2010年8月アーカイブ

首筋のブローチ

| コメント(0)

伝耕分室では店子さんたちも含めて、月一のお食事会が最初はプランニングされていたのだが、

単に、

大家わたくしの都合で、2ヶ月もしくは3ヶ月に一回になり、それも不定期急襲の迷惑な開催になっていた。

で、今日、急に開催。

いくつかの仕事の切れ目と、私の放射線治療終了、8月末ということで、お食事会。

 

ってのはよかったんだけど、

宴もたけなわの頃、

フォトグラファー長谷川氏の襟元に紡錘形の茶色物体が止まっており、

それが少し首筋方向に動いて止まったかと思ったら、おもむろに飛んで逃げた。

 

目の悪い私、最初、蛾、かと思ったが、それは体長5センチ弱のゴキブリであった。

首筋にブローチのように見えたのはコックローチであったか...。

 

それからが、私の周りは大騒ぎ。

ぎゃーぎゃー言って、

コピーライター古島氏がコックローチをたたきつぶして絶命。

 

ツタがからまるような建物が周辺にあり、古い建物があるところのゴキブリは、

飛ぶ、というのが私の持論。要するに、外ゴキブリ。飛び慣れている。

飛び方が結構正確だったので、おそれることなし(とんでもない奴は顔に向かって飛んでくる)。

もちろん、誰にとって大丈夫かというと、私に。

 

長谷川君は単に虫に好かれるね。2Fでは蟻が大発生するし。

競走馬を撮ってる場合じゃないかもよ、やっぱ、虫かも!

こげぱん

| コメント(0)

30日間の放射線治療が終わった。この酷暑の中、往復50分の炎天下通院はなかなかにハードだった。

さらに、病院の中で小1時間ほど過ごすから、合計2時間弱。

この2時間のせいで、土日を除くとほぼ一月半のワーキングタイムの間、午前中がほぼつぶれていたので、

常に時間貧乏の日々であった。

あー、この通院日課からやっと解放されると思ったらすっきり。

 

さて、

照射した左の胸は、ひどい日焼け状態で、胸板に「こげぱん」がくっついているみたい。

「こげぱん」はこれから1年の間3回ぐらい脱皮してもとにもどるそうである。

 

放射線技師の方々、先生、どうもありがとうございました。

とにもかくにも、少しすっきり。

福岡伸一センセイのコラム

| コメント(0)

8月29日、日曜。新聞の求人欄上にあるコラム「福岡伸一が語る仕事」4回目。そうだよなーと思ったので、備忘録として前半部分をここに抜き書き。

生態系の中に人間を位置づけてみる

 人類には約700万年の歴史がありますが、その大半の時間、飢餓と不足と欠乏にさいなまれていました。そのために足るを知るリミッターのほうはほとんど必要なかった。だから現在、どんなものでも必要以上に占有しがちになるのですね。土地を占有し、お金を占有し、男は女を占有し、女は男を占有する。

 他のほとんどの生物は、分を知っていて、自分が食べる食べ物はこれ、自分が行動する半径はこれくらい、鳴き合う周波数はこのくらいというように、資源をすみわけて禁欲していますね。すべての生物が、ありとあらゆるところに棲息しつつ、自分の分を守って、そこで、情報、物質、エネルギーをパスし続けている。それはものすごく多数でたくさんの球をけり合い、勝ちも負けもないサッカーをやっているようなもの。動的平衡を支えるために、できるだけ多種多彩なプレーヤーがいればいいというのが、生物多様性の理由です。

 ところが人間は、根深く占有という呪縛に固執して、そのパス滞らせ、結果、自然が持つ持続可能性を阻害してしまう。この世の中の生物すべては、絶え間ない合成と分解の中にあってそれに身をゆだねているわけですが、人間だけは自分を担保する分子的な基盤がないと不安で仕方がない。だから、外的な制度に依存してしまいます。ロハス(Lifestyle Of Health And Sustainability/健康で持続可能なライフスタイル)という考え方は、外的な制度から人間を自由にしてくれる思想ではないでしょうか。

 私たちのパラダイムを占有から少しだけ共有のほうに戻すことができたら、本来の生物の生態系の中に、人間を位置づけることができるんじゃないかという発想ですね。

 

 「経済活動において、過度の占有の欲求を持ち続けられるヒト」というのは、世間的には「やる気がある、パッションがある」などと肯定的に評価され、そういう欲求を持ち続けられないヒトは、「やる気のないヒト」と扱われ、総じて評価が低くなりがちである。

