2010年5月アーカイブ

バイリンガルモデレータ養成講座

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たまには仕事の話。カタカナばっかりですんません。

本日、キャリアのある英語の同時通訳さん向けに、マーケティング調査の質的調査のバイリンガルモデレータ養成講座をスタート。

質的調査のモデレーションができてバイリンガルの方、日本に進出されている/されたい企業さんからご要望はあるのですが、

なかなか出来る方がいらっしゃらないのですね。

 

というわけで、スーパー通訳の宇野さん率いるGSSと、伝耕が組んで、通訳さん相手に養成講座をすることにしました。

今日はオリエンテーション。興味のある方が、8名ほどのご希望がありましたが、御都合もあって、2名が欠席。

6名が逢坂の伝耕分室、黄色い家に来られました。

お花の伝版を使っての自己紹介はずいぶん盛り上り。

やはり、同時通訳さんは勉強熱心で好奇心旺盛な方ばかり。

さらに多芸多才でもある。すごいぞ。

合わせ技でいろんなプロジェクトもできそうな、そんな予感もしたりして。 

 

さてさて。

みなさんのご希望をお聞きしながら、内容を練ることに。

大阪での開講は6月末から、でございます。東京でもご要望があれば。

ご興味のある方は、このコメント欄か、info@denko-corp.comまでどうぞ。

行動ターゲティング広告

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理由なんかわからなくとも、ある行為と別の行為の相関さえわかれば、次に起こりそうな行動がある程度わかる。

このように利用者の志向パタンがわかれば、商品の推奨やターゲット広告に使えると。

「 ディープ・パケット・インスペクション=DPI 」の技術に総務省がゴーサインを出したというニュースが出ていた。 

でも、それを見破られたらいやな人もいるわけで、仮に検索結果をトラックされても、その相関をわかりにくくするための

「攪乱ソフト」なるものが開発されれば導入する人もいるだろうな。

DPIを自分のマーケティングに最大限活用したいマーケティングの王様のような人達は自分のためにその攪乱ソフトをそっと買ったりして。

オールドセイコー

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伝耕分室オープンに際していただいた置時計。

大理石をパッチワーク(!)した凝った作り。止まったり動いたりするので、修理が必要。

オールドセイコー.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし何せ古そうなので、部品が足りないかもしれず、部品も手に入らない可能性が高い。

というわけで、「平成21年度なにわの名工」に選ばれたアベ時計店を訪ねる。

同じくなにわの名工に選ばれた、ソムリエ樋口さんのお店でいただいた「なにわの名工」を特集したパンフレットに、

アベさんのお名前があったことを思い出し、枚方は樟葉のお店にたどり着いたわけである。

ここでは、先代から受け継いだ部品のストックがあり、また、足りない部品は作ってくださるらしい。

 

時計をご覧頂くと、アベ時計店ご当主のアベさん、興奮していらっしゃる。

はて?

すると、これは今から100年以上前の大正時代のオールドセイコーだと。

いろいろな時計を見てこられたアベさんも、ネットでしか見たことがない稀少なタイプらしい。

なんと。

 

しかし、中の振り子が折れ、基盤がなくなっているので、溶接と部品作成のため、

老嬢オールドセイコー、2ヶ月ほど入院することに。

時を刻む快音は7月末に聞くことができるそうである。

退院の節は、1世紀を超える歴史に敬意を表しつつ、快気祝いをしてさしあげよう。

人間椅子

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江戸川乱歩による「人間椅子」の話が発表されたのが1925年。

私はもちろん、私の親ですら生まれていない。

 

76年後の2001年、駐日チェコ共和国大使館一等書記官・チェコセンター所長であるペトル・ホリー氏は

チェコのシュルレアリズムの生き証人ヤン・シュヴァンクマイエルに「人間椅子」のチェコ語翻訳を手渡した。

この長い時を経て生まれたのが、触感的な内容と挿絵の驚異のコラボレーションだった。  

 

江戸川乱歩と谷崎潤一郎の二人は私の中では「青白い透明と血」の印象で共通しているが、その具象はまさに「人間椅子」の挿絵の「目玉」そのもの。

この調子で、ヤン・シュヴァンクマイエルに春琴抄の挿絵を描かせたらどうなるかと考えるだけで神経がざわつく。 

 

「人間椅子」の挿絵は内容に合わせて触感的な表現が効果的に使ってあるが、その効果は一部だけが異様に触感的なことによって最大化されている。 

 

iPad狂想曲な今日であったが、この「人間椅子」、iPadで見れる電子書籍になるとどんな具合だろうと思ったり。

自分で触ったところが、より触感的に強調されたり、 なでたり、つついたりしたやり方で、触感のありようが変わったりして。

人間椅子ならぬ人間iPadみたいに。

それって、おーこわ、なのか、おーすてき、なのか、微妙なのである。

人間椅子.jpg

新奇とふつうと日常:荒川修作

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昨日のブログ荒川修作がらみ。この人、たいへんな人だったのである。

