国名集落

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先の日曜は奈良ピクニック。

廃藩置県の際に残念ながら取り壊されてしまった高取城の城下町を通って壺阪寺へ。

町並みに風情のあるところで、4キロ近い距離も近く感じ、楽しい道中だったが、

?と思ったのは、高取町の中の地名。

いわく「土佐街道」、「薩摩」、「吉備」。

なぜ、こんなところに奈良から遠い他の地域の地名が?

それも明らかに町よりも大きな地域の地名が...と思ったのであるが、

それらが「国名集落」と言われるものであることをはじめて知った。

 

いただいたパンフレットによると、

「古代大和王権は、古墳や宮殿、寺院そして道路や感概要の溜池づくり等に、

地方からの使役の民を大和に召し出させました。召し出される時は、

国造(くにのみやつこ)の役人に付き添われ、宿泊や食事も与えられました。

労働につくと、夜を日についで、工事は強行され、披露して逃亡するというのもあり、

そのような過酷な労働に耐えてやっと任務を終えて帰郷する時には政府の援助もなく、

裸同然で放り出されました。国名がつく集落は、帰郷できず、その地にそれぞれの

国ごとに来た人々が、田畑を耕し住み着いたものと思われます。」

という内容が紹介されており、

はるか昔、どうしても帰れずついに帰らないことにした人々の境遇に思いを馳せることになった。

 

この国名集落、高取町の他に、明日香村、橿原市、桜井市、天理市、三宅町にもあるようで、

その人員投入が半端じゃなかったことがわかる。

ふーん。

 

それにしても。

地名の縁起ひとつとっても、大和朝廷まで、なにげにさかのぼってしまうのである。

恐るべし奈良。

 

 

 

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