 過度の占有とは、もう少し言うと、「対象となる領地が明確で、そこにおける競合との競争に勝ち寡占すること」、つまり、「すでに数値化された領域での経済活動での勝者」。そこで活躍する可能性が高いのは「過度の占有欲求=競合と競り合い続ける欲求のあるヒト」。企業はそういう人材を欲しがるし、転職者や新卒者もそれを知っていて、道具としての能力が自分に伴っていることと同時に、本当はそうでもないのに、自分の欲求エンジンのタイプが「競争系」であるフリをすることになる。

 競り合いを前提としない、勝ち負けの制度すら存在しないオープンスペースでこそやる気が出るヒトもいる。経済が牛耳る世界でその活動自体が窮した今、オープンスペースに向いたやる気から何かが生まれる仮説は成立しても、現実のものとしてその価値を斟酌する余裕も基準も周囲にはない。福岡センセイがお書きのように、すでにそこにある外的な制度に身をゆだねるのが人間なのであるから。

 一方で、人間は、他の動物に比べて長寿であるから、欲求のない対象に対して、欲求のあるフリを瞬間的に演じることだけで人生を終われない。長寿ゆえに、欲求のあるフリをし続ける呪縛をかけつつがんばってみても、結局、あとに残るのは、多大なストレスである。人間が営む活動の中で、経済活動の割合が寡占である、と言ってもよい日本の中では、欲求のあるフリをすることによって生じる社会全体のストレスは膨大なものであろう。米国にいたっては、これで破綻しかけている。

 あー、なんだか、いっぱいため込んで安心するためにがんばっていたつもりが、気がつくと、モノだけは山盛り、でも、自分は老い、子供は少なくなり、周囲の自然は消え、みんななぜか不幸そう、というのが日本の現状であるとすれば、「じゃあ、どうして、過度の占有欲求があるフリをしなくちゃいけないのか?」と思い始めたヒトは多いんじゃないかと思う。過度の占有欲求の残骸をみてしまった今の若い人や、過度の占有欲求があるフリをしなきゃ認められないんならやってやるわよ、と思って化けた男女雇用機会均等法組のなれの果て組(過度にオヤジ化したおばさん)とか、最近会社を辞めた人、過度の占有競争を興じた肉食系男子の腐敗を目にして転じた草食系男子とか。

 しかし変わってきたのは、社会の空気として、そういう人たちを「負け組」と呼ぶことに、ちょっとためらいのある空気。

 もしかしたらそれは、人間が、どこまでいっても自分を担保する分子的な基盤がない存在であることを認めはじめ、そういう存在自体が招く限界について、具体的にイメージしはじめたのかな、と肯定的にとらえてみる。 

28度の意味

| コメント(0)

先日、ドイツのエアランゲン市にお住まいの方をゲストスピーカーとしてお招きした会に参加する機会があり、

ビジネスと文化にまつわるお話を聞いた。

エアランゲン市は、人口約10万、ドイツの地方分権が徹底した制度のため、教育と文化は地方の仕事。

教育活動はボランティアが当たり前。

文化活動も市内の企業からの出資でかなりまかなわれる。

 

教育と文化のレベルが高いと、企業誘致にも成功し、税収が高まり、

文化支援も潤沢に...。という話だったのでそれはそれで興味深かったのだが。

上品な教養よりも、おもしろいトリビアについつい惹かれてしまう。

 

日本では連日35度、37度レベル、冷房設定温度を28度にしましょう、という呼びかけ。

この冷房設定温度をドイツで話したゲストスピーカーの方は、

単なる冗談としか思われなかったそうだ。

というのも、

ドイツ、エアランゲン市の小学校では気温が28度以上(29度だったかもしれないがいずれにせよ30度未満)になったら、暑すぎるので、学校は終了。

生徒は全員帰宅だそうだ。

えっ???

そっちの方が冗談にしか聞こえないんだけど。

おもしろ。

へんな塔

| コメント(0)

今日の帰宅ルートは地下鉄恵美須町駅から。

なので通天閣が見ながら帰るルート。

それにしても派手ですね。へんちくりんな感じ。

 

もう何もむずかしいことを考えたくない金曜の夜にぴったり。

恵美須町通天閣.jpg

日本語・英語話せるバイリンガルの質的調査モデレータ養成。

こんなことやっているのはココだけじゃないかしら。

スーパー通訳集団のGSSさんとコラボで開始。

大阪でやってもねーというつっこみはごもっとも。

ま、でもね、東京なんか近いから。

 