作品を見るまで何も知らず、寡聞にも程があると反省した私は、インターネットという武器で「荒川修作」を集中検索して調べた。

千葉県企業庁が出した幕張「アーバニスト」という情報誌(1994-2003:全9巻)に荒川修作のインタビュー記事が載っていてこれがまた面白かった。

どこを引用するか迷うぐらいなのだが、今日は下記部分。

...先ほども触れましたが、私の「建築」のコンセプトは、人の行為や運動が主体ですから、欧米のモダニズムの建築とはまったく違います。「身体の行為」と「建設された環境」との関係から生まれる新しい知覚や感覚が、日々新しい共同性を帯びた環境や、様々な思いがけない出来事を見つけ出していく。次第に共同的な現象としての「偏在の場」が創りだされ、生成変化しながら、外在する現象を創りあげる「場」を構築していく。それらの行為すべてを併せて「建築する」と言いたいですね。まったく新しい「生命の建築」…。「現象」をキャッチし、育み、さらに新たな方法でデザインをしながら、あたかもキャスティングするように新しい生命を創りあげていくこと。建築するとはそういうことです。

そうそう。伝耕の逢阪分室黄色い家は、図らずも「生命の建築」のよう。

オープンして2ヶ月。台形の土地に、台形の形のまま建築された黄色い家。盛り土された土地故に、1Fの玄関までのアプローチは階段を上がる必要があり、玄関と執務室は高い框による結界がある。ただし、玄関からの視界は極めて民主的にオープン。こんにちは、と言いながら、框に足をのっけて入る。1F執務室は土地の形のままの台形そのもの。2Fの店子スペースへ行くには、必ずここを通らなくてはならないところなんか、まるで置屋の作り。2Fは続き間に単に壁を張って仕切ったような3室。2Fからさらに階段を上ると、屋根のある屋上に通じる。眼前にひろがる景色は、パワースポットの連打。正面に一心寺、その向こうにザ・通天閣、左手に茶臼山、右手には真田幸村戦死の地、安居神社。

逢阪分室では気を抜いていると、まっすぐ線を引いているつもりでも、台形の広がり方向にずれて、線はひどい右上がりになる。当たり前すぎるアウトプットは、一心寺の仁王にどやされる。実体なく偉そうにしていると、先の尖ったシャンデリアが上から落ちてくる(これはウソ)。

てな感じが我らの「ふつう」の状況、「日常」である。そういう日常の風情をゲストの皆様は楽しんでくださる。ありがたい話だ。ほら、何かが生まれそう。

荒川修作の作品は「新奇」だと称されるが、よくよく見ていると、身体の行為との相互作用が考えられているから、その相互作用から思いがけない出来事を見つけ出す行為自体がそのうち「ふつう」に感じ、それが「日常」になる。

「新奇」というラベリングは、身体の行為と環境との相互作用によって、何かが生まれることを想定していない、もしくはそのようなことは建築にとって禁忌だとするスタンスによって行われた。

荒川修作は建築が、単なるハコモノ、所詮は何も生まないものという禁忌を徹底的に捨てようとした巨星であった。

海外での評価の高さとは裏腹に、荒川氏が精力的に行った数々の提案がハコモノ行政と揶揄された日本の行政に全くウケなかったのも納得できる気がする。

荒川修作初期作品展

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用事のついでにさっくり国立国際美術館に。

すべすべぷっくりした肌に薔薇色の頬、八分咲き未満の女性に対する賛美と憧憬の作品が目立つ「ルノワール展」。

これと同時に開催されているのが荒川修作の初期作品展。作品は棺桶。

テーマは、「死なないための葬送」だと。

ルノワールが「生のための生」だとしたら、荒川修作は「生のための死」。

こういう対比すごいな。能楽と間狂言の関係に似ている。同じテーマで切り口違い。

この場合、能楽が「生のための死」で、間狂言が「生のための生」だけど。  

 

ルノワールに群がる人々を見ていると、「わかりやすい嘘」だと半ば知りつつ喜んではめられるマーケティングの餌食のような気がして。

本能に根ざした半差し。わかりやすく簡単すぎて、どうしようもなく逆振れしたくなる。

 

さて。 

荒川修作という名もこの人の作品に出会ったのも初めてだったが、

並んでいる棺桶作品を見ていると、

自らが葬られる前に、自らが葬りたい何か、というのが次々と湧いて出てくるのが、つまりは生きていくということなのか、としみじみとする。

ルノワール展には、初老の男女が大挙して押し寄せていたが、

彼らは完全に荒川修作をスルー、むしろ若い男女が彼の棺桶作品を興味深げに見ていた。

そういえば、薔薇色の少女や裸婦を食い入るように見る初老群の横顔は、何か必死に「生らしい生」の表現を追い求めているようにも見えた。

 死なないための葬送.jpg

 

