2010年1月アーカイブ

金こはく

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先日の伝耕お誕生日会でいただいた「森八」の金こはく、しみじみ口に含む森八 豊潤栗蜜漬.jpg。好き。

栗を蜜漬けしたものを半生状態でかためている。生〆と呼ばれているそうですね。

「長生殿」で有名な「森八」さんのものです。

森八のおかみさんの言葉、染みいります。 

 

今日で1月は終わり。

2月は伝紋のワークショップもあるし、igu伝の本格的キックオフもはじめる。

つめたい風の中の裸木、その木の皮の中で育まれている春への準備に心惹かれる私なので、

目立たないけれどしみじみと育む、この時期の準備が真剣に楽しめそう。

ジジババ領域の大人になると2月は短いし、冷たいし、暗い。やる気の出ない月になりがち。

その分、包み隠せない成果がはっきり出る。 

 

バレンタインデーのことだけを考えていられた年の頃は、2月って、ほかほか、きらきら、どきどきだったよね。

私は今、そんな気分。

高麗人参酒

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厳寒の中、韓国ソウルの薬令市場、高麗人参酒.jpg

漢方の材料や薬を売っている所に行ってきた弟が、

高麗人参酒を買ってきてくれた。

かなり真剣な代物で、

一口のんでみると、

じんわりと身体があたたまって、

すっかり目がとろんとしてしまった。

土曜の晩にぴったりです。

 

共同体について

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イタリア・フィレンツェでフリーの旅行ガイドをしている友達と会う。今、作っている「木で語る自分」の冊子のイタリア語訳を押しつけることになっている。顔を引きつらせながら喜んでくれるはず。東京で「商売ご相談業」をしている社長が広尾の一軒家に事務所を移すらしいとのメールをもらった。大阪で同じような事を考えている私は、シンクロニシティよね、とメールを送る。夜は、テレマーケティングの会社を経営するむちゃむちゃ元気な社長と夕食。

ANAよりも、今再生で苦しんでいるJALの方が好き。客室乗務員が媚びるのはANA、媚びないのはJAL。JALの方がおばさんだから、オトコのヒトには若い乗務員の多いANAの方がウケがいいんだろうね。ちょっと観察しただけでも機内販売が起こる確率はANAの方が高い。単に若い客室乗務員と話ししたいから頼んでるオヤジ。ま、いいけど。それも張り合いってもんだろう。でも、JALの客室乗務員の中には、世界のVIPを相手にしたんだろうな、という品格があるヒトをちょくちょくみかける。そういう価値を認めるほど、ほとんどのオヤジは成熟していないのかもしれない。そんな彼女たちと「お互い、しつこく生き残ってるね」と降機時に交わす視線が面白い。

客室乗務員は(ほぼ)言うまでもなく、最初の3人の性別はすべて女性。すべてに共通するのは、なんともいえない、したたかさとしつこさとかわいさがあること。 こういうひとびとを核にした共同体なら大歓迎。

景気がすごく悪くなって、アメリカ型の金融資本主義が袋だたきにされて、世界とやりあう免疫のない群れは、こぞってやっぱり年功序列がいいとか、「共同体」の縁が重要だとか、内向きな話が盛んだけれど、それって、年功序列は同じところでべったり長いこと働ける人しか評価できない排他的な要素があるし、同時に想定されがちな「共同体」って、そこに居てココロと身体を動かすことについて報酬を求めない人なしでは機能しない「前提」そのものがどうすればなりたつのかという視点がすっぽぬけている、というか見ないことにしているとしか思えない。

いろんな内向き議論を最近見聞きしてそう思う。かつてのままにもう帰ることなんかできないから、有り様を活かしつつ新しい血を入れるということは、単にゼロから作るよりも難しいという事実から逃げて、「ほら、やっぱり正しかったでしょ」とばかり、ぬるい湯があるとされる方向に手招きされているような気がしてならない。そこにぬるい湯なんか、もうないし、実は今までもなかったのに。縁とか共同体を復権するとくっついてくる非合理のシャドウワークをどう意識し、態度に表し、評価するか、地域にある共同体を文化として考えた場合、新しいお作法をどうするのか、ということを、まじめに考え、実践している人に本当に会いたい。

年だけ取っていく似たようなメンバーというゆるい仮定があるから、妙に既得権のある古い世代に手招きされて変わり映えしない。共同体にある程度以上の割合で移民を受け入れるとしたら、というぐらいの仮定をしてみたら、今の世の中に役立つ、共同体のモジュールが浮かび上がってくるのかも知れないけど。 そういう成り立ちに類似する共同体を探してみよう。