過去2回で下記の内容をカバー。

①マーケティングと調査との関連

②量的調査と質的調査の使いわけ

③製品・商品開発と調査課題のとらえ方

④テーマ・クライアント別のアウトプット内容とレベルの期待ハンドリング

⑤代表的なフロー

等々、この分野のヒトならわかる、もしくはこの分野のヒトしかわからない

分野的にはおタクだけれども内容的には「基礎的」な部分をざっと概観し、

その3で、「応用」部分に突入。

 

質的調査の奥義は、

①対象者の思考の基本のフレームの確認と、

②対象者本人が気づかないので自発的には発せられない、が、つっこまれると影響力の大きい側面の切り込み

(→つまり、この場面で「インサイト」なるものが出てくることが多く。あ、ちなみに、「インサイト」ってすんごくダサい表現だといつも思います。)

この二つを呼吸のように組み合わせることに尽きる、と思います。

で、②の部分の切り込みをプローブといいますが、これをどんな風につっこむか。

サントリーの角ハイボールCMをテーマに練習しました。

 

「異性の中でもどうでもいいや、むしろいない方がいい」と思っているタイプの対象者の思考になりきることが、最も関与が低くゆえに、モデレーションのパフォーマンスも低くなるという見極めのもと、

(この見極めの理由は、このようなタイプを相手にすることが生物学的に最も意味がない(もしくは絡むと害がある)相手だと瞬時に判断してしまうのが、動物の側面をもつ人間のサガだと思うからです。自然とパフォーマンスをプラスどころか、マイナスに持って行こうとする。経済原理の押しつけ、よりもこっちの方が強力だったりして。「金出しているのに、言うこと聞かない...。」ってことが起こるわけですね。)

「あのCMに惹かれてしまうオヤジの心理」という設定で、インタビュー場面を想定しつつ、①と②の練習。

 

あー、我ながら、秀逸な素材でした。

盛り上がりました。

どんな風にって?

ははは。

これを書くとブログにしては長くなりすぎますね。

バイリンガルモデレータトレーニングというテーマを含め、この話題に突き抜けた興味がある方は直接お問い合わせくださいませ。

結局、何を食べたいか

| コメント(0)

やること満載で、疲労困憊、夕食をきちんと作る暇もない。

そんなとき、どうしようもなく食べたいものは、

まったく皮肉ながら、自分で作った最もシンプルな食べ物だったりする。

 

たとえば、キュウリを蛇腹に細く切って、岩塩をかけてしぼったもの、

たとえば、大根の銀杏切りだけが入っている味噌汁、

たとえば、おこげ面積が1/3のご飯のうえに梅干しをのっけた茶漬け。

 

こういうのは街中探してもみつからない。

わがままが言えるお店で、頼んで作ってもらってもちょっと違う。

 

自分の舌と手の相互作用、唯一無二のくみあわせによる再現可能な味が

私にとって究極のいつもの味。

 

たとえば、人生を終える朝を迎える日、

いつもの味の朝食を自ら整えることができたら、

たくさんの人にお世話になりながら、人任せではない人生に幕引きができるだろうにと、

ささやかに夢見る。

 

 

 

 

引退モードの本気

| コメント(0)

阪神大震災に遭遇して、実家と自分の住むマンションがつぶれたりしなければ、

世間的には「バリキャリ」になっていたかもしれない。

 

震災後に出張で訪れた香港や台湾の摩天楼、ラウンジからの夜景は、美しいと思いこそすれ、

「で?」という「?」つきのいやな余韻がつきまとい、

それからことあるごとに「で?」につきあうのがいやになって、

「はい、この生き方、引退します」ってことにした。

 

引退のち、干支が一回りした。

「なんでそんな生き方するの?」という不審の目で見られたのが5~6年前、

今は、

「どうしたらそういう風に生きられるの?」というセンボーのまなざしを感じるときがある。

 

世間なるものから引退して、その上で、何かに本気になれるよう心がけること、だよ、と答えたい。

100%そうなれるよう、努力の途中ですが、私自身。

 

 

いい空気の周辺

| コメント(0) | トラックバック(0)

締め切られたビルの中は、冷たい空気で外の暑さを忘れていられるけれど、

冷たさでごまかされている空気は、

実際にどれほど汚いのだろうとしみじみ想像してみるとぞっとする。

 

しばし、閉塞した空間で質のいい酸素がなさそうな所に居たので、

昨日から今日にかけて、20時間だけ、紀州加太にいた。

 

テントサイトの青空。

空気がおいしい。

空1.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにテントとターフを張ると、

こんな感じ。

空2.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜は、ターフの下でご飯を食べる。

夏野菜と、どーってことないお安いお肉がやけにおいしい。

ワインは「処分価格」のバローロにさせていただきましたけど。

 

