ハンガリーのブダペストは私の好きなところ。
入院中、ベッドの上でネットサーフィンをしていたら、ブダペスト祝祭管弦楽団の公演、バイオリンのソリストは神尾真由子だったのですかさず予約。
重いものを持ってはいけないので、母の古いバッグをもってシンフォニーホールへ。
一昔前の女性のお出かけは、こんなハンドバックに入るほど、荷物が少なかったのだ。
ま、こんな時ぐらいしか持たないし。
20年以上前に行ったブダペストでは、リスト音楽院やオペラ劇場に通う機会に恵まれた。
リスト音楽院のコンサートでは、演奏途中に弦が切れ、そのまま鬼気迫る演奏をし続けたバイオリニストを見た。
音楽に命がけになる人の姿が脳裏に刻まれた。
街には、ジプシーがバイオリンを弾く姿がそこここに見られ、哀愁のあるリズムが流れていた。
時流れて2010年6月、イヴァン・フィッシャー率いるブダペスト祝祭管弦楽団は、派手さはないが精緻な響きのある音を聞かせてくれた。
フィッシャー氏は、神によってあやつられた人形のように指揮をする。
天から出たピアノ線で身体がつり下げられているに違いない。からだの軸が全くぶれないのだから。
変な表現だが、彼ならば、トウシューズで立ったまま指揮をすることも可能だろう。
かんがえてみれば、マエストロと呼ばれる指揮者の指揮が、神がかり思えるのは、そう思わされるほど「並外れて属人的なもの」であり、同時に高度に身体的なものだからだ。
弦楽器が神経、管楽器が臓器とすれば、指揮者の神経と臓器はそのじぶんじしんの身体のなかで、
かのように奏でられているに違いないと確信する。
メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調Op.64」は神尾真由子がソリスト。
ストラディバリウスを操る彼女の音を生で聞くのは初めて。
なんというか、飴細工職人のような演奏。高く、細く、低く、太く、自由自在で切れ目がない。
この音はバイオリンなのか胡弓なのか。
肩胛骨のダイナミックな開閉を生かした身体の動かし方は、演奏家というよりも、アスリート。
独奏の間、オーケストラのバイオリン担当が、神尾の演奏を興味深そうに見ていたのが印象的だった。
神尾嬢、アンコールには、超絶パガニーニを披露してくれた。
パガニーニを聞きながら、なんだか、この人、美空ひばりに似ている、と思った。
フィッシャー氏による、オーケストラアンコールの最後の曲は、モルダヴィア民謡。
彼がユダヤ系ハンガリー人であるというルーツと関係させた選曲なのだろうか。
ジプシー風のバイオリンと太鼓の奏者とともに、フィッシャー自ら、
タンバリンを打って演奏家の一員となる。そんな指揮者、初めて見た。
酒飲んで「安来節」が出てきたような、そんな印象だった。
いい意味で。
ここ数日間で左側の背中が、床ずれのように痛くなってきた。何もなっていないのに。
ネットでいろいろと調べてみると、脇を切っているので、神経が切れているせいらしい。
さらに、胸を切るような痛みの愁訴の記録もあり、これらは乳房切除後疼痛症候群と呼ばれている。
身体の神経はオーケストラの弦楽器。わたしのからだ、第二バイオリンの弦が一本切れている、という感じだろう。
切れていることは所与として、次の幕までに、周囲の団員にカバーしてもらうしかない。
この7年間で通算20日ほどしか休んだことがない体操を、今年は入院と手術のため、たった6ヶ月ですでに20日間ほど休んだ。
今日は晴れて体操復活。
ゆっくりやったので1時間半たっぷりかかった。
これで神経の迂回経路を鍛える。
私の潜在能力によろしく。
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