伝耕ブログせんでん

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今日は「しんちゃんブログ」が新しくアップしてます。しんちゃんが書いてくれるテーマのリスト、純粋に読み手としてわくわく楽しみです。で、今日は吉田嬢のブログもあるし、伝紋のコーナーには、伝紋ワークショップのコーディネーションを一手に引き受ける古島さんの話が写真つきで出てます。そして、きっと伝紋ワークショップの苦楽について語る彼のブログも近々アップされます。あ、そうそう数日前は、謎の西野が乳児大公開、授乳ママ役員としてカミングアウトしました。ということで、ブログの動きを止めない役割だけの私は本来ならば休みをもらってもいいわけです。でも、みんな耕してくれてありがと!という感謝と、自分が生きてる証拠にアップしときます。先日、旦那が錦市場の高倉屋さんで、白菜のつけもんを買ってきてくれました。鉄板焼きの友として、キムチと交互に食べるという禁じ手を使いましたが、一歩引いているようでちっとも引いていないしたたかなお味でした。で、白菜が入っていた袋に、「お漬け物と過ごす、束の間の二十四節気」というフリとともに一覧が。下の写真は汁がこぼれんように、ぎっちりしばってあった袋のしわしわをあんまり真剣に広げず撮ったもんです。たしかに、発酵食品の類は温度・湿度・昼夜の寒暖の差など、デリケートなもんでしょね。若い頃は国語のキョーカショ、で、年取ったら俳句やお茶など、キョーヨーもの?とセットなりそな二十四節気なんだけど、つけもんと過ごす、と袋に書かれると妙になまなましくにおいつきでそそられました。二十四節気一覧の上でぬかの酵母「高等微生物」クンがうごめく、もやしもんの世界が一瞬見えたような。ちなみに、高倉屋さんのホームページではもっとフェミニンかつ上品に書いてありましたけど。読んでみて納得、(きっと私とは違う種族の)女性の店員さんが書き手だそうです。ちなみにこの時期、大寒から立春の間。一覧の左下から右上へジャンプしようとしてるときです。伝耕も、もそっとジャンプするためにもぞもぞ動いてます。

高倉屋のつけもん袋.jpg

紅茶のアジト

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堂島と淀屋橋で打ち合わせがあり、合間に1時間空いたので、堂島のFONTANAビルにあるTEA HOUSE MUSICAへ。四つ橋沿いのビルから移転してからはじめてなので数年ぶり。かれこれ40年ほど前、最初にあったお店に母と来たことを思い出す。この頃から日本人が小金を持つようになり、舶来モノの物色をはじめた。ほの暗くて狭い店内に、色々な紅茶の缶や見たこともないラベルがひしめき、その当時は珍しかった種類の紅茶の香りが漂っていた。まるで「紅茶好きの妖しい船長室」に迷い込んだかのよう。「舶来モノを飲む」ことが素敵だった頃の「紅茶の巣窟」。さて、2010年の今、テナント料の高そうなビルに広いスペースを確保し、さまざまな紅茶の資料で一杯なこの店は、ありていに表現すると「紅茶の博物館」。ま、でもこのあまりにも雑然とした店内には、紅茶に魅せられ世間に帰れなくなった誰かが蟄居しているに違いない。やっぱり「巣窟」が根っこにあるのね。様々な紅茶が簡単に手に入るようになって、舶来モノの妖しいイメージは今や単なるノスタルジー。きっぱり大衆化路線をとったコーヒーは世の中でずいぶんと幅をきかせている。堂島MUSICAは、本社機能が東京に吸い取られ空洞化したこの街に巣くい、「紅茶の民集まれ!」と呼びかけながら世の中にうって出るチャンスを伺っているのだ。時を経て、「紅茶の巣窟」は、「紅茶の巨大アジト」となっていた。

久しぶりに飲んだシナモンティーに、のど奥の記憶が反応する。もう一杯頼もうかと思ったが時間切れ。諦めて支払いに行くとレジ奥右のフォーカルポイントに目が奪われる。そこに展示されていたのは「リプトンのニセモノ」と銘打たれたパッケージのいくつか。「のど奥で覚えた味を忘れるな」と言われているようだった。やっぱりここは同士を匿う「紅茶のアジト」に違いない。 musica.jpg

ニューロンが縮む

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年をとると何でも縮む。脳も縮む。でも知らなかったのは脳の縮小はニューロンが死ぬからではなく、ニューロンが縮むからだと。

ニューロンが縮むということは、具体的には、あの「おせっかいの手」のような樹状突起が縮むことによる。

そうするとニューロン間のシナプス結合の数が減ってきて、新しいことを学ぶときに必要なシナプスの働きが弱まってくる。

でも、若いときに徹底して学んだことは年をとっても比較的影響を受けにくい、らしい。   

 

「三つ子の魂百まで」  

 

百歳の寿命なんか、夢のまた夢、その半分ぐらいしか生きられなかった頃から言われていることが、

脳のことが解明されてきた現代になって、なにやら凄みを帯びてくる。

脳にいいのは、実は運動らしい。運動をすると、脳の微細な血管が増え、結果、ニューロンにもいい影響があると。

そうすると、身体を動かさないとできない芸事、というのは良くできていることになる。スポーツみたいに激しすぎないしね。

かちかちとコンピュータばかり打っている血行不良活動ばかりに従事していると、早くシナプスがダメになるんだ、きっと。 まずいぞ。  

 