バーベキュー.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、PCスクリーンではなく、月を見ながら寝る。

 

月.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりのテントの一夜はよく寝られなくて、

睡眠不足でしたが、妙に頭はすっきりしました。

 

脳が酸欠だったのか、脳にいらないものがたまっていたのか、

理由は定かではないが、ま、復活、でございます。

紀州加太へ

| コメント(0)

我が家でキャンプに行こう、という意見が出ると、

天王寺を中心として、北方向に振れ、六甲山系、と言うのは阪神間で育った私、

南方向に振れて、和歌山あたり、と言うのは泉佐野出身の主人。

結局、キャンプ道具を泉佐野の自宅に置いたままなので、

仮住まいの四天王寺を出て、泉佐野の自宅に寄り、各種道具をピックアップして、

和歌山の加太でのキャンプに決定。

 

ま、いいや。

私は阪神間と言っても、苦楽園山麓の育ち。この辺は、ま、阪神間でいうと、バンガローエリア。

鉄砲水で水脈が変わる前は、温泉が出て、遊園地もあった場所ですから。

 

むかしの阪神モダニズムは、温泉遊興地、バンガローエリアのような苦楽園の田舎ではなく、

芦屋なら打出方面、夙川なら香櫨園近辺で育まれたものですね。

もともとは阪急沿線より南、が中心。

今の阪急沿線より南、芦屋川沿い、夙川沿いの水辺に家を建てたら、家の前は川、北に借景として六甲山系、

すたすた歩いて南に行けば白砂青松の芦屋浜、香櫨園浜、があったわけですから。

 

ヒルサイドがいいというムーブメントはおそらく万博以降、ビバリーヒルズのまねっこ。

実はもともと、ビバリーヒルズなんていう価値を飛び越えて、山・川・海がすべて手にはいるのが昔の打出、香櫨園近辺。

ふだんは川沿いの自然を楽しみ、気が向けばビーチに、山に、そんなことが30分以内にできた場所がここ。

かつ、ビジネスゾーンである大阪・神戸の真ん中で、両者は30分以内、京都には1時間で行ける。

いかにも船場の次男坊が選びそうなところです。

 

南よりの土地はそもそも限られているので中心地が、阪急電鉄のスーパーマーケティングの功績で、

ハイソな地域が北上していったわけです。

小林翁、すごいですね。

 

というわけで、夙川の北方、苦楽園山麓、沢ガニを水筒の中に入れ、木イチゴをもぎ、草蛇をふり回して遊んだ私は、

単純に田舎バンガローの子。

 

東京に行きすぎると精気が失われる田舎の子は、

急に元気が出てきてバタバタ用意してます。

 

おいしそうな夏野菜がまだ冷蔵庫に満タン。

やさい.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水くさい精進料理で英気を養ったあとは、

いい空気を吸って、炭火でバーベキューしよう。

というわけで、今日はこれ以降PC見ません。

みなさんさようなら。

水くさい煮物

| コメント(0)

ただひたすら寝る合間に手抜き家事。

昔の盆は、本当に精進料理一辺倒で、水くさい煮物の連打。

帰省するからといって、殺生もののごちそうはなかったものだ。

盆期間を働き、盆もすぎた今頃、元祖家庭の精進料理、

あの水くさい煮物が食べたくなって、ありあわせの野菜で作る。

限りなく薄味で、ただ、野菜が柔らかいだけ。

味がどうの、というより、体調と気分にはぴったりだった。

同時に、玄米ではなく、梅酢をたっぷり入れた白米を炊いた。

梅酢の香りがしたおこげご飯は好きな味。

復讐のチャンス

| コメント(0)

羽田でなんとかジャンプイン。

さあ、搭乗と思ったら、懐かしい姿を発見。

 

外資系時代、US英語研修同期だった「ルチャ」じゃないの。

かれこれ20年ほど前、

バーモント州にあるものすごい田舎の学校に10人ほど投げ込まれ、約半年の英語研修。

仕事を忘れ、ただ英語ベンキョーすりゃよかったので、幸せな時間だった。

 

学生規模は小さいのに、そこはさすがにUS、意味なく広い学校。

学舎までの道をショートカットするため、芝生の中を気を抜いて歩いていたら、

音もなく後に接近していたルチャに投げ飛ばされ、空中を舞ったのは一度ではない。

一瞬にして青空が見え、次の瞬間は芝生のとげとげが眼前に迫ってくる。

投げ飛ばされ下に落ちても、ふかふか芝生だから怪我も何もないんだけど。

搭乗ゲート前で巨人阪神東京ドーム戦に見入っていたルチャの背中は完全に無防備で、

今この瞬間こそ復讐のチャンス!と思ったけど、

私には投げ飛ばす技はなく。

なんだか、くやしい。

でも、ここで投げ飛ばしたら、タイホされていたかな。

 

飛行機の中は、仕事の人と、バケーション帰りの人が混じっていっぱい。

無事帰阪。

まちかど

| コメント(0)

本日の生息地の写真。

まちかど.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

どこでしょう?