 

 

*この記事をアップして、今更、と思いつつ、「荒川修作」で検索してみたら、

まさに先週の火曜(5月19日)、亡くなられたのですね。なので追記。

初七日に作品をはじめて拝見した、ということになるのかしら。

荒川修作氏訃報の記事に掲載されている作品、ステキです。

記事にある色鮮やかな住宅と左の棺桶作品のコントラスト。

恐怖を超え、生と死の間をダイナミックに行き来できる精神が、

すぐれた表現を生んだのだ、と納得。

伝耕分室日常の風景

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週末出張の後、伝耕分室にて、しこしこレポート等の作成。

クライアントさん以外の方には、どうもぜんぜん仕事してないように思われているらしい(笑)のだが、

実はきちんとやっているのである。営利企業だから当たり前だけれど。

こんな感じで。

伝耕仕事風景.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝耕分室の小さな自慢。緑のポスト。これまた黄色い家とよく似合う。

黄色い家に緑のポスト.jpg

 

 

緑が立派な「ポストくん」は、

これまた立派な緑の「やつでくん」と、

「どっちが立派な緑か」ガチンコ勝負している。

こういういわゆる「男子な勝負(=ちょっと笑える張り合い)」、

見ていてほほえましいのだ。

お鍋な楽器

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6月5日(土)一心寺シアター倶楽にてコンサート予定のスティールパンの練習を見学。

スティールパンの金属音がぴったりな季節はそろそろですね。

コンサート本番はフォトグラファー長谷川くんが撮影します。

練習のあった今日は、このスティールパンオーケストラを率いる山村誠一氏との顔合わせ。

きらきらのお鍋と奏者の激しいスティックさばき、あふれるスイング感、長谷川君、どう撮る?

 

空港ソフトクリーム

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ただいま、福岡空港。

帰途の空港でいきなり「甘ジャンキー」になる吉田と私は今回はソフトクリームを買い、

餡ロールケーキのような加寿巻(壱岐のお菓子)をちぎってソフトクリームにつけて食べる。

そういえば我ら、羽田空港で、12センチのとろけるシブーストを丸ごと一気食いしたこともあったな。

ロビーのPanasonic VIERAで普段は見ないテレビを見ながらぼけーっとしている。

 

右斜め前のおじさんも、スーツ姿でソフトクリームをなめていた。

なんだか癒されるのだ、ソフトクリーム。

 

 

福岡にて

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今日は福岡に出張。

飛行機はボンバルディアで、プロペラで小さくてかわいい。

久し振りの福岡は曇りがちだったが、懐かしい風情。

街ゆく女性の洋服に、柄物が多いのは土地柄のせい?

東京と大阪ではない街を歩くと、

妙に新鮮な気がするのであった。

シマトネリコ

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高さ10センチの苗。この冬はすっかりほったらかしで、細い枯れ枝でできた針山みたいになってた。

なのでもう処分しようかと思っていたが、それも面倒なので、

ついでに水でもかけておくか、ぐらいの世話なしだったが、芽が出てきて見事復活。

 

おっと、「シマトネリコ」強いぞ。

 

「雑草」感覚の木であるからして、伝耕にぴったりかもしれないと思い、逢阪分室に持参。

玄関前で育てよう。

 

何かいうとき、するときは地に足のついた経験をもとに、

えらそーなことにならんように、

むずかしいことをできるだけかんたんに楽しくする方法を、

逢阪の黄色い家で考えながら、

この小さな苗を育てるのだ。

 

シマトネリコ.jpg

 

伝耕分室:重要な但し書き

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逢阪の黄色い家が、伝耕の仕事場。同じ番地で家が4軒連なっている。

というわけで、郵便物を分室に転送してもらうときに、

「同じ番地で家が4軒あるので、黄色い家に持ってきてください」と郵便局に伝えたら、

黄色い家指示.jpg

こんなポストイットが封筒に貼られて、

配達員さんが大事そうに持ってきてくれた。

わーい。

かわいいじゃないですか。

そうそう、あの路地の奥、「黄色い方の家です!」

 分室は私の家からすぐそこ。郵便配達も宅配便も同じエリアだから、

それぞれの担当者は一緒で全員顔見知り。

 黄色い家は借りたし、名前も珍しい私は、居住6年にしてかなり顔が割れている。

 

 

いろいろバレているのである。 

ザ、天王寺、ゆうに一千年以上「都会」なのであるが、いまだに、「顔の見える都会」であることにシビれる。

MissionとMichelin

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会社をやる限りは、使命=Missionみたいなものはいるし、それをここ数年の時間軸でやろうとするとVisionがいる。

