2010年10月アーカイブ

7ー11の幸せ

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日曜にざくざくと早起きをして、びゅんびゅん新幹線に乗って、ちゃきちゃき仕事をして、

また、びゅんびゅん新幹線に乗って帰ってきました。

7時に家を出て、今しがた11時に帰宅。

7月の手術後、順調に回復し、11月には

SEVEN~ELEVENな生活ができるようになっているなんて、

幸せな限り、というか、どこまでいっても貧乏性、というか。

ま、いいっか。

明日は病院でエコーです。

「そんなきれいな笑顔で、

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僕を迎えてくれてありがとう。」と限られた時間を精一杯生きる患者さんの手をとって、語りかける。

その姿がテレビで紹介されていたのは、医師の日野原重明氏である。

ほんとうに神々しいまでのきれいな笑顔を向ける患者さんの表情にも驚いたが、

たじろぐこともなくその笑顔に対峙できる言葉かけができることのすごさ。

齢99。

掛け値なし、人間の真剣なやりとり、とはこういうものかと思った。

混植

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igu伝、ひとふでんず、伝紋ワークショップのことをちょこちょこやっていたが、

伝耕のベースは「木で語る自分」という伝版でできた冊子である。

これはまだ世に問うていないが、なんというか、我らの根源的な気持ちがつまったアーキタイプのようなものだ。

***

今日の朝日新聞の夕刊、「人・脈・木」は木よ森よ⑤で、「5本植えれば森林だ」というタイトルがついていた。

木を植える人、宮脇昭氏が紹介されており、氏の取り組みとその哲学に心が動かされた。

人の手が加わらなかったらどんな森を考えるという「潜在自然植生」の概念をベースに全国で植林活動を続ける。

鎮守の森を見て、その土地にあった樹種を選び、複数を混ぜて植え込む。同じ木だけでできた純林は造らないそうだ。

「人間だって好きな仲間だけで集まれるとは限らないでしょ」、なるほど。

 

金融資本主義の破綻なんてことが言われると、対立概念ではないにしろ、共同体というコトバがまた、やたらに浮上している。

そして、その喪失が嘆かれてもいるが、復権者にもう一度問いたい。

かつての共同体はそんなにいいものだったのか。

その地域に長らく根を下ろした人々だけでできた純林のようなものではなかったのか、

純林によってはじかれたモノや人々のエネルギーはかなりのもので、それらを考慮すると、本当に共同体の復権が必要なのか。

いや、復権ではなくて、新しい共同体ということなのであれば、何を残し、何を新しくするのか、つまり何を混ぜるのか、ということを教えて欲しい。

そういうことをきちんと言っている論説はあまり見あたらないのだ。

 

さて、植樹法として知られた宮脇方式。

一平方メートルに3本程度。普通より密に植えられた苗木は競争し、互いに少しずつ我慢をしながら、

やがてこんもりとした森になる。最初の3年は草取りなどをするが、その後は森は自力で育つ。

「狭い場所に、異なった種類の木を混植する」

そういう共同体ならば歓迎なのだが、共同体を声高に唱えている人の頭にはそんな考えはないのではないか、と疑ってしまう。

***

私たちのアーキタイプである「木で語る自分」は異なった樹種のようなひとりひとりがまず自らを語り、

競争し、お互いに生き残るために我慢するということを同時に行える関係性をはぐくむことに最終目的があるような気がする。

 

なぜ、つくった本人が最終形をわかりきっていないのかという問いについては、

いろいろなレベルで設定できる最終形が無限にあるものこそ、

どこまでやっても魅力的なものだから、ということにしておく。

岡山にて

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今日はigu伝展のための試作打ち合わせと試し刷りのために岡山の株式会社内外プロセスさんへお邪魔しました。

詳しくはigu伝のところで、カバーしようと思っております。

とにもかくにも、前回に引き続き、今回も何から何までお世話になりました。

igu伝のユニークな有り様=アートのようでツールのような変幻自在さを可能にするための

アイデアが触発されるマテリアルをいろいろ教えていただきました。

igu伝、世界へ。

東京出張

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なんてことのない話題であるが、とにかく、朝起きて家事をして、

飛行機に乗って東京に行って、

ミーティングを二つして、

また飛行機に乗って帰って、

夕食を作って、片付けて、そして、今である。

 