 

人がいない、風が通る、街がきれい。

日本の町並みとしては、非常に空々しいんだけど、

暑苦しい昼を過ごした日の夜は、こういうのもいいんじゃないかと思う。

父の玄米

| コメント(0)

いつもちょっとかたく炊けてしまう玄米だが、今日はうまく炊けた。

口に含むと、一粒のお米の輪郭が舌で識別でき、噛んだ歯を押し返す力と、

歯の力に屈してそのまま崩れる柔らかさの中からうまれる、ほの甘い香ばしさ。

 

その瞬間、あっという間に40年以上前にタイムスリップ。

当時30代半ばだった父は、とある晩、母の炊いた白米を無視して、

圧力釜で玄米を炊いていた。

父の玄米をはじめて食べたその晩、私は、いっぺんに玄米の味が好きになった。

今日珍しくうまく炊けた玄米の味とそっくりそのままの味。

これまでたいしてうまく炊けなかったせいか、父の玄米の味は今日まで思い出したことはなかった。

 

さらに、なぜ父が玄米を炊いていたのか、今の今まで考えてみたこともなかった。

 

悪性リンパ腫と糖尿病を煩い、50代で若年性アルツハイマーを発症し、60代前半で

あばれる手をしばられたまま肺炎でなくなった父。

実は若い頃から、不摂生の限りを尽くしながらも長生きしたかったのではないか、とふと思う。

白いご飯よりも妙においしかった玄米のアンバランスな具合に、

人生のちぐはぐさを重ね合わせてしまい、複雑な心持ちになる。

伝耕分室ジャングル計画

| コメント(0)

この酷暑、クーラーを買うより前に、植木や観葉植物を導入する会社。きみょうきてれつだなあ。

それというのも、亜熱帯になりつつある日本、ことさらに湿度が高いディープ大阪の分室をジャングルにするため。

ジャングルの中の木陰は涼しいもん、ってか。

 

とにかく、電化製品を選んで工事の手配をするのが面倒なゆえ、ということもあるが、

涼しい気分になれそうだったので、エバーフレッシュという観葉植物を導入。

 

玄関に置いてみた。

夕方、伝耕分室は打ち水の時間。

東西の風が吹き抜けて、暑さにかげりが見える頃、エバーフレッシュさんは、

打ち水の名残が残る玄関で涼しげに揺れていた。

エバーフレッシュ.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関に打ち水をすると、アプローチの階段を水が流れていく。

盛り土のしてある土地に建っている伝耕分室は玄関が2階の高さ。

階段を滝にみたてて水を流すと、さーっと気持ちいいなあ。

 

月末には、えとじや お。さんが、暑さ覚悟、海の家訪問気分でお越しになるそうです。

氷やさんに大きな氷、注文しときましょかね。

夏の余韻を楽しむには、氷扇風機の趣向で。

余韻どころか、まだまだ暑そうだけれど。

 

春團治の羽織

| コメント(0)

絵になる落語家、上方の粋、春團治。いつ見ても、すっとしてますなあ。

出張で疲れた翌日、へろへろのまま通った免疫療法の病院の帰り、

梅田で手に取った「池田・落語みゅーじあむ」の「社会人落語 第二回日本一決定戦」の告知紙に

「春團治、かく語りき。」というインタビュー記事が。

 

ほんまに、暑苦しさとは無縁のお人。

美しい指先にも見とれます。  

 

 

春團治居ずまい.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの、美しい羽織の脱ぎ方について。

インタビュー記事より、下記書き写し。 

 

 羽織の脱ぎ方にしてもそうです。福團治から春團治になる頃、

自分は力ないから、なんとか、お客さんにわからんように脱ぎたいと思うて

考えたんがアレなんですよ。僕ら、噺が一番やから、お客さんの気をそらさんように、

すっと、でけへんかって考えてね。ところが、お客さんでそれ見に来る人が出てきてねぇ。

前から、「やるで、やるで」て声が聞こえまんねん。

ほなら、こっちもキレイに脱がないかん思うでしょ。

で、すっとやると、右手に羽織、左手に着物もってやってもた(笑)。

それから、着物と羽織の寸法変えたんです。

袖でこう持てるように羽織をちょっと長い目に。

 前の春蝶が僕の羽織の脱ぎ方が好きやゆうて真似してね、一枚破りよった。

そりゃそうですよ、羽織横にひっぱったら破れるやん、後ろにもってくねん。ほで、すっと。  

 

