用事のついでにさっくり国立国際美術館に。
すべすべぷっくりした肌に薔薇色の頬、八分咲き未満の女性に対する賛美と憧憬の作品が目立つ「ルノワール展」。
これと同時に開催されているのが荒川修作の初期作品展。作品は棺桶。
テーマは、「死なないための葬送」だと。
ルノワールが「生のための生」だとしたら、荒川修作は「生のための死」。
こういう対比すごいな。能楽と間狂言の関係に似ている。同じテーマで切り口違い。
この場合、能楽が「生のための死」で、間狂言が「生のための生」だけど。
ルノワールに群がる人々を見ていると、「わかりやすい嘘」だと半ば知りつつ喜んではめられるマーケティングの餌食のような気がして。
本能に根ざした半差し。わかりやすく簡単すぎて、どうしようもなく逆振れしたくなる。
さて。
荒川修作という名もこの人の作品に出会ったのも初めてだったが、
並んでいる棺桶作品を見ていると、
自らが葬られる前に、自らが葬りたい何か、というのが次々と湧いて出てくるのが、つまりは生きていくということなのか、としみじみとする。
ルノワール展には、初老の男女が大挙して押し寄せていたが、
彼らは完全に荒川修作をスルー、むしろ若い男女が彼の棺桶作品を興味深げに見ていた。
そういえば、薔薇色の少女や裸婦を食い入るように見る初老群の横顔は、何か必死に「生らしい生」の表現を追い求めているようにも見えた。
*この記事をアップして、今更、と思いつつ、「荒川修作」で検索してみたら、
まさに先週の火曜(5月19日)、亡くなられたのですね。なので追記。
初七日に作品をはじめて拝見した、ということになるのかしら。
荒川修作氏訃報の記事に掲載されている作品、ステキです。
記事にある色鮮やかな住宅と左の棺桶作品のコントラスト。
恐怖を超え、生と死の間をダイナミックに行き来できる精神が、
すぐれた表現を生んだのだ、と納得。
コメントする