「小さい頃から身体を動かす芸事を続ける」

「脳と身体を長期間にわたって幸せにする糧」を授けるという仕事が本当の意味での教育ならば、教育ママがすべきことは、

「一生できる身体を動かす芸事」を子供のうちに触れさせることなのかもしれない。

趣味で終わるか本業となるかは、実はどうでもいいこと。  

 

「三つ子の魂百まで」と類義語だが、

「いい年してよオ・・・」、懲りない遊び人諫めモードとして使われる、

「雀百まで踊り忘れず」ってのもある。

いや、実はこれ、諫め言にひそむ「年に似合わずそんな風に遊べてうらやましいよな」という羨望の方が本意とすれば、

そして、その代表的な身体教養が「踊り」とすれば。  

 

片足つま先でつっつっとつんのめって、くるっと回転、ぴたっ。

いや、私にはできない。年始に見た藤十郎、来年八十路。

枯れないということは縮まないということ。   

 

「踊り・舞」の類と「ニューロン・シナプス」、侮れない関係。

トッポギ、トッポッキには、

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チーズをひと混ぜ。ご存じKOREAN餅炒め、韓国では文字通りソウルフードの登場。

娘と一緒に韓国語を習いはじめ、最初は韓国語の純粋なるお勉強だったはず、が、 トッポッキ.jpg

いや、もっと360度学ばなくては、ねえ、という体のいい暗記回避の術により、

韓国の食を楽しむ、衣を楽しむという具合に、イベントのウエイトがどんどん高く。

でね、チーズですよ、トッポッキ(←こう書く方が、オリジナルの発音には近いぞ)には。

もともとゆで卵が入っていることも多いですが(こちらのレシピもそうでした)、

ゆで卵はくずしながら、周りの辛いところと交互に食すると辛さを中和する働きがあり。

それでも、コチュジャンの辛さが苦手な人は、スライスチーズを最後に投入して一混ぜすると、

おっと、なんともいえず、まろやかに。 これ、おすすめです。   

 

 

ムジゲなど.jpg

韓国語の(一応ね)お勉強しながらいただいたのが、

韓国のお餅、一番上のストライプ、

きれいな色合いのお餅はムジゲ、というそうです。

ほんのりかすかに甘くて、やさしい味。

ひとつ、またひとつ、手が伸び。  

 

 

今回、実は、韓国語の先生のお宅にお邪魔してごちそうになっておりました。

そこで、はじめて見ました、キムチ用冷蔵庫。 日本でいう冷凍専用庫のような形で、腰くらいの高さ。

これは韓国で日本向けに作られている冷蔵庫。なので、日本語表記なのですね。 二部屋に分かれているので、

キムチ冷蔵庫.jpg

ROOM1、ROOM2別に、

「キムチ選択」

「熟成選択」

「味の選択」というボタンあり。

すごいですね。  

 

 

こんな風に日本語で書かれると、なんだか、「発酵食品・キムチの精」(そんなもんいるんかわからんけど)が

わざわざ、海をわたって、やってきてくれたようで。

先生、ごちそうさまでした~。

こんどは我が家で、日本のソウルフード大会でもやりましょうかねえ。

いや、肝心の韓国語、復習、しときます、ハイ。   

 

劣等生

トッポッキチーズで

満たされた

語彙は増えても

食べ物ばかり

ラッキーヱビス・鯛二尾に遭遇

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東京は白山。「伝耕」タニマチのおすすめレストランにて、ラッキーヱビスに遭遇。

「片手に一尾、魚篭に一尾、合計2尾の鯛とご一緒の恵比寿さま=ラッキーヱビス」の存在についてはじめて知りました。

左側のラベル、魚篭(びく)から鯛の赤い尾っぽが見えてますね。

ラッキーヱビス関連、いろんなサイトに紹介されているようで、楽しいです。 数百本に一本?まさに福引きですね。

こういう仕組み、心憎いです!EBISU鯛二尾.jpgサッポロさん。これをご覧になったみなさんにも福が来ますように。

山の上ホテルと1周年

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お茶の水駅からの風景は、明治大学の新学舎が建って一変していた。

高校生向けの受験情報誌を編集していた20年前、

その頃の明大といえば、はがされたビラのあとがあちこちに残る黒くくすんだ学舎、いつでもバリケードが築かれそうな風情だったが、

今やオフィスビルみたいな新学舎がそびえる、整然とした外観になっていた。

そんな明大を過ぎて、お茶の水幼稚園の脇の坂をあがったところにある山の上ホテルの佇まいは、ここだけ昔と変わらず。

数え切れないほど東京出張をしてきたが、今回このホテルに泊まるのははじめて。不思議な気がする。

 

