正面切って選抜されることよりも、まずは贈与を装って選抜のルール自体を提供しながら機能する器官とそれを支えるバックボーンとなるシステムを構築し、それらを所有することを選んだ巨大な生き物のような誰かが世間を覆っている。いつもそこにあるゆえにかえって誰にも気づかれず、誰にも恨まれずに富と力も蓄え、どこまでもクレバー。都合の良い無意識下にある時間の経過でできた選抜のルールは、知らず知らずのうちに卑近なものの評価の軸を変え、表現に影響し、そして文化そのものに影響を及ぼし浸食する。それは次なる富と力をはぐくむ土壌となる。決して憂えているのではない。これこそが本当の生存競争なのだ。
どうすれば決まったルールの中で勝てるかではなく、どうすればルールを変えてゲーム自体を変えてしまえるのか。誰もがすぐ、簡単にわかった気になり、しかし実は底浅いWIN-WINをまず提供して、その場その場をおさめながらルールを浸食していくステップとその長期的な効果。
守られすぎているようでいて実は無防備なまま晒されている今の子供達はこんなしかけの恐ろしさをどこで身体化するのだろう。まずは「身体化」が必要だから、仮想ゲームの中以外の「リアル」で体験しなくてはならない。「リアル」よりも先に仮想ゲームの中で何度も体験してしまうと、身体化されていないから生身の恐怖が身につかない。「リアル」と「仮想」、どちらが先行する強烈な経験となるかはきっと死活問題である。
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