何か少しは進んでいるのだろうと信じて一日が終わる。

何か少しは進んでいるのだろうと信じていられる日、もしくは

信じたフリをできる日がどれぐらい続くのだろうか、と思ってみたりする。

 

たかが仕事、されど仕事、たかが仕事、されど仕事、

どこで切ればいいのか永遠にわからない呪文の中に、

大いなる地方の大阪と、今時の中心地東京の間の行き帰りで生まれるあれこれが、

どこにおさまればいいのか思案顔のまま、たゆたう、夜。

 

 

ナッツ、カスタード、生クリーム

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この3点セットの組み合わせが欲しくなったら、私にとっての冬到来。

今日は出かけた先で、この3点セットのうち、カスタードと生クリームのこってりしたプリンを食べ、

分室にてナッツ入りのお菓子を食べた。意識して止めないと止まらない勢いで。

木枯らしも吹いたらしく、本当に冬がやって参りました。

 

冬生まれの私は、冬の風情は嫌いではないのだけれど、

急に寒くなって人間も動物も植物もなんだか縮こまって辛そうにしている感じは

余裕がある部分がどこにもないようでなんだかせつないな。

伝紋ワークショップ進化系

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古島くんが、伝紋コーナーに学びの連載を始めてくれました。

待ってました!

 

グラフィックデザイナーっていう職業に必要なこと。

デザインそのもの、と、一見それ以外のことに思える仕事に重要なもの(しかし本質とつながっている)のか、について

いろいろと彼なりの学びをオープンにしてくれると思います。

 

さらにこのプロジェクト、しみじみと仕込みを始めています。

より深く、より広く学びの輪をひろげるために。

私にとっては、来年のテーマに掲げるべき、大事な仕事になると思っています。

 

サムギョプサル

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最近中断していた韓国語のクラスで開催のサムギョプサルパーティにお邪魔することに。

勉強してないけど、イベントだけ参加?!

 

こういうご縁もほぼ6年前に四天王寺に引っ越してきてからのものですが、

その間にお知り合いになった方々が、結婚されることになったり、

海外にいかれることになったり、いろいろと素敵な人生の分岐点に立たれていて、

そういう門出を祝う会でもありました。

本場韓国仕立てのサムギョブサルを口に入れる瞬間のR嬢と見守るみんな。

ご結婚おめでとうございます。素敵なカップルです!!

来月早々、オーストラリアに旅立たれるそうです。

きっと素敵な生活が待っていますよ!

 

 

サムギョプサルパーティ.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、今日の会、娘が通っていた図工教室の先生のアトリエで開催されました。

この先生とのご縁も6年になりましたが、その先生もついに華燭の宴を待つばかり。

えーっ、いい話は重なるものなのですね。

 

今年の前半、病気だなんだとバタバタしていた頃は、なぜかそんな素敵なお話を聞く機会も

私の周りでなかったのですが、今まさに急に降ってわいたように。

本当にうれしい変化です。

 

さてさて、写真がちょっとぼけちゃいましたが、サムギョプサルの特別鍋。

この鍋は真ん中に油が流れていく穴があいていて、

油の排水溝みたいなものが鍋の下についており、

その排水溝に流れた余分な油を容器に受ける形になっています。

真ん中の穴、見えますか?

穴あき鍋.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この鍋で食べると、焼いた油が全部下に落ちて、

肉が油っぽくなく、お肉が最高においしく焼けました。

この鍋、さっそく買いものリストに入れました。

 

えっと、鍋の話はいいとして、

とにもかくにも、みんな、ほんとうにおめでとう!!!

周囲の人の幸せが自分のことのようにうれしい日曜の午後。

 

 

 

 

 

 

 

イベント土曜

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バイリンガルモデレータトレーニングの4回目は二組に分かれているので、後半組は本日、午前実施。

