虐待のうしろにある身体的文脈

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赤ちゃんの育児放棄がらみの話、なんだか身につまされる。

 

海外出張だの、テレビ会議だの、会議づけのスケジュールを管理してくれる人もいたりして、ひどい時差呆けには悩まされはしたが、

書類と会議だけの、そんな生活から、

一挙に田舎の妊婦、乳児の母になったとき、自分で選んだ道ながら、その孤独さと、上下運動と、こちゃこちゃ仕事にまったくもって「一時的に」参った。

子育ては上下運動なのだ! 知らなかった。 子供は地べたで動くから。

母親との身長差のある組み合わせは、何をするにしても上下運動になる。

さらに、上下運動が激しくなる頃、子供の体重はかるく10キロに達する。 

 

その上、子育てはやたらに指先を使う。おむつかえ、着替え、こちょこちょ細かい洗い物、整理、刻み・つぶす料理。

鍛え方の足りない私の腰は、悲鳴をあげ、よく使われていない手は腱鞘炎になった。

すでに、36歳だったしね。

若くはなかったせいもあると思うが、それを言うと、また周りから「それ見たことか」という視線が来ることはわかっていたので知らんぷりをしていた。 

 

子供を産む前は、メールを書き、出張をしまくり、空いた時間のオンデマンドで、外食し、家事を省力化(サボり)し、残業を含め夜更かしし、休日に朝寝していた日々。

子供を産んだ後は、子供のオンデマンドで、動き、動き、動き、一緒に寝る。 

 

今から思えば、たいしたことなかったが、

そのときは、なんなのコレ?と思ったものだ。

昨日まで、横移動とキーボードで生きていた私が、なにゆえに、いきなり、上下移動と、ぞうきん・ふきん・ガーゼ・ティッシュで生きなくてはならないのか、と。

おんなじ人間なのに。

むしょうにばからしく、むなしく思えたものだ。

今はそう思わないけど、そのときはそう思ったのである。

誰のせい?技術革新を進めた社会全体のせいである、と。

みんなが原始的であれば、何とも思わないモノだけれど。なんで、私だけ。

ボタン一つ、コンビニ3分でOKの生活から、はいつくばって、意味のわからない泣き声に参る生活へのシフトって。これって、技術革新なん?

 

やってられん。

 

虐待の背後には、昨日まで許されていた、

①横移動・スイッチ/ボタンひとつの生活から、

②縦移動・ぞうきんの生活へ

シフトした叫びが含まれているような気がする。 

 

えっ、そんなくだらないこと、と思われる方は、

ある日、フェーズが変わる(つまり、出産する)ように、急に①から②にシフトした生活を実践してみればいい。

これこそが、育児ストレスのベースになる「身体環境の劇的変化」だと私は思う。

①のレベルは日進月歩だが、②の進歩は①に追いつかない。

差は広まるばかりである。

よって、①と②の文脈の違いに急にさらされる人の中で、必ずある割合は②に適応しきれない、のではないかと。

それでも②のレベルは、昔に比べると格段に進歩しているから、②のつらさは、母親や自分よりも少しでも年齢が上の世代にはわからない、同情できない。

②で悩むことは、「母親時代の以前と比べると」贅沢すぎると責められるので公言できない。

旦那は横移動の生活の中で生きているから、そもそも理解してくれ、と言っても不可能だ。

「悩み」のレベルは少し年代や少し状況が違えば立ち位置がそもそも違うので共有できない。

「悩み」はそもそも相対的な理由で発生するので、悩みの共有については共有する人の数が少ない時点で期待できないものとなる。 

 

寡聞につき、こういう意見や分析を見聞きしたことがないので書いてみる。

こういうの、どうせ、年長の人とか、男の人の多くは無視するよな、と知っててあえて書いてみる。

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