伝耕のお仕事便り

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伝耕の「伝版」・「伝紋」・「ひとふでんず(伝図)」。「でん」がいっぱい。なので、このサイトを構築してくださっている浅草の桃知さんに「でんでん」と呼ばれている。

昨年の夏にサイト構造を浅草寺の子宮的構造にしたいという桃知さんによる壮大な構想をブログにアップしていただいたが、それに対する回答も感想も私は書かなかった。

思想なのか、肌合いなのわからないのだが、何かがずれている、どうしようかな、と思ったが、そのうち、と思って今日に至った。

子宮的構造、とか、そういう表現で語るなら、確かに伝耕は「子宮」をもつのかもしれない。子宮持ちの3人が会社の中心だし。

しかし、子宮に至るまでのエントリーや出口、その出入りのプロセスに大いなる興味があり、人生を賭すオスと、そんなものはすでに持っているメスは、入り口と出口のありように賭けるパッションが違う。

そもそも感覚が違うせいなのか、とにもかくにもフォーカスするところが異なるんじゃないかという気もしている。

伝耕の有り様は、たしかに子宮的構造を目指しているのだろうが、私としては、その力点は、「子宮的構造」にあるのではなく、「子宮的構造」にある。

つまり、私たちが素のままやっている以上、いきなり子供が育っている子宮口のある風景から始まる。

伝耕サイトのトップページに出ている「伝版」・「ひとふでんず」・「伝紋」の子宮口をクリックすると、それぞれ「伝版ちゃん」・「ひとふでんずちゃん」・「伝紋ちゃん」という子供たち細胞分裂している様子が見られる。

つまり、子宮=寺とするメタファーを用いれば、伝耕は浅草寺のような大きなひとつの寺ではなく、いくつかの子宮が集まってできている寺町という構造。

でも、寺町にもどこかに総本山がある。その考え方は、「楽(らく)に楽しく、気持ちや考えをひきだし、ひもとき、くみたてるツールやノウハウ(場も含め)を提供する」ということであって、それ自体は見えないし手に取れない。

総本山のなにかしら、そういう中心性は、それぞれの子宮にいる3人の子供たちの成長を通してのみ見える。中心性自体はコンセプトにすぎない。

コンセプトの表現系である子供たちは今のところ、「伝版」ちゃんや「ひとふでんず」ちゃんや、「伝紋」ちゃんであって、その子たちが大きくなって、世に出て行かないと、そのコンセプトのものも伝わらないであろう。

 

なので、我らは彼らを育てている、「伝耕するひとびと」なのである。

育て方のプロセスの中では、

彼らを育てながら、「今、世の中に役立つ」ために、出稼ぎもする。

手のかかる子供たちのすぐ側にいてあれこれと面倒も見る。

そういう意味では、この会社は子持ちの私の人生と入れ子構造になっている。

 

いつか、このサイトを出て、旅に出る子もいるし、残る子もいるだろう。

そういう動きもわずかに出てきた。

 

ならば、次の子供達のためにも、今の世の中にお役に立てる宣伝もはじめようかしらんね。

そういうことも考えている。

 

伝耕活動を続けながらビジネスを成り立たせるには、しかし、入り口と出口に人生を賭ける人たちの好みに合わせなくてはならないこともよく知っている。

そのあたり、「子宮的構造」と「子宮的構造」の可能性について、考えはじめなきゃ、と思っている。

 

なんせ、春ですから。

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