で、午後からigu伝展終了打ち上げ。

書いてしまえばたった2行のことだけれども、準備その他結構忙しかったのである。

夕方、igu伝打ち上げ時。

屋上スパークリングワインで乾杯しながら、茶臼山近辺を観察していたら、

カラスのお宿となっているらしき茶臼山のすさまじさ。

軽く数百羽はいるであろうカラスが三々五々集まってくる。

きっと、彼らの総合能力は、伝耕分室総合知力よりも高いだろうな、と思いつつ、

くいっと一杯。

楽しいぞ、伝耕。

「あまの」味噌煮込み

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久しぶりに食べるチャンスに恵まれた。

梅田にある「あまの」のきしめん。濃厚な味噌がからまった味は時折、無性に食べたくなるのだが、

キタから住居も職場も遠ざかり、ご縁がなくなっていた。

しかし、今日、エアコンとオーディオを買うという「大買い物」のために昼前に梅田に出る用事があり、

昼食時「あまの」チャンス到来。

味噌煮込みのきしめん、これです。

あまの味噌煮込み.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20年以上前から訪れていたお店だが、しばらく遠のいているうちに、

すっかりきれいになっていて、なんだか、垢抜けた感じになっているな、と思いきや、

吉田嬢が不思議な板がカウンターの椅子の下部につけられているのを発見。

 

 

あまの椅子.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この板は、もともと椅子についていたものではないようで、

あとからつけられた手作り。

奥の人を見ると、荷物を置いて足も置いているし、

ここには写っていないが、書類鞄を置いている人もいた。

たしかにデッドスペースの活用法かと。

フックにかからない荷物や、持ち手のない荷物があるときは

カウンター席は処理に困るが、かといって、横の椅子に置くのも迷惑。

 

そう考えてみると、超絶問題解決だったりして。

この問題解決方法をしみじみとした観察から見出したさりげない創造性は、

ここのきしめんと通じるものがあると思う。

 

久しぶりの「あまの」、満足でした。

弘法さん

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21日の今日は、四天王寺で弘法さんの市。

昼時に出かけたついでに境内を通ることになった。

ぱらぱらと雨が降ったりやんだり、の不安定な天気で

人出はもうひとつ。

弘法さん.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、金魚鉢を衝動買いし、分室にお持ち帰り。

使われ方はまた、伝耕ブログのどこかでご紹介しましょう。

国名集落

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先の日曜は奈良ピクニック。

廃藩置県の際に残念ながら取り壊されてしまった高取城の城下町を通って壺阪寺へ。

町並みに風情のあるところで、4キロ近い距離も近く感じ、楽しい道中だったが、

?と思ったのは、高取町の中の地名。

いわく「土佐街道」、「薩摩」、「吉備」。

なぜ、こんなところに奈良から遠い他の地域の地名が?

それも明らかに町よりも大きな地域の地名が...と思ったのであるが、

それらが「国名集落」と言われるものであることをはじめて知った。

 

いただいたパンフレットによると、

「古代大和王権は、古墳や宮殿、寺院そして道路や感概要の溜池づくり等に、

地方からの使役の民を大和に召し出させました。召し出される時は、

国造(くにのみやつこ)の役人に付き添われ、宿泊や食事も与えられました。

労働につくと、夜を日についで、工事は強行され、披露して逃亡するというのもあり、

そのような過酷な労働に耐えてやっと任務を終えて帰郷する時には政府の援助もなく、

裸同然で放り出されました。国名がつく集落は、帰郷できず、その地にそれぞれの

国ごとに来た人々が、田畑を耕し住み着いたものと思われます。」

という内容が紹介されており、

はるか昔、どうしても帰れずついに帰らないことにした人々の境遇に思いを馳せることになった。

 

この国名集落、高取町の他に、明日香村、橿原市、桜井市、天理市、三宅町にもあるようで、

その人員投入が半端じゃなかったことがわかる。

ふーん。

 

それにしても。

地名の縁起ひとつとっても、大和朝廷まで、なにげにさかのぼってしまうのである。

恐るべし奈良。

 

 

 

バイリンガルモデレータ講座第四回

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18時半からスタート。質的調査のフローを作る「実践編」がスタート。

今日は実際に進行プロセスを作ってみることに。

 

質的調査のフローによって具現化される進行プロセスとは、

肝は、マーケターの仕込みと、市井の人々の受け取り様を同じ頭でシミュレートして、

その違いが際だつように話を構成すること、そしてこの構成により、どういう施策をとればいいかという

問題領域が明確かつ詳らかになるように話をすすめるためにはどうすればいいのか、ということを

いくつかのオプションを抱えつつ提案することに尽きる。

 

それ以上でも以下でもなく。

 

二週間と千日

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「脳の仕組みとして、ニューロンのシナプス結合が更新されるのですが、