ホテルの予約でお部屋のタイプをおまかせにしておいたら、 山の上ホテル部屋.jpg

和室にベットのある部屋になった。

新しいものは何もないが、

掃除が行き届いていて、

よく手入れされた家に

招かれたような気分にさせてくれた。

ベッドサイドにあるランプは、

まんまるの不思議な代物だったが、

それもきれいに磨き込まれていて、

撮影者も写りこんでしまう。

 

 

 

 

三島由紀夫が最後の晩餐をしたのもこのホテルだったらしい。

さまざまな人々が行き交った歴史を背負う山の上ホテルの従業員は、

ホテルのそこここをていねいに磨きつつ柔らかな笑顔を向けてくれ、山の上ホテルランプ.jpg

さりげない心配りでくつろがせてくれた。

 

 

 

伝耕の1歳のお誕生日パーティのあと、

お祝いの紅白饅頭を眺めながら、

小さな一歩を踏み出した会社のことを、

小さいが、歴史をたくわえたホテルの中でしばし考えた。

紅白まんじゅう.jpg

 

 

 

ただいま出張中

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東京出張。出張の用事は3つ。

ちなみに、3つ、とまとめると、的外れなサマリーもかっこよく聞こえるがそういうわけではない。

(なんでも3つにまとめる文化に育って、かえってそれがイヤになってしまった。過ぎたるは及ばざるがごとし、である。)

で、3つの中身であるが、①仕事、②しばらくぶりの友人との再会、③伝耕お誕生日会である。

というわけで、3時半に起きて、一応、日課の体操をしてから、

飛行機派の私であるが、新宿方面9時に間に合うよう、新幹線に乗る。

貧乏性なので、新幹線の中ではがきを4枚書き、メールを3通、そしてこのブログをアップ。

8時半頃品川着なので、そろそろ貧乏性タイムも終了。

日課の体操もしなければ、5時起きで十分間に合うのだが、

ばたばたのなかでどこまで平静の生活を保てるか、ということが

心を亡くさない(忙しい気持ちに人生を奪われない)ための

重要な儀式だと信じるのでそうする。

鶴澤寛治

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国立文楽劇場、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)、千松なぶり殺しの後半の開始、

鶴澤寛治の撥(バチ)が刀のように振りおろされる。

脳天から脊髄に刺さるよう。

千松哀れや、政岡哀しや。

国立文楽劇場.jpg

 

にらみ鯛

寛治が撥に

身震わす

 

 

 

何が残って、何が変わるか、そして何をするのか。

ただただ模索しながら、今日、伝耕は1周年を迎えております。

支えて下さった皆様、本当にありがとうございます。

頑張りと自立

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なるほどな(下記太字)、と思った本の一節。

...結局、どういう生き方をすればいいのかということですね。本人は何かをやらなければ人間には価値がないんだというような考え方に偏っていますけど、そうじゃなくて、その人がそこにいるだけで人の緊張を緩めたり、周りの人にいい影響がいくんだということですね。人の面倒を見るような仕事が合わない人は一方でそういう力を持っているんです。また何かを頑張ってやったりするタイプの人が精神的に自立しているかというと、そうもいえないんですね。何かを頑張ってやるということは、人に評価されたいというためかもしれないわけです。そういう意味では精神的に人に頼っているわけですね。その反対に、何かを頑張ってやるという欲が体質的にあんまりない人は、別に何もやらなくても、その場にいるだけで、もともと周囲とのバランスがとれる人ですね。そういう意味ではかえって、精神的な自立ができているんだと考えてもいいわけです。そういうふうに納得ができれば、自然にバランスがとれてしまう。余裕ができれば自分の思う通りに動けるようになるんです。 (「整体から見る気と身体」:片山洋次郎)

人に評価されたいというために頑張る、追いつけ追い越せ的な価値観。そういう頑張り方は、実は他律的だったんだろうな。人に評価されたくて、頑張ることは悪くないけど、ある線を過ぎると、「で、わたしって、結局どうしたいの?」、となる。これ、考えさせられる。

また、人のありようと国がフラクタルな関係であることは十分想像できる。

戦後驚異的な復興、とか世界第二位とか言われてうれしかったよね、で、結局、どうしたかったの?と言われて、ここはあまり答えのない国。

千日紅仙桃

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センニチコウセントウ、お湯を入れると花が咲く中国茶である。 千日紅仙桃.jpg

という名前を知っていたのではなく、いただきもので、

これをくださった台湾の若い方も、

「日本で人気らしい」ということで下さったので、

わからずじまいだった。

ネットで調べると、そういう名前のお茶だった。

確かに日本では、自分の時間をていねいに過ごしたい気分の若い女性とか、

セレブなマダムに受けそうな感じである。 

 

かわいいと言えばかわいいが、いやらしいといえばいやらしい。

花というものはそういうものなのだろう、と思いつつ、

口に含んでみると味はなんと。

 

仙桃茶

かわいいやらし

仁丹の味

脳は省エネ

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先日からちょこちょこ読んでいる「脳のしくみ脳の仕組み.jpg」によると、

