が、どうでもよくなるときがある。
「ときがある」ではなくて、よくあったりして。
そんな仕事いらないいじゃないの?と言われたら、
確かに。と思う。
生きるためだけに行う活動以外は、
そんな仕事いらない、と言われる根っこがある。
ちなみに、世の中のほとんどの仕事は同じ根っこから出ていると思う。
ならば、ね。
が、どうでもよくなるときがある。
「ときがある」ではなくて、よくあったりして。
そんな仕事いらないいじゃないの?と言われたら、
確かに。と思う。
生きるためだけに行う活動以外は、
そんな仕事いらない、と言われる根っこがある。
ちなみに、世の中のほとんどの仕事は同じ根っこから出ていると思う。
ならば、ね。
同感です!
最近私も迷子状態・・・
西道さんも、そんな事考えられるんですね〜
えっと、以前から結構よく考えてます。世の中の動きが激しくて、今やっているどの仕事のたいていは、伝えるべきレベルに至らないまま消えてしまう。まさに、方丈記の冒頭ですね。ならば、本質そのものではなく、本質の表現系としての泡沫とその場に応じてたわむれることだけが凡人に許される人生だとして、たわむれの在り方として、見物人の多いところでたわむれてみようか、とか。つまり、仕事をゲーム的にとらえるってことですね。そういう腹のくくり方もあるけど、人気とりだけって、あんまりにもダサいな、いや、腹をくくったのに、どうしてダサいと思っちゃうんだろう、やっぱり、生理的に無理?とか。とにもかくにも、動きが激しくて、自己満足をかみしめる時間さえ、瞬間に流れていく時代になりましたね。
本質を目指しているつもりが、そのまわりをぐるぐる回っているだけで、中に入れないままにその目的まで見失ってしまいそうです。確かに人気取りの部分だけでもまわりはそれなりに評価をしてくれたりするのだけれど、やっぱり消化不良。その繰り返しです。「狭き門」は中々見つからないですね〜
ああ、そうですね。ほんとに。消化不良を自覚できるということは、それ以上に消化したいという情熱そのもの。その情熱自体の本質が何で、それをどんなふうに表現すると「ずれていない」と自分で認識できるのか、という問いは、きっと、一生ですね。そういう種に生まれついてしまったんだと思います。類友ですかね、またG会お声がけします。今、その他もろもろで忙殺されてしまっています。