「なぜこの人は

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こんなに変な世界をもっているのか」という問いへの答えです。

と著者大野英士氏が語る新著。

ユイスマンスとオカルティズム

下記、新評論社から送られてきたニューズレター掲載の著者インタビューより抜粋。

 

問:本書の「神の死=ニヒリズム」が世紀末を規定しているというテーゼが、現代においてもつ

積極的な意味とは?

  我々人間は地球という生態系が成立しゆく時点で、様々な偶然の戯れによって偶々生まれた

狂った種なのかも知れません。けれどいずれにしても我々は「意識」を持ってしまったのだから、

自分たちの素材の根拠や意味をもとめざるを得ない。19世紀はそんな「意味の根拠の喪失」を

オカルティズムで埋めようとした時代でした。いや、現在もなお我々オカルティズムに囚われて

いるといっていい。超越と内在の問題を、オカルティズムを媒介させずに解きうるか。

ユイスマンスが突きつける「問題」があるとしたら、突き詰めればそこです。

 

問:人文的営為を蔑ろにするこの趨勢のなかで、文学研究は時代批判とどう関わるのでしょう?

  慢性的な「利潤率の傾向的低下」という資本主義の根本矛盾を糊塗する手段として新自由主義が

登場した。そこでは単に「生き残る」だけでなく「人間らしく生きる」ことを可能にする人文的教養に

集中攻撃がかけられ、それは日本でさらに露骨な形をとった。だがいまや「生き残り」に動員されて

いる人々ですら、そんな生き方に辟易しているのが現実ではないか。目先の利益を考えずテクスト

を読む喜びと欲望を手放さない覚悟こそ学問本来の姿ですし、そうした文学の意味に共感してくれる

読者がいるのだと確信しています。

***

 

私にとって印象的だったのは、

「生き残り」に動員されている人々ですら、そんな生き方に辟易しているのが現実ではないか

というくだり。

 

MBAもしくはコンサルティングファームでの経歴をもっていて、さまざまな業界のベストプラクティスに通じ、

引く手あまたな人材の中に、「そんな生き方に辟易」している人がいるのを垣間見る。

彼らが個人的に必要としているのは、おそらく、近視眼的なROIを確かにするものではなく、

コミットしてしまった相手との間にもうけた「自分の子供をどう導くのか?」という長期的な(生物的な)問い。

 

今日明日の雇用とお金に苦労していない彼らの小さくくぐもった声は景気回復大合唱の波の中で消えている。

彼ら自身の寄る辺となる思想が、今、見あたらないように思えることこそが底深い問題なのであり、

だからこそ、今、オカルティズムに対する思考が重要なのだと思う。

 

19世紀末から100年を経た今、「神は妄想に過ぎない」と、どこかの脳科学者が言い切る時代なのだ。

だったら、次の100年、どうすればいいのだろう。

 

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