・脳が使う電力は冷蔵庫の中の小さな照明と同じ12ワット

・一日に脳が使うエネルギーは大きめのバナナ二本分

で、これだけのエネルギーは「脳を維持する」ことに使われているんだって。

いくら使っても付加コストはほんのちょっぴりらしい。

ぼーっとしていても、これだけのエネルギーがかかるし、

すごく使ってもこれだけでいい。

と、考えると、使えば使うほど省エネなのね。

つまり、たいして良くない頭でも、

使えば使うほど価値が出るに違いない、と思うことにする月曜の朝。

オノマトペと通訳

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昨日、一昨日とひさしぶりに「なくしつつあることば」とビジネスでふれあう機会があった。

「なくしつつあることば」とは私にとって英語、である。

まったくもって、使われていない部分を使うというのは大層なもので、

久しぶりにビジネスの文脈で英語が流れてきて脳はぎこぎこ、

英語を発音するときにしか使われない顔の筋肉はぎしぎし、

ひどいものである。

やっぱり、もう一回、勉強しなおうそうかなあ。はあ。   

 

いやしかし、今回は、しばらくどっぷり日本語に浸かっていて、日本語の世界の豊かさにも慣れてきた頃だったので、

ことのほか、「文化的な表現の癖」と「通訳」の狭間で見落としがちな問題がよくわかって良かった。

どっぷり多国籍企業に浸かって、一年の2/3が出張であった十数年前に感じていたことと基本、同じなんだけれど、

今回はその感じていたことの重要性と普遍性がもっと切実に感じられた。   

 

その切実に感じられた内容の一部を取り出すと、

①日本の消費者の嗜好を判断するときは、表現上、単にそれが、「よい」、「すき」ということばの多少だけ拾うだけでは不十分。

②むしろ日本人は、よい、とか好き、とかをことばにするよりも、最初に、非言語的行動とオノマトペを同時に表現する場合があり、

その方がより好意度が高い場合がある。

なので、これを見誤ってはいけない(がよく見誤る)、ということ。   

 

たとえば、

商品①単にことばで、「これ、いいね~、好き~」と表現された商品A

商品②(すごく興奮した表情で)、「うわーこれ、ふわふわ~」と表現された商品B

と表現されたとき、商品①の方が、善し悪しと好き嫌いがはっきりわかる「いい、好き」が表現されているので、

コトバ通り訳しても問題ないが、商品②の訳は難しい。    

 

実は商品②は単なる感覚表現をしているのでなく、日本人にしては、興奮した表情、という非言語的行動の意味と、

「ふわふわ」というオノマトペ表現を組み合わせて判断すると、

「ふわふわとした他にない感覚をもった代替不可能な商品である(なので、すごく好き)」ということを言っている。

そんなことを認識して訳す同時通訳は非常に少ない(というか無理だろう)ので、語り手の表情を見なくてはならない。

ところが、日本人の表情は大げさではないので、特に欧米圏の人にとっては非常に認識しにくい。

というわけで、我ら日本人にとっては「すごく興奮した表情」なのであるが、彼らにとっては「ふつうの表情」だったりして、

結果、非常に重要な非言語的表現のキューを見落とす。

さらに、時間の切迫した同時通訳では、オノマトペが持つ「具体化された感覚表現(実はこれが代替不可能性につながる)」を訳し切ることがそもそも難しい。

「ふわふわでやわらかい」という表現が、「ふわふわ」がスキップされて、「やわらかい」ということばにのみ訳されてしまうこともしばしば。

もうその時点で、商品②が持つ感覚的便益のポテンシャルが切り取られ、結果、過小評価されてしまう。  

 

というわけで、通訳だけを聞いていた人の間では、商品①の方が、商品②よりも商品の特徴がかなり明確でポテンシャルが高いという結論になっていたが、

それを聞かされた日本側は、「そんなことはないのでは?どうしてそうなっちゃうの?」としばし、きょとん、である。

でも、そういうことが起こるのである。

 

その文化の表現の癖を知らないと、グローバルビジネスでは間違った結論になるのですね~。

がんばれ、日本のビジネスマン・ビジネスウーマン!