Visionを作るには、トレンドを見る目が必要。

そのあたりのお手伝いでご縁のあるクライアントさんの仕事で東京出張をしていた帰りの飛行機で、Michelinの宣伝を発見。

あー、そういえば、ガイド発売でわいわい大騒ぎな時期もあったなと思いだした。

ひつこい私は、店頭でガイドそのものを見かけなくなった今頃に蒸し返す。

 

私はガイドの内容には興味もないし、あまり価値も感じなかったので盛り上がっている最中には何もコメントせず。

売り出しているときに、中身をこきおろしたりすると、ごくごく小さな影響だとしてもバズに加勢することになるので、そうしたくないときはスルーするに限る。

 

それでも私は、ガイドの中身がどうこう、ではなく、世界最大のタイヤメーカーがガイドを出したこと、それが100年以上続いていることは賞賛に値すると思っている。

 

世界最大のタイヤメーカーMichelinがなぜガイドを作ったか?

Wikiによれば、1900年のパリ万博の頃に、来るべきモータリゼーションの未来を見据え、自動車旅行を活性化させるための宣伝として始まったらしい。

実質的かつ、楽しいことの啓蒙活動、である。

会社のMissionを具現化するために、トレンドを呼び込むすばらしいマーケティングの先行投資でござる。

 

さらに白眉の事実は、最初は宣伝であったガイドを有償化したこと、である。有償化のくだり、これもWikiによれば下記。

ある修理工場を訪ねた際に傾いた作業台の足代わりとしてミシュランガイドが地面に積み重ねているのを見かけて「人間は金を払って買ったものしか大切にしない」と考えたミシュラン社のミシュラン兄弟はそれまでの無償配布を中止、1920年からは有償での販売となった

価値あるものにはチャージした、と。

このあたり、宣伝に終わらせなかったこともすごい。

で、文化だ風土だと言われるに決まっている料理の世界にも、普遍的価値があるようなスケルトン(☆)を呈示できると踏んで、世界規模にしようとした野心、つまり、地平を超える感じ、

何かとちまちましがちな我ら(=「縮み体質」)は見習いたい、と思わない?

 

私にとってガイドの内容なんかはどーでもいいんだけど、彼らの千里眼とビジネスマインドには、ちょっと心打たれるな、と。

でも今や、もう一度、中身について考えてみると、情報そのもの(情報精査の方法含め)に価値があったからチャージできた時代のやり方をそのまま踏襲しているだけ。

その価値づけの要、「覆面の調査員」だって、ネット上で匿名ではあるが「飲食店」を得意とする評価の高いブロガーと比較して、いったいどちらが価値ある情報を提供できるのか、という点においては、かなり怪しくなってきた。

ネット社会の今、覆面調査員の価値ってホントにあんの?

さらに、「自動車旅行の活性化」って、今どきこんな直球、ないしね。

 

実は、ガイド発祥のVisionと価値に紐付かない実態に浸されているミシュランガイド。

確かに今、「ミシュランガイド」というブランドはあっても、そもそもの有り様と紐付かないところからまずはひからびて、どんどんブランドは崩れていくんだよな、と思うのです。 彼らもそれがわかっているから、ブランドに絶対的な権威付けして、君臨したい。

 

さて、これから。

急速に変わる時代の流れと価値の有り様にブランドをどう紐付かせて、長い歴史を持った「ミシュランガイド」を強化し育てていくことができるのか?

ちょっと長い目で観察対象です。

第二弾2010年5月16日(日)金星三日月

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あー、もう見飽きたという人ごめんね。日曜の金星三日月アップ編。

あと25年(だっけ?)ぐらいは見られないと聞くと、えっと、私ってそのとき生きてるかな?と思う年齢になっちゃった。

三日月にもクレーターあるのよね。

当たり前なんだけど、感動。だって、肉眼ではもう無理。

長谷川君ありがとう。DSC_7997.JPG

 

2010年5月16日(日)の金星と三日月

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昨晩の金星と三日月見た?伝耕逢阪分室屋上からの写真をどうぞ。じゃん!

DSC_8020.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下に見えるお寺は一心寺さんですね。さらにシュールな仁王さんとセットだにするとこんな感じでした。

昨日は伝耕分室にお客様、開催中のigu伝EXHIBITIONにも行って、とってもいい日だったんだけど、

こんな日の宵に、アクセサリーみたいな金星と三日月。

天からのプレゼントみたいでした。

ステキすぎるわん。

フォトグラファーはもちろん、伝耕店子、長谷川朋也でございます。

 DSC_8014.JPG

五月晴れ

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寺町の緑にさわやかな風が吹き抜ける。

逢阪黄色い伝耕分室にゲスト。

ランチをいただいてから、西区新町のcafe ninoで開催中の

igu伝のEXHIBITIONに。

 

五月晴れの一日。

生きていることがすてきに思える、

大切な時間をいただけた。

 

 