羽織を、ちょっと長い目に仕立ててるんですね。

ほんのちょっと、でしょうね。

ええねぇ。

 

このインタビュー記事、いいですよ。保存版です。

写真もいい。春團治ファンの方は必携。

カムジャタン

| コメント(0)

帰阪。

エネルギーレベルが下がっていたので補給。

こういうときは、コリアンフード。

たんぽぽのカムジャタンで心機一転。

とりあえず寝ます。

さりげない決断の日

| コメント(0)

あーやっぱりやらなきゃ、おねがいしなきゃと決断した日であった。

えらそーにしたいからではなくて、あたりまえの仕事を可能にするしくみ。

そのしくみを成り立たせる日々のしつらえ。

しつらえについて考える日であった。

 

試金石

| コメント(0)

試金石のような一日であった。

どれほど深く潜るつもりがあるか、と聞かれた一日であった。

予測できる「対象が持ち込むネガティブ」と、そもそもそれを見分けられる「罪深い自分の業」にどの程度つきあえるか、と問われた一日であった。

そんなことにつきあわず、へらへら生きようと思えば生きられるのに、本当にやるの?とつっこまれた一日であった。

やるのならそれはなぜ?と理由を問いただされた一日でもあった。

 

一日の終わりは

| コメント(0)

パインジュースとグレープフルーツジュースである。

アテはいちごポッキーとポップコーン。

組み合わせのさりげない正面突破に心打たれる。

 

見た感じどこまでも軽薄に、しかし、事実は重く。

このギャップのハンドリングに耐えられる人はあんまり多くない。 

それが私のスクリーニング基準と言われれば、そうかな。

 juice.jpg

 

冷蔵庫部屋

| コメント(0)

12日の朝、天王寺を出る予定でしたが、台風接近のため、万が一のことを考えて、11日に急遽東京入り。

結局、明日移動しても大丈夫だったようだけれど。

 

それにしてもなんだか、ホテルの部屋が寒いな、と思ったら23度設定。

伝耕分室は冷房なし(そのうち入れますけど)、我が家は29度設定なので、寒すぎる。

夕刻まで伝耕分室は亜熱帯だったので、この差はカラダにこたえる。

ちなみに、かつて、一年のうち1/3アジア出張に出かけていた頃、台湾もタイも中国も香港もシンガポールもとにかく冷房の温度設定が低すぎ、だった。

朝、ホテルの部屋の冷房をわざわざ消して外出しても、たぶんベッドメーキングされた時にぎんぎん温度に設定され、夜、部屋に帰るころには、またもや冷蔵庫のような部屋に。

せっかく、冷房消して出ていったのに、寒いなー、これだから出張は嫌い、と思いながら、未読メールの山を読み飛ばしていたことを思い出す。

 

そういえば、その頃は、いっぱい英語の文章を読んで書いてしゃべっていたけど、考えはかなり浅はかだったような気がする、でも、スケルトンは明快で、それゆえに意思疎通も簡単だった。

機微や微細な感触まで入ってしまって、大枠に神経が及ばなくなりがちな日本語日本人の世界と、どっちがいいんだろうな。

日本語日本人の世界は、大枠を忘れた、見ない、語らないふりするのが粋な感じ、だったりして、

実は、それが物事をありのままに伝たり共有したりする際に、癌だったりするもんね。

 

会社の中での英語の公用語、一回やってみれば得られるものも多いと思う。

これって、英語で表現するとどうなるの?みたいな素の質問から、ばかばかしさが露呈されるものも少なくないに違いない。

遠景で、実はぼんやり、思慮深そうに見ながらそれっぽいまとめをして逃げるのは得意だけど、

地面にはいつくばったり、自ら塔に上ってみて(だらだら遠くから見るのではなく)、

地上から一望してから、自分はこう見たけど、みんなどう思う?っていうようなシンプルな作業を、

実はさぼりがちだったことが、結構バレバレになると思うよ。

 

 

ラディカルな日

| コメント(0)

今日は何も書くことが浮かばないなと思う日こそ、要注意である。

どこそこに行ったとか、誰に会ったとか、何を食べたとか、そういうことを話題にできないほどささやかな日のブログこそ地金と本音が出る。

 

