えとじや お。さんブログへのコメント

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下記はえとじや お。さんブログ マーケッターの「好き」って?  にコメントしていたら長くなったので、ここに掲載。

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こんにちは。お呼びじゃなかったらごめんなさい。

「憶えている」という言葉は「愛している」という言葉と同義語、と言う人がいました。

きっと、好き・嫌いとはっきり言えるものは愛憎につながり、「憶えている」レベルのものなんでしょうね。マーケティングの効果を考えるのならば、「憶えていてくれる」ことは肝要。

愛憎(←好嫌)は紙一重といいますから、まずはマーケターの仕事は「愛憎(←好嫌)」を脇に置いて、直感的に「憶えている」と言ってもらえるレベルにあるのなのかどうか、を同時に判断すること。ここの判断の精度が高い自信があるのならリサーチの半分は不要でしょう。効果の問題を考えると、好き・嫌い(愛憎)、どっちでもいいけれど憶えてもらえそうな感情の揺さぶり要素が揃っているか、ということが重要ですものね。ゆさぶりを作れない企画は、結局好きも嫌いもどっちも作れないのでしょうから、お金かけて広めても「刺さらない」広告やキャンペーンになる。「そもそも」論です。

「そもそも」論をクリアして、愛憎判断レベルに至ったとする。幸運なことに、マーケターが自分の「好き→愛」の路線だと判断してハッピー状態であれば、お書きのように成否はどうあれ、主観的には「よし」なんでしょうね。逆に、マーケターが「嫌い→憎」だと思う路線にあるのなら、なぜ「憎」なのか、と自問自答した上に、関係者に説明し尽くしたいところ。

問題は、「嫌い→憎い」の路線については、マーケターであっても、それをまったくの自己保身にかかわる要素と切り離して説明できる人が少ない(ような気がする)こと。「嫌い→憎い」と言い切れる「何か」は、その「何か」の要素が、世の中や自分の周りにのさばってしまうと、結果的に「嫌い→憎い」と言っている自分(マーケター)の存在が危うくなるもの(=保身できない、自己を堕落に導く)ようなものだったり。なので、瞬間的に「嫌い→憎い」と表明してしまう。望ましくない状況を瞬時に回避するということは生き物としては限りなく正しい選択だと思いますが。

なぜ嫌いなのかを説明せずに、スルーして、リーダーが好き嫌い論で突っ走っているプロジェクトチームはメンバーの説明能力が全体に低い。大きく言えばそのカイシャの成長にかかわる問題。

ヒドイ場合は、本能的に瞬間的に決定したい、思考停止状態で拒否したい、という衝動のままに振る舞えることこそが、地位の証、と思っていらっしゃる方もいらしたり。いえ、否定はしませんが。カリスマにありがちなので。

思考停止にならずに説明できるのは「お。」さんのように、とことんまでトレーニングされた人かと。リサーチの究極の価値は、愛憎の理由を自分で探ることはせずに他人のフィルターを通じて確認させる作業にある。それを客観と呼ぶ人もいますが、私の客観の定義は、「違う頭の主観を思考停止にならずに観察すること」なので、ある種、主観ともいえる。ただし、それは成功の約束ではなく単なるリスクヘッジにすぎない。そこの精度を上げることがROIを満足させないのはどこまでいっても単なるヘッジにすぎないからですね。

そもそも文化が異なれば、自分の存在にかかわるコードが異なるので、愛憎のコードが異なる、自分が愛していても嫌われる、憎いと思っても、その文化コードでは愛されたり、ということが起こる。


文化コードが複数錯綜していて判断が必要なところではリサーチを行う価値があるでしょう。わかりやすいところはグローバル企業でのリサーチの多用とか。同じ国でもマーケターがターゲットとする相手と文化コードが違うと不安に思う時は、行うことに価値があるのでしょうね。優秀なマーケターでも舞い上がったり、思考停止になる可能性はゼロとは言えず、結果お金を失ってしまう、ことよりもリサーチしておいた方が長期的に安上がり、という判断もあるような気がします。

すごいマーケターって、自分とは愛憎コードが異なる赤の他人Aさんのコードにがっつり組んでひきだし、ひもといて、自分なりにAさん愛憎コードを組み立てることができる能力を備えている人なんでしょうね。そんな人が多くなれば、リサーチの出番が少なくなるのは確かです。

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