しごとのだいごみ

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今まで出会ったことのない人に出会えて、
新しいことにチャレンジできたり、
儲かりそうな話の端っこにいたり、
何かでかいことができそうな話に参加できたり。

ま、いろいろあるけど、
その場に居る人たちの大部分が、
その気になって生まれた、
真剣なやりとりのなかに、
何かのスパークが生まれて、
それが未来を作りそうな予感がすること、
それがしごとのだいごみの一つなんだろうと思った。

幸せなことに、
そんな場面に何度も出会える私は、
ホントに幸せなんだろうと思う。



 

自分の感覚を表現する赦し

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最初に惹きつけられるかどうかで、実は勝負の大半が決まっている(であろう)購買の場面。

惹きつけられるかどうかは、多分に感覚的な話である。 

感覚的に惹きつけられる度合いと理由について、お客様を観察することもあれば、お客様のお話を伺って、コミュニケーションをとる方法としてインタビューがある。

脳波で惹きつけられた対象を特定することはできるが、なぜそうなのかということを知るには、やはり聞いてみることが早道であろう。

インタビューする際に特に最も重要なのは、

インタビューされる相手が、自分の思いや、考えを表現する以前に(ということはもちろんのこととして)、自分の感覚を表現してもかまわないという赦しが提供されていると認識していること。

そういう赦しを提供することを「ウオーミングアップ」と言う。

 

感覚的なことは言葉にした経験がないことが多いから、稚拙な表現や「なんといったらいいかわからない」という回答になることが多いが、

そういう回答が出てきたら、「うまくひきだせている証」なんだろうと思う。

ひねりのない質問に対して、すぱっと、出てくることばなんか、誰もがわかっていること。

もう少し言うと、そんなの「インサイト」でも何でもないので、発見があるはずがない。

 

そんなことじゃなくて、

「なんといったらいいのかわからないだけれど」と困っている回答者を前に、

「それでいいよ、で、たとえば、それは○○○な感じ?違う?」と右に左にぼんやりした中身をシェイクしたりしながら、

徐々に輪郭がかたまってくるのを話を楽しみながら、待つ。

 

一問一答形式だけに慣れている人には、とても辛いのかもしれないけれど、

およそ試験というものが苦手な私はそういうことが好き。

おでかけ

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5月は薔薇の季節。

道ばたに咲いていた薔薇が素直にきれいだと思った。

今朝から東京出張。

少し肌寒い朝である。

薔薇.jpg

 

頭の隙間

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いろいろなことを考えていた。

さて、今日はそんな頭の隙間に何をいれようかと考えてみたら、

言葉やこざかしいテーマは全く浮かばず、

道すがらにみかけた花々の姿を埋め込みたくなった。

 

ただ次に命をつなげるために、

「草」から「化け」てできた「花」。

化けてまでも、つなげたいのかと、

あたらめて問う。

 

 

北海道の桜

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「明日の北海道は、10度を下回りそうです」、という天気予報。

今を盛りに咲いているらしい桜は寒さでふるえてしまうだろう。

ゴールデンウイーク後の今週、休み明けで世の中の人たちは忙しい。

こんなときでも、いつか、ぽかん、と休んで、北海道に桜だけを見に行きたいな、と思った。

 

ジャグリングな私の人生つれづれにと思って、ブログを書き始めたが、

この世の中、一つだけのことをする贅沢はますます許されず、

コミュニケーションを行うにしても、そのメディアとして、

携帯電話だの、メールだのツイッターだの、ブログだの、ゆかしき手紙だの、いろいろな方法がある。

それぞれにメリット・デメリットがあるので、特徴を生かしつつ、と思っていると、

コミュニケーションメディアの使用は限りなくジャグリング状態になる。

 

何のメディアも使わず、ただ、その本人に会いに行く、といったことすら忘れてしまいそうである。

 

いつか、ただ、北海道の桜に会いに行こう。

消化器官サイボーグ

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象の歯は何本?草木を鼻でちぎり口に入れた後はすりつぶすために歯には臼のような機能が必要なだけ。長さ約30センチの歯が上下一本ずつ、なんと合計4本しかないらしい。

生涯で象の歯は5回生え替わり、最後の歯は40歳ぐらいで生える。この歯がすり減って抜け落ちると、もう草木を食べられなくなるから、象は死ぬ。

 

歯は消化器官の最初の要。

なので野生の動物にとっては、歯の寿命が自分の寿命。

人間には入れ歯なんてものがあるが、装着してしまったら最後、口という最初の消化器官がサイボーグ化した、ということに他ならないことに気づいている人は少ない。

そりゃそうだ、入れ歯の人を消化器官サイボーグ、と言い換えたのは(In other words, のおそらく正しい使い方)、たぶん私が最初。失礼しました。

 