最近のオヤジは、オヤジまでが1、0(イチ・ゼロ)で味がない、とか、つれづれにそういう話になり。

耳を傾ける価値のあることが語れるオヤジは、ちゃんと自分たちがそうであることを意識して似たもの同士で群れてSAFE &SOUNDにしているから、若い人たちには、群れることが範に見えてしまう。

そんな群れ、まねても次の世代では同レベルの社会的地位と財を築く可能性の確度は低く、よって、その範の広まりは、本質的に社会的にみて迷惑な現象だとか。

早い話、次世代に与える行動面の影響から考えると、「語れるのに群れる」オヤジの存在こそが駆逐すべき対象だという話があったり。

 

はいはい。わかっているのに、それとは指摘せず、表面的にスルーするババアも最高にずるいのである。

たとえば、わたし。

 

ま、でも、次世代のメスには、

早くここを捨てて、海を越えろ、とささやいたりすることは忘れないけど。

 

このムーブメント、深々と着実に進行していると思うな。ここ数年で。

 

 

不思議な生き残り方

| コメント(0)

いやあー、忙しく働いているのである。

どんなふうに体力を配分するのか、注意せねばならぬ。

と思いながら、気合いを入れていたら、

放射線を照射している皮膚がやられてしまい、赤くただれて皮がむけた。

そこにステロイドを塗って、イテッと思いつつ素知らぬ顔でお仕事。

 

今日は、人様が何か表現したくて、でもどこかでつまずいていることに、

光を当てたり、一部を切り取ってみたり、別の視点を加えてみる役割をちょこっと。

最後はその人の決心によって行動が決まるんだけど、信じてできるだけ後押し。

私のしていることって、つまりは、人の身体に放射線あてたり、手術したり、投薬したりして、

最後はその人の治癒力にまかせることに似ているな、と思った。

お、そうか、治癒という本質的なスケルトンと相通じるところがあるんだな、という気づき。

 

スーパーキャリアでもなく、東京にも居ないが、「不思議な生き残り方」をしていると

言われたことがあるが、この本質的なスケルトンを使って生きていることに答えがあるのかもしれない。

 

あー、それにしても、今年の夏は長いね。放射線照射はあと12回。

 

 

 

 

 

お参りと時計

| コメント(0)

墓守をしておりますので一心寺にお参り。お盆を控え、お墓のお掃除も丁寧にすませてすっきり。

一心寺の境内の中から外を見ると、左下に黄色い家が見えますね。

あれが伝耕分室。仁王さんに睨まれているというか、守られているというか。

一心寺お参り.jpg

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日はなんとあのオールドセイコー嬢の修理が済んでご帰還の日でもありました。

外観は修理前と同じようにあでやかに美しい彼女ですが、一つ新しい発見が。

時報がなんと鈴のように可憐な音色。

こわれていたので、音色は知らなかったのです。

みなさんにお聴かせできないのが残念ですこと。

 

100歳を超える彼女、少なくとも、私が生きている間はつきあってね。

修理済みオールドセイコー.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日休業

| コメント(0)

掃除洗濯食事の用意、しか、しない日。

昼寝は必須。

お気楽モードの主婦コースをたどれる日は、私にとっては完全休業の日。

こんな日は、活字さえ追うのがいやになって、

いつもならふんふん、と感心するシニカルな書き手の文章すら、

なんだかむずかしいこと考えてのねこの人、と一蹴してスルー。

 

ちゃんと息して、心臓がどっきんどっきんと規則的に動き、

カラダの機能が機能している、ということが一番大事だと思う日。

あとは枝葉末節、と、ばっさり切り離す。

 

社会的な存在の私は今日ここにはいない。

ただいま休業中である。

 

真と道

| コメント(0) | トラックバック(0)

白川静先生の絵で読む漢字のなりたちを読む。松本正剛氏の超絶コピー「すこぶる劇的な文字場面集」という序文にそそられたこともあり。

 

「真」という時は、人を逆さまにした形と、頓死者の意味を示す語の合体らしい。

「真」は死者で、それはもやは変化するものではないから、永遠のもの、真の存在の意味となり、「まこと」の意味となる。

死より確実な真実はないということか。

 

気を取り直して、

「真」の左横のページは「道」の解説。西道の「道」ね。

古い時代には、他の氏族のいる土地はその氏族の霊や邪霊がいて、災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、

その呪力で邪霊を祓い清めて進んだ。

その祓い清めて進むことを「導く」といい、祓い清められたところを「道」といい、「みち」の意味に用いる。

生首もって進んで血で清められたところが「道」とは。

真も道も容赦ないイメージである。

 