15年

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東京に来ると、日に3件ぐらいの打ち合わせをして、最後は夕食兼飲みで遅くなったりするのだが、

珍しく、昨日は夕食以降ホテルに居た。

テレビをつけたら、最近、再結成したSPEEDの武道館ライブをやっていた。 白い絵.jpg

震災があったのは15年前だが、彼らはその年の秋に結成したグループ。

解散した頃は、あどけなかった彼女らも今や20代半ばの大人の女性になっていた。 

確かに時間は過ぎたのだ。   

 

「意味もわからず歌っていた歌詞が今やっとわかるようになった」というメンバーのコメントは、

なるほど良かったね、とも反応できるが、

意味がわかるということは、個人的な色合いが強く出てくるということなので、

かつてのようにみんな同時に突き抜ける表現は難しいかもしれない。

歌詞への突き放し感が必要なところに、つい感情移入しすぎたり。

意味はわかるが、それをもう一度客観視し、つき離す。

大人の仕事は、そういう面倒なものなのだろう、とも思い。   

今日は、センター試験。

交通機関に乱れが出ませんように。

かさねるとけずる

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仏師は木を見て、その中にある仏をあらわすために掘るのだ。

木は年輪によってかさねられたもの。

それをけずりだして、仏をつくる。

かさねられたものから、けずりだすこと。

木はそれで完成された本質ではあるが、

けずりだすことによって、

木のありようとは違う本質がまた浮かび上がるとしたら、

それは面白いことだなあ。

201001150637000.jpg

 

15日、朝6時。

東京の定宿にて。

 

 

地震トラウマ

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2010年になってはじめて東京に出張する。ただいま空港バスの中。今週末はセンター試験が一大イベント。雪なんか降らなければいいね。そして、阪神淡路大震災から15年が経つ日が近づく。この時期に東京に行くたびに、なぜかもう一度東京で「わざわざ」震災に会いに行くうような気がする。地震についてのトラウマはなかなかぬぐえない。宿泊は永田町近く。少なくとも消防車は来るであろう、という前提。こういうときは寄らば大樹の陰。15年前、震災に遭った前の日は、実は初釜の日だった。にぎにぎしくお茶会をして、その帰りの夕方、国道2号線から西の空があかね色に染まり、今まで見たことのない雲に目を奪われた。思えばあれは地震雲だったのかもしれない。会場となった先生のお宅は震災で全壊、最後のお茶会となった。当たり前の話だが、命あっての「ハレ」。そういえば、あれ以来、お茶の世界から遠ざかったまま。ハイチで大変な地震の被害。赤十字による被災者推計300万人。イメージできない数字。現地の映像がテレビで流れ、「なぜこんなことに」と叫んでいる人の姿が映っていた。これでやっとイメージできるような気がする自分の貧しさ。「なぜ、なぜ、なぜ」一生問い続けなくてはならない不条理の中に今・ここ、がある。一人でも多く救援されることを願って、合掌。  


朝の仕事

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早朝は仕事のメールを見ながら、ささっと夕食のメニューも考えておく。いま、ネットでレシピを検索するのも簡単で、そういう意味では仕事と家事の並行処理もずいぶん楽になったね。そもそも創造の源みたいなオフィスでなければ、オフィスにお金をかけるのはたいして意味もない、と。だいたい8時までが私の集中時間。そもそも、オフィスに縛り付けないといけないから、女性は仕事から遠ざけられていた。でも、その牙城も崩れている。そこにオフィスがなくても、成り立つのが最近の仕事である。 そんなことをつらつらと考えながら、今日のレシピを探していたら、仕事の書類と混ぜておいてある雑誌「オレンジページ1993年AUTUMN 秋から冬の野菜料理」に目がいく。このテーマでのレシピが使いやすかったので、なんと阪神大震災をくぐりぬけて、今も手元に。興味深いのは1993年当時の掲載広告。

①在宅アルバイトのためのワープロ教育「あらゆる業種で求められるワープロ技能者!!」

②英国王室ダイアナ妃も選んだダマール下着

③KDDのダイヤル直通

 ってのがあった。

①のワープロなんかは、ワープロって何?という人の方がもう多くなっているだろうな。富士通OASISが使えることがかっこいい時代なんかもあった。今のブラックベリーみたいに。キーボードって技能だったんですね。

②「寒いですかって?ちっとも?」ダイアナ王妃の広告でいきなり通販市場に登場したダマールも昨年3月会社閉鎖。ダマールのババシャツを長年愛用していた母親が困っていたな。でもダマールを買っていた人だってユニクロのヒートテックで満足しているし。

③国際電信電話会社法(KDD法)に基づいて、日本で唯一国際回線の保有を許可されていたのがKDD。通信自由化と共に他社の国際通信への参入が自由となり、KDD法は1998年に廃止された。その後合併でKDDI。このときの国際電話、ダイヤル直通でも高かったんだよな-。話していると千円札が飛んでいく感じ。スカイプの今では考えられなーい。

というわけで、食べものは何時いかなる時も重要で、その方法論を提供するオレンジページ掲載の「秋から冬の野菜料理」レシピは今も古くなく、今晩も十分使えるが、広告で訴求されているビジネスの便益は共通する部分はあっても、ビジネスとしての有り様はあまりにも古く感じる。①は入力自体は今も同じだが、だれもそれを技能と呼ばなくなり、②や③は同じ機能でももっと安価なもので代用できる。でも、当時はそれが新しくて画期的な気分にさせてくれていて、価値が提供されていると認識していたことを考えると、なんだか恥ずかしい感じもする。

