手術前ばたばたしていたので、髪を染めずにそのままである。
若白髪の家系なので、年齢の割には髪がやや白い。
ふだんから、全部は染めず、行きつけの美容院で、白髪のところにいろいろな色を入れて遊んでいたが、
そこの美容師さんが倒れたので、また、元気になられてから、と思い、退院してしばらく経つがそのままにしてある。
すると、道端で出会った、ご近所の(たぶん)えらいおじさんから、
「なぜ髪を染めないのか」と聞かれる。
きっと、「染めた方がいいのに」ということをおっしゃりたいのだろう。
この種の問いは、
①小金持ち以上
②私より片手ぐらい年上の男性、ときどき女性
からダイレクトに発せられる。
今の私は病人風に見えるわけでもない(事実、この問いを発した人は、私が入院したことを知らない)から、それほどむさ苦しくしているわけでもない。
黒くない髪に合う色なんかも試しているし。
なかなかに興味深い現象なので、美容師さんが復活する一ヶ月ぐらいこのままにして反応を探ってみることにする。
ちらっと今日の仮説。
「世間で認められた若作りをしないこと=わかりやすい老いの表現が白日のもとにさらされること」、
相手の老いの現象を目の当たりにすることで、自分の老いへの恐怖が「身体的ベース」でかきたてられることがいやなのか。
だから、「老いを隠蔽せよ」と。
男性にとっては、もしかして、さらに深刻で、
自分より少し年下の女性が若作りしないことは、
(実はこれっぽっちも期待されていないかもしれない)庇護者としての役割を演じたい自分の存在が否定されているような気がするからだったり(あのね、あなたたち、もういらないから)。
たとえば比較的お金がある人が集う、銀座なんかに行くとずいぶんと平均年齢が高いが、
そこに居る人全員に、若作り行動、たとえば髪染め(もちろん何らかの病気によるものを除く)なんかを禁止してみると、「ぎょっ」とするような風景になるような気もする。
でも、この「ぎょっ」とする身体的な反応を皆でしみじみ共有すれば、
高齢化社会とか少子化社会とか、年寄りの既得権益構造とか、そういういろいろな問題についても実際に目で確認できるから、
問題意識自体も変わってきそうなものだ。
そんなこんなの問題は、頭でわかっていても、身体ではわかりきっていないことなのだから。
「老い」は命の継承としては期待されない対象だから、老いのシグナルは動物にとっては重要だ。
たとえば、若い女性が年老いた男性に、若い男性が老女に、「生物的に」惹かれる現象がレアケース以上に生起すると、その種は滅びるだろう。
年をとるということは、賢く、ずるくなることだ。 年老いた猿はずるい。
猿よりもずっといろいろなずる賢さを備え、さらに道具も満載なのが人間。
現代の人間は、「老い」の身体的なシグナルですら、ある程度、隠蔽できてしまう。
「隠蔽だらけの年寄り、が多すぎる場所」は、それだけで、本質からするといびつな感じだ。
でも、どんな隠蔽をしていても、若い女性と年老いた男性、若い男性と老女のケースがレアであることは、幸いにも隠蔽には限界があるということだ。
老いると、新しいことに挑戦したりすることは苦手になり、体力的にも衰えている。
「本質」を語ることはできるが、実践することは辛い。
老いを隠蔽するだけで結構なエネルギーを使ってしまっているし。
とにかく、今日のところは、
若いみなさん、隠蔽老人群に、負けるな、
と言っておきます。
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