共同体について

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イタリア・フィレンツェでフリーの旅行ガイドをしている友達と会う。今、作っている「木で語る自分」の冊子のイタリア語訳を押しつけることになっている。顔を引きつらせながら喜んでくれるはず。東京で「商売ご相談業」をしている社長が広尾の一軒家に事務所を移すらしいとのメールをもらった。大阪で同じような事を考えている私は、シンクロニシティよね、とメールを送る。夜は、テレマーケティングの会社を経営するむちゃむちゃ元気な社長と夕食。

ANAよりも、今再生で苦しんでいるJALの方が好き。客室乗務員が媚びるのはANA、媚びないのはJAL。JALの方がおばさんだから、オトコのヒトには若い乗務員の多いANAの方がウケがいいんだろうね。ちょっと観察しただけでも機内販売が起こる確率はANAの方が高い。単に若い客室乗務員と話ししたいから頼んでるオヤジ。ま、いいけど。それも張り合いってもんだろう。でも、JALの客室乗務員の中には、世界のVIPを相手にしたんだろうな、という品格があるヒトをちょくちょくみかける。そういう価値を認めるほど、ほとんどのオヤジは成熟していないのかもしれない。そんな彼女たちと「お互い、しつこく生き残ってるね」と降機時に交わす視線が面白い。

客室乗務員は(ほぼ)言うまでもなく、最初の3人の性別はすべて女性。すべてに共通するのは、なんともいえない、したたかさとしつこさとかわいさがあること。 こういうひとびとを核にした共同体なら大歓迎。

景気がすごく悪くなって、アメリカ型の金融資本主義が袋だたきにされて、世界とやりあう免疫のない群れは、こぞってやっぱり年功序列がいいとか、「共同体」の縁が重要だとか、内向きな話が盛んだけれど、それって、年功序列は同じところでべったり長いこと働ける人しか評価できない排他的な要素があるし、同時に想定されがちな「共同体」って、そこに居てココロと身体を動かすことについて報酬を求めない人なしでは機能しない「前提」そのものがどうすればなりたつのかという視点がすっぽぬけている、というか見ないことにしているとしか思えない。

いろんな内向き議論を最近見聞きしてそう思う。かつてのままにもう帰ることなんかできないから、有り様を活かしつつ新しい血を入れるということは、単にゼロから作るよりも難しいという事実から逃げて、「ほら、やっぱり正しかったでしょ」とばかり、ぬるい湯があるとされる方向に手招きされているような気がしてならない。そこにぬるい湯なんか、もうないし、実は今までもなかったのに。縁とか共同体を復権するとくっついてくる非合理のシャドウワークをどう意識し、態度に表し、評価するか、地域にある共同体を文化として考えた場合、新しいお作法をどうするのか、ということを、まじめに考え、実践している人に本当に会いたい。

年だけ取っていく似たようなメンバーというゆるい仮定があるから、妙に既得権のある古い世代に手招きされて変わり映えしない。共同体にある程度以上の割合で移民を受け入れるとしたら、というぐらいの仮定をしてみたら、今の世の中に役立つ、共同体のモジュールが浮かび上がってくるのかも知れないけど。 そういう成り立ちに類似する共同体を探してみよう。

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