入れ歯のない野生にあれば、そのまま衰えていくところだが、口のサイボーグ化によって自分の歯がなくなっても人間は生き長らえる存在だ、ともいえる。

 ある程度、自分の歯が抜けて、差し歯や入れ歯でサイボーグ化されたら、

もう野生状態では生きていけない存在であることを奥深く認識すべきなんだろうな。

 

で、自らすすんで身を引いて、後進に道を譲るべきなんだろうな、ホントは。

月につれてって

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フランクシナトラが歌って大ヒットとなった、Fly Me To The Moon

ちょっと前にエヴァンゲリオンでも使われた名曲。

 

Fly me to the moon

And let me play among the stars

Let me see what spring is like

On Jupiter and Mars

 

In other words

Hold my hands

In other words

Darling kiss me

 

Fill my heart with song

And let me sing forever more

You are all I long for

All I worship and adore

 

In other words

Please be true

In other words

I love you

 

大筋は、

第一節: あなたという男性は多大なリスクを取って未踏の地のすてきな資源を、女性である私に見せて、

第二節: (In other words) そのリスクをとれる、あなたという男性を得られるのは、女性の中でもこの私だけだから私に近づいて、(In other words)他の女性とは違う位置づけにして。

第三節: 女性の私が長い間コミットできるに値する価値をあなたという男性は持ち続けて、

第四節: (In other words) そういうあなたという男性が私だけにほんとうにコミットしてくれるのなら、(In other words) 女性の私はここではじめてあなたにコミットするわ。

ということなんだけど、In other words の使い方が、この曲を「呪文のうた」とするために秀逸な働きをしている。

 

ホントは、In other words (言い換えると)に続く内容は、単なる前の文章の説明にすぎないはず。

ところがここでの使い方は、ある高い理想型を押しつけた後、「In other words=そのつもりがあるのならば」という特殊な条件節に転換されて、具体的な「私へのコミットメント」の方向へとひきずりこむためのアクションが次々と指示され、 最後のIn other words が唱えられると、アクションが集結し双方コミットに至らしめる。

In other wordsをフツーの語法で結ぶならば、こうはならんはずである。

 

歌のスケルトンは、

限られた数のリプロダクションしかできない雌が、最大資源を持つ能力の高い雄を見定めて、挑戦させ、自分に近づかせ、最大限コミットさせ、確認してから、自分もコミットする、という究極のやりとりがここに凝縮された非常に野性的な(無意識的目的性の高い)内容。

はっきり言って身も蓋もない筋なんだけど、月だの水星だのというメタファーと、In other wordsで、「野蛮な感じ」が払拭されるどころか、シナトラがあの声で歌うと、なんともいえずロマンチックに感じさせちゃう。

呪文に閉ざされた無意識的目的性があからさまにならないからこそ、大衆は、この曲になんだか気持ちよくとりこまれる羽目になる。

 

さてさて。

無意識的目的性を潜ませた呪文を唱えて、商品を売るのがマーケティング手法として一つの秀逸なやり方。

そのために行われる、 ひとびとの日常の(野生の)思考をひきだし、ひもとくことが私の仕事でもある。

そんな仕事のベースとして、レヴィ・ストロースの「野生の思考」をさっき読み返してたら、「無意識的目的性」なる表現に出会う。

そして偶然、バックにFly Me to The Moonが流れていた。

けだるい日曜の午後である。

歌詞を追っていると、は?と気になり、とんだ脱線をしてしまった。

 

いや、しかし、 調べてみると、

フランクシナトラがあの甘い声で、野性的呪文炸裂の歌、Fly Me to The Moonを、当時、大ヒットさせたのが、1962年。当時アメリカは、底抜けに明るい科学的合理性をバックボーンに豊かさを享受していた。

同年、奇しくもレヴィ・ストロースの「野生の思考」が世に出たのだった。

 

うーん、粋な組み合わせ。

なんだか発見、であった。

雑草度チェック

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自分が大輪の花だとか、大木とか思わないお方はサバイバルの参考にどうぞ。

人間とともに進化発展してきた雑草は、まさに人間の最大好敵手ともいえるので、見習うところ多し。

先日紹介した「雑草の成功戦略(稲垣栄洋著)」より、以下は雑草学者として著名なベーカー先生が「雑草性(weediness)」を「理想的な雑草の特徴」として12項目にまとめたもの。

 

1)種子に休眠性を持ち、発芽に必要な環境要求が多要因で複雑である。

→環境が整う時期を待って最適に芽を出す、オポチュニスト。

2)発生が不斉一で、埋土種子の寿命が長い。

→いっせいに発芽すると全滅する危険がある。ネタはあるが、チャンスだからといって、全部はき出したりしない。常に地面の下に豊富な「長持ちする」種子のたくわえがある。

3)栄養成長が速く、速やかに開花にいたることができる。

→芽を出したらいち早く成長し、自分の存在場所を確保する。予測不可能で不安定な状況生存を保つために、スピーディな成長ができる。

4)生育可能な限り、長期にわたって種子生産する。

花を咲かせ種子を残すことは雑草の生きる目的。一つの花だけではなく、次々と花を咲かせできるだけ多くの種子を残す。

5)自家和合性であるが、絶対的な自殖性ではない。

他の個体と交わることなく、たとえ一個体であっても種子を残すことができる。ただし、自己完結だけでは多様性を得ることができないので、状況に応じて他の個体と交配する方法も使い分ける。