アーリー・イミディエート・ジーンといって、遺伝子が発現し、

タンパク質が合成されて定着するのに、およそ二週間かかります。

脳の更新というのは案外とゆっくりしていて、時間がかかるのですね。

習慣化したものでなければ形作れない何かが必ずあると思うのです。

そういう意味で千日回峰とか、千という数字の単位には古(いにしえ)の

知恵があるように思えるのですが。」

(「脳と日本人」より、茂木健一郎氏の発言)

 

新しいことを学んでいるつもりでも、脳を芯から更新するには時間がかかる、というのは

うなずける話である。

千日といえば約三年。「石の上にも三年」につながる。

一つの結合の定着に二週間かかるとして、千日後、もしくは三年後、どのぐらいの新しい結合が

定着しているのだろうか。

そう考えると、たいした数の更新ではないような気もする。

 

今、やっている伝耕的とりくみ、とりあえず、千日は続けよう。

上海万博入場者数

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103万人という記事をみた。

これまで最高であった大阪万博を越えたらしい。

1970年の大阪万博の記録が塗り替えられたことがないことも驚きだが、

それを塗り替えたのが上海万博であることに感慨を覚える。

 

折しも、中国各地で反日デモ。

累積し潜在化していた恨みが表面化。

歴史の道、時代に譲られたものだが、譲る番が回ってきた。

さて、どう振る舞おうか。

 

テルマエ・ロマエ

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画像には出ていないが、

マンガ大賞2010と手塚治虫文化賞(短編賞)ダブル受賞という賑々しい帯につられて買ってみた。

テルマエ・ロマエ

古代ローマの真性仕事馬鹿「ルシウス」という名の設計技師が浴場のアイデアに行き詰まり、

現代日本の銭湯や温泉、風呂場にワープして古代ローマにアイデアを持ち帰ってそこで

「いい仕事」をする、という話。

テルマエ・オマエ.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろんな評があるようだが、

これって、

「贅沢言わないから、西洋人からこんな風に見られたら本望かも」という

等身大の日本人の願望をうまく表現しているところが面白いと思う。

陰影ありまくり面相のルシウスの目に映る日本人は

奴隷にしか見えない「平たい顔族」と表現され、

そんな(美しくもない)「平たい顔族」が自分たちを上回る感性や技術を持っているわけでもない!

と信じたい彼のプライドが、さまざまなサービスやモノに出会って次々と打ち砕かれていく。

要するに、「平たい顔族の国、日本」礼賛マンガ。

 

そういう理由でダブル受賞だったのかな、と思ったりして。

ちょっと寒い夜

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こんな日は、ぬる燗で秋の深まりを感じたいところだが、

昨晩、今日の出張に備えてカレーを作っておいた。

なので、ぬる燗ではダメ。

クローブ入りの梅酒で。

 

ちゃんとお料理してから出張。

えらいぞ。

備えあれば憂いなし。きちんと夕食。

確かに安全かつ優等生な感じはするが、

どうもぴったり感に事欠いて、

人生のたいせつな瞬間を逃したような気がしてしまう。

 

igu伝アクリル展今日まで

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大阪ミナミのスタンダードブックストアまでお運び頂いたみなさま、ありがとうございました。

来られていない方は、次の機会、来年のゴールデンウイーク、igu伝デビュー展をお楽しみに!

igu伝展でお出ししていたボードが伝耕分室に帰ってきました。

なんだか楽屋に戻った踊り子のよう(?!)

 

igu伝プレート.jpg

 

 

 

 

 

 

 

次なる作品と展示、もちろん準備はじめてます!

みなさまお楽しみに!!

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去年の今頃は、思わしくない検査結果が出て、そういえば複雑な秋だった。

葉の色の移り変わりを刻々と感じたり、先の縮れた枯れ葉を凝視して、

一分一秒が長かったように思う。

 

ひとときもじっとしていないのが今年の秋。

金木犀の香りとともに走り去ってしまう。

元気で気持ちよく仕事をはかどらせている間に過ぎる時間というものは、

その快適さと裏腹に意味づけのされない軽い時間なのだ、ということに、

今日気づいた。

消えモノ

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バブル後の不景気はとてつもなく長い。

そのうちに世間はどんどん高齢化。

お金はたいして流れていないのに、家の中はモノだらけでパンパン。

いらないものは多いが、欲しいモノは少ない。

 

