・サービスがもっと必要になる気がする。