6)他家受粉の場合、風媒かあるいは虫媒であっても昆虫を特定しない。

昆虫だけに頼らない。昆虫に頼っていても特定の昆虫だけに頼らない。幅広いパートナーシップを持つ。

7)好適環境下においては種子を多産する。

逆境に耐えるだけでなく、条件がよければ種子量産体制に切り替えて、潜在能力を遺憾なく発揮する。

8)不良環境下でも幾らかの種子を生産することができる。

たとえわずかであっても種子を残すことが雑草の目的である。苦境にあっても種子を残すことに最善を尽くす。

9)近距離、遠距離への巧妙な種子散布機構を持つ。

種子の分布を広げるために、風や水、動物にはこばせたり、種をはじき飛ばしたり、ありとあらゆる方法を使って効率的に種子散布を行う仕組みを持つ。

10)多年性である場合、切断された栄養器官からの強勢な繁殖力と再生力を持つ。

成長の過程で切られたり、折られても、成長するだけにとどまらず、切断された栄養器官からすべて芽を出して、逆境を逆手にとって増殖する。

11)多年性である場合、人間の攪乱より、深い土中に休眠芽を持つ。

耕されたり、刈られたり、雑草の生存場所に起こる攪乱に対応するだけでなく、地表の喧噪の届かない地中奥深くに休眠する芽を確保している。

12)種間競争を有利にするための特有の仕組みを持つ。

植物の世界は激しい競争の世界。その競争を少しでも有利にするために、自分の得意技を発達させている。

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雑草度の高い人は、すでに大成功している、という話もあるけど。

ほのじ

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「保」という字が、人が赤ちゃんを背負っているさまを表したもの、ということをさっきはじめて知った。

 

背負える人はたいしたものである。

背負っていることを威張らず、背を曲げ、無用に動かない。

背負うことなんか、傍目には不格好なことだ。

それでも、自分は背負うのだと決めた人だけが、

背負われた者にとって快適な背中になれる。

 

そういう人が身近にいた時期があった。

もうその人はこの世にいなくて、「保」の姿の背負いの傾きだけ、残像が脳裏に残っている。

C-S-R戦略

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成功戦略の類型について。

Cタイプとは、Compeitionの頭文字を取ったもので、「競合型」の成功戦略。Cタイプは、大きく力強く、他との競争に強く、打ち勝って成功するタイプ。

Sタイプは、Stress torelantの頭文字。「ストレス耐性型」の成功戦略。過酷な環境下で、じっと耐えるタイプ。

Rタイプとは、Ruderalの頭文字で、「攪乱耐性型」と呼ばれており、このタイプは環境の変化に強く、移り変わりの激しい環境下で柔軟性のあるタイプ。

では、強大な力を持つCタイプ(競合型)が最も成功しやすいと思いきや、さにあらず。Cタイプが力を発揮できるのは、競争すべき相手がたくさんいて、しかも公平な競争が約束された条件、すなわち、比較的恵まれて安定した条件に限られる。

しかし、世界はそんな条件が揃ったところばかりではないので、このタイプが常勝するわけではない。競争する相手がいないとこのタイプは力が発揮できず存在が危うくなる。

競争すべき相手が生き残れないほど、過酷な条件もある。そのときに生き延びるのはSタイプ(ストレス耐性型)。

一方、Rタイプは平穏でも過酷でもなく、何の前触れもなくいきなりやってくるような攪乱状態を好んで力を発揮しようとする。

 

で、これ、何の類型かというと、ビジネス書にありがちな「ビジネス人材類型ではない」。

なんと、「植物の成功戦略類型」。 

 

「雑草の成功戦略(稲垣栄洋著)」という素敵な本に出会って、るんるん読んでいる。

雑草の成功戦略.jpg雑草はCタイプとRタイプの中間型に位置するものが多いらしい。

ちなみにSは高山植物とか、サボテン。

雑草は急に環境が変わっても生き残れるから、環境の変化をものともしない。

急に耕される畑、草抜きされ続ける庭。

これはすべて雑草のホームグラウンド。

普通の植物にはとんでもなく逆境な環境が、雑草にとってはむしろ必要な味方になる。

ふーん。 

 

この本でひもとかれる成功戦略、本屋で平積みされているビジネス書よりも100倍面白い。

こどものひ

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わが家には15歳未満のこどもがいて、

今日はこどもの日をお祝いした。

15歳未満でなくなってしまう時まで、

もうカウントダウン状態なので、

今のうちにこども扱いしておく。

 