洋服だって、インテリアだって、所詮、海を越えての到来仕様。

ならば、どこまでいっても借り物の感はぬぐえず。

辛辣なようだが、結局、60過ぎて、洋服が本当に似合っている人は少ないし、

洋食器を使いこなしている日本の「普通の」家庭は見たことがない。

かといって、和服を着て、日本の家屋に住む教養も財もなく。

ならばファストファッション、無印の食器が身の丈か。

 

というわけで、小金はおいしいお米とか、贅沢な佃煮とか、手間暇かかった味噌醤油、食感豊かなスイーツ、に回っていく。

今年の歳暮商戦の売れ筋贅沢商品を見ると、似合わない贅沢を通り過ぎて、もう何も欲しくない、

団塊以降年寄りの好きな消えモノばっかりですね。

食用ほおずき

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今年はじめて、食用ほおずきなるものを口にした。

もうシーズンも終わりらしいので、食べおさめを記念してブログにアップ。 

ご存じの方もいらっしゃるかと思うが、外観と中身をちょっとむいてみた姿はこんな感じ。

食用ほおずき.jpg

 

 

 

 

 

 

 

味は、南国フルーツ系統。

マンゴーとパイナップルのミックス味。

「ほおずき」というイメージが和風だったので、

それからすると意外でびっくりである。

今日は、今年最後のほおずきが似合う、暑い日だった。

エピクテトスの願い

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二千年近く前、ローマにいた哲学者エピクテトスが、「平安の祈り」で神に与えて欲しいと願った三つのことが紹介されていた。

なるほど、と思ったので、ここに転載。

 

三つの願い

①自分に変えられるものと、変えられないものを見極める賢さ

②変えられるものを変えていく勇気

③変えられないものを受容する寛容さ

 

この三つ、賢さと勇気、寛容さを神に願うということは、いにしえの時代から、人間にはなかなかできないことだったということ。

さらに二千年たって、今の人間がこの三つをできるようになっているのかというとそうでもない。

私だってこの三つ、神様にお願いしたい。

それにしても、二千年かけても根本的には人間はさほど進化していない、ということから学べることは何だろうな。

秋の味覚

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といえば、いろいろあるが、きのこ。

日本にはなんと4千種あるらしく、そのうちに、食べられるのは3百種ほど。

最近はマイスターばやりだけれど、「きのこマイスター」というのもあるらしい。

食用きのこと外見が似ている毒きのこ、も多いから、

この「○○マイスター」の名前の印象がどこかほんわかしている一方で、

「きのこ」については命を預けるリスクについてもつい考えてしまうので、

きのこ、に関しては「○○マイスター」という名称じゃなくても良かったかな、

と思ってしまう。

 

さて、明日は10月10日祝日。今日、東京から帰ってきて疲れを癒したので、

あしたは家でゆっくりお料理をしてみよう。

というわけで、きのこのキッシュでも作ろうかな。

 

 

ごひいき

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今日は東京。

いつもの和食どころに行くと、こんなものが。

ごひいき?.jpg

リーズナブルな価格でおいしいお食事がいただけます。

ちなみに、前回いただいた「利き酒」セットはお酒の銘柄を

表記したラベルがついていて、進化していました。

ききざけ.jpg

特許の見送り

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ひとりじめせずに、富を手放し、結果、名誉を得た。

ノーベル化学賞。

誰もしないことをするという山師のアプローチ、さらに独り占めしないという共有の思想。

ずっと、日本に居て、共同体、共同体と訴える前に(結局そうなってもいいけれど)、

いったんは外に出てて、外周から自分の国を見ることの価値を知ろう。

復調

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早起きして体操をして、朝食の準備をしてかたづけて、洗濯をして、干して、

時間制限を設けた掃除をして、メールチェックを手始めに仕事のウオーミングアップをする。

これが元気なときの朝の日課。

今朝は5時台に起きてこの日課がフルセットできた。

本当にうれしい。

 

実は病気になる1年ぐらい前から、朝の日課のいくつかができなくなっていた。

病気との因果関係はわからないが、どこかエネルギーが滞っているような感じ。

たいてい、洗濯が干せなかったり、時間制限の掃除がカットされたりして、

家の中の管理レベルが明らかに落ちていたが、見て見ぬふり。

 

術後は、さらに見て見ぬふりの連続だったので、

家の中は、「惨状ここに極めり」状態が続いていたが、

ここ最近、時間制限掃除が復活して、部分的な改善がそこここに見られるようになった。

 

ということで、もう大丈夫。完全復調です。

10月のきれいな秋空にありがとう、と言おう。

お菓子の中身

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モクシュク、コウキツ、ショウシといえばなあに?と言われてわかるのはかなりの通?