つい、今やっていることを地道に積み重ねるということも大事にしながら、本当にココロを込めて追求すべき分野とビジネスの有り様って何かな?と思ってみたりする。

10年後に生き残るビジネスの根っこは「食」がらみにあるのかもしれませんね。


 

アルツハイマー病

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物覚えが悪いのは昔からなので、たいして苦にもしていないが、配偶者や子供のことがわからなくなるアルツハイマー病は怖い。

年末に買ってしまった本、「最新脳科学で読み解く 脳のしくみ」でわかりやすいように説明してあってありがたいコラムによると、

アルツハイマー病の最大の危険因子は年齢そのもの。有病率は60歳を過ぎると、5年ごとに倍になり、90歳の人たちでほぼ半数に達する。統計的な推定によると、アメリカ人全員が100歳まで生きた場合、およそ75%がアルツハイマー病にかかる。世界で高齢化が進むにつれて、認知症はこれまで以上に大きな問題になりつつあるんだ。いま現在の患者は世界で2400万人だけど、2040年には8100万人に増えると予想されている。

2040年8100万人のうち日本の患者が占める割合の推定は書かれていないけれど、世界に名だたる高齢化社会、結構な人数になるのだろう。

「高齢化社会に向けて」などと、なんだか真綿でくるんで、想像しにくいきれいごとから社会の有り様を発想するのではなく、アルツハイマー患者数の推定数を出してイメージしてから社会の有り様を考えてみたいな、と思う。ちなみに、2040年、今からちょうど30年後、今年、年女の私が生きていればアルツハイマーである確率も低くはないだろう。

カメレオンの視界

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ある本にカメレオンのことが好きな人の話が載っていた。

その人がカメレオンを好きな理由は、 

 

カメレオン

右目で天

左目で地

同時に見られる

人よりすごい 

 

人間が天と地を一続きのものとして一度に見られたら、

この世は今のような形に造られてはいないだろう。

カメレオン好きの人とは、

19世紀ドイツの自然学者アレクサンダー・フォン・フンボルトである。

藤十郎おそるべし

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久しぶりに歌舞伎でも、と思い、大阪松竹座に。 R0010750.JPG

まあ、新年の目出度さも、古くさくなってきたな、と思いがちな10日であるが、

例年そう思って、歌舞伎を見逃すので反省してお出かけ(といっても家から30分だけど)。

今年は通し狂言「仮名手本忠臣蔵」。

人形浄瑠璃で初演、それが歌舞伎の演目となった押しも押されぬ人気演目。

形式の江戸、情の上方という演出上の違いも見どころ、というふれこみもあったが、

「情」への期待は藤十郎の全段出演とあらば、どっぷり、べったり、言うまでもなく。

今朝思い立って、当日予約にもかかわらず、

前側花道の脇という幸運にも恵まれ、楽しめた。

東京ではきっとあり得ないと思いつつ、客の入りが心配になるところであったが。

 

歌舞伎ファンには叱られるかもしれないが、

五段目からの世話物を見ていると、 上方歌舞伎はやっぱり、R0010751.JPG

藤山寛美絶頂のころの松竹新喜劇の源流だろうと思うし、

六段目に登場する、上方の演出だけに登場する子守役の子役の天然ぶりは、

吉本新喜劇の山田花子と根っこは一緒。

なんやかんやと不条理を招いてしまう、

アホな人間に対するあきらめと愛が息づいている。 

 

そして、全段に出てくる藤十郎は、好き嫌いはあると思うが、

いい意味で動物くさいのである。

それも、若いときの動物臭さ、中年の動物臭さ、が折々に出てくる。

そんなもの、どこにしまってあるのだろうか。

風姿花伝、「年々去来の花を忘るべからず」を思い出す。

そうそうできるものではない。 

 

さて、今回は通し狂言だけに、「大序」という最初の段が「コトのはじまり」として演じられるが、

最初、舞台に登場した10数人は最初の数分、全く動かない。

まるで人形のように、まんじりとしている。

ごくごくかすかに動いてしまう役者もいたが、

やっぱりそういう人は身体に芯が通っていない感じがする。 

 

「まんじり」の有り様が非常に神々しかったのは、中村翫雀。

なんというかピラミッドのように精緻な安定感で静止していた。

そして、静止している中でも、どうしても人形には見えず、

生きているものだけに備わる艶と品が立ち上ってくるのは、中村扇雀。

恐るべし、藤十郎の息子たち。 

 

息子達がまんじりとしている数段上で、

藤十郎は大蛇のようにじっとしていた。

近寄ると、強烈なにおいがしそうだった。

晒よし飴

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年末に仙台の「晒よし飴」をいただいた。

箱はこんな風貌である。なんだか風流ですな。

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箱の裏側には、「晒よし飴は、湿気・衝撃・熱に弱い性質の飴でございますので、取り扱いおよび保存にはご注意ください」とある。

ごたいそう、です。

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さらに、箱の中蓋には、「もう一度いっておくけれど、」とばかり、

