新奇とふつうと日常:荒川修作

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昨日のブログ荒川修作がらみ。この人、たいへんな人だったのである。

作品を見るまで何も知らず、寡聞にも程があると反省した私は、インターネットという武器で「荒川修作」を集中検索して調べた。

千葉県企業庁が出した幕張「アーバニスト」という情報誌(1994-2003:全9巻)に荒川修作のインタビュー記事が載っていてこれがまた面白かった。

どこを引用するか迷うぐらいなのだが、今日は下記部分。

...先ほども触れましたが、私の「建築」のコンセプトは、人の行為や運動が主体ですから、欧米のモダニズムの建築とはまったく違います。「身体の行為」と「建設された環境」との関係から生まれる新しい知覚や感覚が、日々新しい共同性を帯びた環境や、様々な思いがけない出来事を見つけ出していく。次第に共同的な現象としての「偏在の場」が創りだされ、生成変化しながら、外在する現象を創りあげる「場」を構築していく。それらの行為すべてを併せて「建築する」と言いたいですね。まったく新しい「生命の建築」…。「現象」をキャッチし、育み、さらに新たな方法でデザインをしながら、あたかもキャスティングするように新しい生命を創りあげていくこと。建築するとはそういうことです。

そうそう。伝耕の逢阪分室黄色い家は、図らずも「生命の建築」のよう。

オープンして2ヶ月。台形の土地に、台形の形のまま建築された黄色い家。盛り土された土地故に、1Fの玄関までのアプローチは階段を上がる必要があり、玄関と執務室は高い框による結界がある。ただし、玄関からの視界は極めて民主的にオープン。こんにちは、と言いながら、框に足をのっけて入る。1F執務室は土地の形のままの台形そのもの。2Fの店子スペースへ行くには、必ずここを通らなくてはならないところなんか、まるで置屋の作り。2Fは続き間に単に壁を張って仕切ったような3室。2Fからさらに階段を上ると、屋根のある屋上に通じる。眼前にひろがる景色は、パワースポットの連打。正面に一心寺、その向こうにザ・通天閣、左手に茶臼山、右手には真田幸村戦死の地、安居神社。

逢阪分室では気を抜いていると、まっすぐ線を引いているつもりでも、台形の広がり方向にずれて、線はひどい右上がりになる。当たり前すぎるアウトプットは、一心寺の仁王にどやされる。実体なく偉そうにしていると、先の尖ったシャンデリアが上から落ちてくる(これはウソ)。

てな感じが我らの「ふつう」の状況、「日常」である。そういう日常の風情をゲストの皆様は楽しんでくださる。ありがたい話だ。ほら、何かが生まれそう。

荒川修作の作品は「新奇」だと称されるが、よくよく見ていると、身体の行為との相互作用が考えられているから、その相互作用から思いがけない出来事を見つけ出す行為自体がそのうち「ふつう」に感じ、それが「日常」になる。

「新奇」というラベリングは、身体の行為と環境との相互作用によって、何かが生まれることを想定していない、もしくはそのようなことは建築にとって禁忌だとするスタンスによって行われた。

荒川修作は建築が、単なるハコモノ、所詮は何も生まないものという禁忌を徹底的に捨てようとした巨星であった。

海外での評価の高さとは裏腹に、荒川氏が精力的に行った数々の提案がハコモノ行政と揶揄された日本の行政に全くウケなかったのも納得できる気がする。

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