生活しているところで、同時にわけわかんないビジネスもするって、人格の使い分けをサラリーマンみたいに割り切るわけにはいかず覚悟のいるもんだ。
あそこの奥さんは、仕事をしてて、出張でしょっちゅう家を留守にしてて、それで変な会社をやってて、どこの家で、こんな車で、旦那はこんな職業で、こんな人、子供はこんな感じの子で成績で、こんな習い事してて、奥さんのふだんの顔とよそゆきの顔はこれぐらいの分散があり、近所の行きつけはここ、こんな買い物をしてる。総じてこんな人。
ってな感じの人が、こんな商売やってんのよね、で、どうよ、みたいな。
360度評価に耐えなくてはならない。
っていうか、耐えているふりして、そんな他人のこと総合的に判断できる人、多くないよねという見切りのもと、部分最適化を試みつつ、俯瞰的に判断出来る数少ない人を見極めて、その人ときっちりコミットすればほぼ正しいという判断が必要か。
この振る舞いと判断こそが共同体の中での生き残り処世術の基本のキ?
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