男女雇用均等法施行世代女性の先取り思考呪縛。
そういえば、均等法施行初期の時代なんか、男性にとっては「自分とは関係のない歴史年表」にすぎないよね。
あ、そんな時代もあったね、そんな感じだろう。
しかし、
女性はこの世代、「しゃかりき働く派」と「専業主婦しておく派」の真っ二つに分かれた。
もう少し正確に言うと、選びたくて選べる人だけがどちらかを選択するという自由があって、その後の人生を左右した。
私はこの世代だけれど、ずらして生きることが戦略であったので、もう一世代あとの生き方に変態した。
つまり、私は「どっちでもなく、やり過ごす派」として、どちらの派にも属さなかったのである。
真性「しゃかりき働く派」の私の友人は、独身のことが多い。
で、最近、
真性「しゃかりき働く派」の友人と話すと、今の彼女らは「できるところまでやってみる」、「働くのに飽きた」に二分されている。
二分されてはいるが、独身の彼女らの共通問題は、「老後どうしよう」なのである。
で、それに対して私は、「えっ?老後なんてあるって、決まってるの?」と聞いてみる。
彼女たちによれば、「老後というのは、65歳以降のことを指し、その年齢に達するという意味では自分の老後はある確率が高い」らしい。
さすがにどこに行っても通用する優等生は違うね。
世間の基準と自分の存在に対する統計的推計と確信をミックスして、そう来るか。
まあ、そもそも優秀かつ屈強でないと、「しゃかりき」30年近く働いていられないし、その後に自分の人生があると想定できない。
(私なんか、そもそも死にかけて生まれてるし、子供の頃は虚弱児だったし、今も問題抱えてるし、なんか老後っていうのがリアリティないんだけれど)
で、そういう、一見、真っ向勝負風の「老後どうしよう」の問い、実は「寂しくてたまらない」という叫びに対して、
私は、
「私が生きてたら、一緒に暮らそう。みんなおいで。」と回答する。
でも、「みんな」は無条件ではない。
「地位も権威もなくても、はだかの自分そのものが役立てる明確な強みと、少しのお金は必携よん」と言ってみる。
そんなこと、屈強な彼女たちには簡単なリクエストである。
「わかった」。即答である。
あ、でもこの条件、男の人には難しいかもね。
本当の老後の不安を抱えるべきは、彼女たちではないのだろう、と思いつつ、ふんふんと適当に話を聞く。
それがばれて、睨まれている私。
いつもながら適当でごめん。
「私が生きていたら、一緒に暮らそう。みんなおいで。」
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