こども扱いできる年齢のこどもが居る家庭であることはありがたいことだ。

どんどんこどもの数が少なくなって、

総人口に占める、15歳未満のこどもの占める割合は、

13.3%であるそうだ。

7人のうち少なくとも6人はこどもではない勘定になる。

こどもではない6人のうち、半数以上は、既得権と過去の実績にこだわってあーだこーだと言う層であろうと思うと、

ことさらに、こどもを守りたくなる。

ダシにやみつき

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実験動物が油脂と砂糖がやみつきになる、という面白い研究をしてこられた伏木亨さんは、

同時にダシにも強い嗜好を示すということを見出されたそうだ。

動物実験では、幼児期にダシの風味を体験すると、成長後にダシ好きになる可能性が高いらしい。

つまり、今、共同体と自らの存在理由とをセットで引き継ぐために、おやじたちが身をよじらせている味は、その土地独特なダシのベースがある。

それを中毒化させ、一生の客にするためには、 小さい頃から食べさせなあかんということ。

若いもんに人気がなくなっていくうまい食べもんについて、ただ御託を並べているだけなら、子供にはうざいだけで実効性はない。

それよりも、その食べもんをおいしいやろ、おもろいやろ、と口に入れてくれるおばちゃんやにいちゃんが必要ということ。

表面だけなぞって排除するだけでなく、ハッ○-セットの基本フレームに学べ。

シャチの捕鯨

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映画DEEP BLUEを見ていたら、

鯨の親子をシャチが襲う場面があった。

狙われているのはもちろん子供の鯨。

6時間の追跡劇の後、あえなく子鯨はシャチの餌食になる。

ところが、

シャチときたら、食べるのは子鯨の「下あごと舌」だけ。

あとは全部食べ残して去って行く。

子鯨の死体がぽっかり大海に漂う図がどこか変だなと思ったら、

下あごと舌のない子鯨が腹を上にして浮かんでいるのであった。

 

自然の摂理の中にあるといってもその食べ方はなかろうという、

「ふつうの人間感覚」から違和感が生ずる。

 

シャチの捕鯨も、

「鯨はともだちと思う人間感覚」炸裂の「海の番犬」船さんに、

取り締まっていただいてはどうだろうか。

希望とお金のまんなか

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漫画家の西原理恵子が若きNGOリーダーに贈った言葉。

「理想と現実のバランスをとる」という意味なんだけれど、

「理想」が「希望」、「現実」は「お金」、「バランス」を「まんなか」と言い換えられていて、表現が秀逸。

やっぱりだめかもしれないけど、一筋の光が、というようなシーンが浮かぶ「希望」という言葉は、

一点の曇りもない「理想」という言葉よりも、やりたいことをやっているがために辛い目にあっている本人が、

脳裏に見る画像とリンクしていてリアリティがあるし、

「現実」のほとんどはお金の問題だったりする。

理想ベースで突っ走ると、ついつい独りよがりでお金に困ることになり、

お金が入ってくると、ついつい「あって困らないものだから」とやり続けてしまい、一筋の光と伴走していないことに気づく。

「希望とお金のまんなか」、と言われると、「理想と現実のバランス」なんて言われるよりも刺さる人は多いんだろう。

生身(なまみ)表現、サイバラせんせ、さすがですぜ。 

 

さて、今日は、徒歩2分の四天王寺へ行く。

ゴールデンウイークで車が少ないせいか素敵な青空。

四天王寺.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古書市最終日。

用心して、財布に2千円しか入れていかなかったが、2千円全部使ってしまった。

本で有り金を全部使ってしまって貧乏になる感覚、結構好きだったり。

家まで2分なので、何も困らないんですが。

このあたりで、小市民ぶりを炸裂させているのであった。

 

 

古書市.jpg

五月晴れ

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逢阪にある伝耕分室・台形の黄色い家、一応会社は休みなのに出入りが激しい。

この春に卒業した伝紋ワークショップ出の社会人がこの休み中に帰阪するうれしい知らせが入ったり、

休みならではのイベント撮影に出動する分室店子のフォトグラファー、

伝紋ワークショップにご興味をお持ちのメディアの方の訪問、

なんだかんだとにぎやかである。

伝耕分室を出て、家まで200メートルの通勤ルート?!を楽しみながら帰る。

このあたりの街を歩いている人は決して若くない。

だけれど、なんだかみんな一様に晴れやかな顔をしているから若やいで見える。

気遣いのいらない街に流れる五月の風を楽しみながらそぞろ歩いている。

 

確かに景気は悪い。

でも平和ではないか。

確かに未来は見えない。

平和だからこそ描ける未来は無限にある。

人生わかったふりせず、挑戦を楽しもう。