生活でもビジネスでも病気でも、とにかく現状をよくする答えとアクションをいち早く知りたい。
それは誰もが思う感情である。
「こうすれば、こうできる」というノウハウものが売れるのはそのためである。
ほんとうに、それは自分に当てはまるのか、について考えられる選択肢をひとつひとつ検討してから選択するのは、
認知的に負荷がかかり、やっている間に「これでいいのだろうか」という疑問が常に首をもたげるから、やりたくない。
時間とエネルギーの節約と、焦燥感のコントロールのために、最初から、みんなが頼る答えとアクションを知って取り入れたい。
人気ランキングの高い商品を使ったり、有名な経営者の本を読んでそのままを実践したり、名医リストに掲載されている医者に頼ったりすることでその認知的負荷を軽減する。
言い換えればそれはすべて多数決主義。
民主主義から、アンケート、口コミに至るまで、「みんながいいと言っているから、私にもいいのだろう」というのが基本原則になっている。
それを否定するつもりはない。
選択した後に問われるのが、「自分の生活・自分の会社・自分の身体」とのフィットネス。
多数決によって選別した方法と、個別性についての洞察によって得られた結果との適合を検討することは重要である。
「みんながいいと言っているものが、自分にあてはまるとは限らない」のだから。
結局、最初に認知的負荷を避けるために行わなかった、「ほんとうに、それは自分に当てはまるのか」について考えられる選択肢を
ひとつひとつ検討し、つぶすことに近いエネルギーが最後になって必要になる。
人間が、さまざまな発明を行い、それをすばやく世界に流布させてきたと同時に、歴史的に見れば何度も同じ間違いを繰り返すのは、
とどのつまり、
オーディエンスの大多数が
「時間とエネルギーの節約と、焦燥感のコントロールのために、最初から、みんなが頼る答えとアクションを知って取り入れたい」人々であるためだろう。
さらに、
生活革命であれ、マーケティングであれ、治癒であれ、各分野における勝利者は、
表現はどうあれ、 各勝利者の(実は)個人的な興味と利害に基づいて、
「みんなが頼りそうな答えとアクション」を最初に演出できた人なのだとおもう。
動物は、生存のための食・安全・生殖・休息以外のことはほとんど何もしないが、
その、ほとんど何もしない、ということを人間にあてはめれば「怠慢」と称されるものなのだろう。
いや、しかし、
認知的に処理が容易なものについては、「勤勉」に思える人間も、
認知的な処理が少し複雑になれば、ことさらに興味がなく緊急度の低い部分については(=認知的負荷を主観的に強く感じる分野においては)、動物たちと同レベルの「怠慢」に陥るのだと思う。
「(手術で)切る、(放射線で)焼く、(薬や抗癌剤という毒を)盛る」という標準治療以外に、
ガンの再発と転移を防ぐための方法は、日本の医療では用意されないという前提に基づき、
術後の生活をどうするかということに関する考え方と方法とその中身について、
いろいろと整理していたら、認知的な負荷がものすごく高まって、
ネット内のランキングに頼りたくなった自分を振り返って書いてみた。
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