真と道.jpg

ミッションの木

| コメント(0)

暑い最中、ふらふらと歩いていたら、近所の園芸店にミッションを見つけた。

正体はオリーブの木、品種がミッションである。

 

リーマンショックで覚醒して、どこをどう間違えてしまったか作ってしまった会社。

紆余曲折はあるものの、お客様に恵まれ、忙しくさせていただいている。

会社をつくろうとしている頃、娘に、「ママの仕事って何?」と聞かれた時、

「ママの仕事は、自分の仕事をつくること」と答えた日を思い出す。

 

あーそうだった。ミッション。

そう思ったら、強い光をものともせず、新芽を出して伸びている木を見て、

立ち去るわけに行かなくなり、伝耕分室にお招き。

エントランスの壁までも黄色いのが伝耕分室のすごいところ。

おさまってます。

 

オリーブの木.jpg

病院のはしごができる元気

| コメント(0)

朝、炎天下の中、歩いて放射線治療へ。そして、電車に乗って手術をした病院でホルモン治療の説明と、経過チェック。

8時半に家を出て、帰宅したら2時を過ぎていた。それから仕事。

これをこなすには、へんな話、「元気」がいるのである。

まずは、病院のはしごができる基礎体力。

そして、そのあとで仕事ができるパワー。

 

病人とは、病気を卒業する過程で、かなりのパワーを使う人のことである。

ポストイットと接着剤

| コメント(0)

バブル以前に海外留学後、子育て、100歳を超える老人の介護をされつつ、通訳を続けられてきた超ベテラン、フリーの通訳さんと、

日本企業から外資系へ、子育て、若年性痴呆の親を見送り、最近癌キャリアの私、が仕事にまつわるあれこれについてはじめて話をした。

 

はじめて、なのに、お互い今までほとんど誰にもオープンにしたことのないディープな話、になった。

話の目玉は、

世の中で既得権を持っている人たちの誰と、ポストイット的なつきあいをし、誰と接着剤的なつきあいをするのか、

その見極めと幅寄せについての意見交換であった。

 

似すぎてて怖い。

 

これを聞いて「切実に怖くなる人」は結構いるだろうな、と思いつつ、十分楽しめた。

月いち餅

| コメント(0)

本松葉屋さんでは、月に一回だけ、佐賀産餅米をその日に杵つきしたお餅と赤穂の焼き塩、

季節の旬をあしらった、あっさりしたお餅が発売される。

8月は、1日の昨日が日曜だったので、

今日が月いち餅の日で、8月は枝豆餅。

 

これ、よそゆきの生菓子ではなく、お餅であることがミソ。

枝豆餅.jpg

神棚やお仏壇にお供えしてから、

家族みんなでありがたくいただく普段着のお餅。

 

なので、

万が一、月いち餅を「日々の暮らしのこだわりに寄り添う上質さ...」なーんて表現された暁には、

「そんな、えーかっこな言い方して、あほちゃう」と切り捨てておかないと、

本質がぶれてしまいそうで。

 

大阪のこういうわかりにくいプライド、

全国区には伝わりにくいし、伝わる必要もないと思っているけれど、

実は、すごく重要な部分。

 

シンプルにすること

| コメント(0)

出張の多い仕事をこなしながら、家のこと、子供のことをする場合、家のこと、つまり家事という存在を無視する、というのが今までのやり方だった。

もちろん、家事をやらないわけではない。家事一般、掃除洗濯食事のあれこれは、すべて、仕事の合間にし、それ自体に意識した時間を振り向けず、

猛スピードでやるというのが今までのやり方。意識すると、やらなくてはならない作業量だけで気が遠くなるから。

 

けれど、退院後、家事を猛スピードでできなくなったので、存在を意識して向き合わざるを得なくなった。

 

で、やり方を考えている。

ステップを省く、やりかたのバラエティを少なくする、使う機材を減らす、そんなこんなを試して大型リストラを試みている。

家事は細かいモジュールの積み重ねであり、なおかつモジュール相互が依存しているつくりになっていることが多いので、

(例:洗濯ものをたたむこととしまうことは、別のモジュールであるが、たたみ方はしまい方に依存している)どうすればいいのか、

検証しながらやってみるしかない。

 

あ、家事じゃないけど、お肌のお手入れもリストラ。

メイクさえきちんと落ちていれば、石けんで顔を洗う必要はないみたいですね。

なので、洗顔料カット。買うものも少なくなったし、ステップもシンプルに。

 

この勢いで、しばらくの間、いろんなことを捨てたり省いたりするのだろう。

要するに、そういう時期なのだと思う。