リュウガン、ウイキョウ、レイシとくれば植物とわかる人も多いはず。

こんな薬草系の花から採取された蜂蜜が入った焼き菓子をお裾分けしていただきました。

どんな味がするのかな?

 焼き菓子.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お菓子の説明のシートがすてきだったので、王冠みたいにくるっと巻いて

撮影してみました。

 

薬密おかし.jpg

ソローのことば

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~未来や可能性への展望において、僕らは、あらかじめゆとりを持って、決めつけずに生活をし、できるだけ線引きは曖昧にしておくべきである。「森の生活」~

 

「森の生活」を著したソローについては、単なるイメージから「森で思索に満ちた生活をして、長生きした人」と勝手に思いこんでいた。

しかし、彼は1862年に44歳でこの世を去っている。今の私の年齢よりも若い。

 

彼自身そんな年で世を去るという未来図、つまり、線引きは彼の中になかっただろう。

 

生きるスタンスについて彼の書いたものを読むと、常に時間の切り売りを嫌ったことが伺える。

「あらかじめゆとりを持って、決めつけずに生活をし、」というくだりにもそれがあらわれているが、

そういうことがさりげなくでき、

線引きは曖昧だけれど、その線があることは意識して粛々とものごとを運ぶ、

という過ごし方に、つくづくあこがれる。

 

そうすると、総時間的には他の人よりも短い人生でも、「生きた」実感のある人生になるんだろうな。

ジャグリングしない生活について思索中である。

 

 

 

ぽーっとした私

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ここ数日中、ふとした拍子に、私が結婚したときの写真を見た娘が、

「なんか、ママ、ぽーっとしてる。今の方がいい。」とのたまった。

このコメント、捨てがたし。

 

ぽーっとしているのは幸せの代名詞。

リスクマネージメントなんて、どこの話?と信じて疑わない瞬間を勝ち得た私の数少ないモーメントである。

 

それを否定する娘は、未来を担うXX。

彼女の立場からすれば、ぽーっとしていて役立たずなリソースならば、

自分にはいらないと言っているのである。

 

あまりにもまっとうな指摘なのでたじたじとした。

そう、私、今はぽーっとしていないし、ぽーっとできる状況にあっても、何かしら頭がじたばたしている。

じたばたするのは、フォーカスが自分になく、未来にあるからである。

 

でも、次の世代に向けては、

盛りを迎えるプロセスでは、ぽーっとする時間は重要だ、と言って残したい。

世界の中で誰一人も共感してくれなくても、

いや、これは深い話だね、とひとりごち。

香ばしい失望

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松本正剛氏の言葉らしい。

断念することで自由になれる、かえって前に行けるということ、確かにある。

ポジティブシンキング、なんていう質の悪い油のような表現とは格が違うから、

胸焼けせずに、すっと身体にしみる。

 

今日は免疫療法。

免疫療法の注射のあとは、身体がだるくて、午後いっぱいは眠りこけることになった。

 

というわけで、午後やろうと思っていたことはすべて白紙のまま。

ずいぶんとジャグリングしてきた人生だが、ジャグリングできない事態も身体にしみた。

予定は書き換えられるだけで、アウトプットの少ない日々が続く。

 

何をして、何をしないか、その決断を辛いととらえるのではなく、

香ばしいととらえる時期が来たんだろう。

 

 

 

時間の姿

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大阪の今日は、まばゆい秋。

朝から何か不思議な気持ちにとりつかれて、

大好きなマタイ受難曲を聴いていたら、

音楽は、ただ過ぎてゆくばかりの過酷な時間を彩る「時間の化粧」のように思えてきた。

そして、

音のつぶつぶで化粧を施し、変幻自在に印象を変える「時間の姿」を凝視しているような気分になった。

 

こんな感覚は生まれてはじめてのもので、なんともいえない幸せな感じに包まれた。

 

自分の中で何かが変わる、そんな予感がします。