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はいはい。

で、さらに、反対側の中蓋には、 粗忽者には無理難題。

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えっ、菓子種って何よと思いながら、開けみたとたん、中に満杯に充填されていたさらさらつぶつぶが一気にこぼれ、上の飴は、一個目に取り出すときに破壊された。

「粗忽者免許皆伝」である。

二個目にやっと、写真の状態で取り出せた。

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味は、綿菓子を繊細な飴にしたよう。

写真の腕がないのでうまくとれないが、飴は「飴の繊維」でできていて固体ではない。

飴なのに、口の中で溶かす必要はない。

綿菓子が砂糖味の綿を食べているような感じだとしたら、

晒よし飴は砂糖味の繊維を食べているようである。

不思議な食感。

それにしても、あまにもはかない有り様、あまりにもfragileである。

ホームページをみると、お殿様献上品。 誕生秘話も紹介されていた。

晒よし飴誕生秘話

今から三百年以上も昔、市場家の先祖は殿様より「何か珍しい菓子を作ってみよ。」との仰せに毎日考えあぐねておりましたが、なかなか良い考えが浮かばず大沼という沼のほとりで一人思案に暮れておりました。

大沼の岸辺には葦が生い茂っており「よしか・・・」とつぶやいた先祖の脳裏に「よし」にちなんだ菓子のアイディアがひらめき、作り上げましたのが「よし飴」の始まりでございます。

その後、飴の品質で最高級を表す「晒(さらし)」という字を加えて『晒よし飴』と名付けました。

ふーん。

独眼竜正宗が、むくつけき風情で、この繊細きわまる晒よし飴を「ふむふむ、よいできじゃ」と味わい、

うやうやしく、仰々しく、極めつけの珍しい菓子として徳川に献上し、自らの地の安寧を築いていたとしたら、

「極度に、はかない有り様のモノ」の用途として、深く感心する。 

たかが飴と考えるのではなく、されど飴、と考えた極地。

また、さらさらつぶつぶの「菓子種」と呼ばれるモノは、化学製品ではなく、食べられる「らくがん粉」。

天ぷらの衣にいれたり、砂糖と塩で味付けしてお茶うけにどうぞ、と指南されていた。

ふたたび感心である。

とある方に、絵本をお送りした。いわむらかずおさんの「かんがえるカエルくん」である。

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今日のタイトルについて、

ぐちゃぐちゃ言わなくても、書かなくても、

描かれているこれでいいんじゃないかとおもう。

七草粥

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最近の松の内は15日の小正月までではなく、R0010706.JPG

7日までという理解が多くなった。

多くのビジネスマンにとっては、

もう仕事始めの時点で松の内は終わっているのだろうけれど。

生け花の葉ボタンはもうダメになり、葉っぱも落ちてきた。

自然にまかせた時間の流れは、晴れやかさを日常に戻していく。

さて、今日は、七草*粥をいただく日。

 *春の七草 :せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ

春の七草を、「あれがこれ」と分かって野で摘める人はもう少ないのだろうな。

スーパーでパックにはいっているのを買って食べるという人がほとんどなのだろう。

きっと私もそうするのだけど、せめて、お正月のお椀に入れるのではなくて、

つましい中身が可笑しく楽しくなる、3枚目の龍のお椀にいれていただこう。

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そういえば今日は水曜なので、水曜テーマだったっけ? と忘れていたふりをしています。

実は忘れてはいないんですけど、いったん休憩。

昨年末、ちらっと書いたように、「信じない人々」など、モノやサービスを購入する側に起こっているトレンドについて語ってみようかな、と思ったり。

調査について違う視点で書いてみようと思ったり。

ここしばらく考えていたのですが、よい案が浮かばず。

なので、無理にはじめずに書いてみたいテーマがわき起こってくるまでしばらくお休みしますね。

 

 

相談中

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自分にできないことが多すぎるので、

何かと相談中なのである。

こういう方向でいきたいけど、どうしようか。ID 129-1.jpg

どっちがいいかな。

こういうこと得意な人いないかな。

とりあえず、やってみる?

どうしたらいいかな。

決定前は相談。

 

マニュアルも、成功事例もない世界。

相談しながら、くんくん、これなら大丈夫そう。

きっと、私ができるのは「くんくん」だけである。

自分の無能を知り尽くしてやれることだけをやる。 

 

「相談くんくん子犬たち」の写真は例のキルギス氏から送っていただいた。

アジアマスターの彼は、この写真、インドにて撮影?! 

 

考えてみれば、

「これはこんなふうにすればいいのだ」、と楽な気持ちで判断できることは、

それが正しい結果を生む確証があるという理由からではなく、

それをしておけば、文句を言う人が少ないというだけのことだったりする。

正しい結果を生むという確証なんて、そんなに転がっているわけはない...。

と自分に言いきかせて、

ひたすら「相談くんくん」しているのである。

 

せめて、

鼻がきくようにしておこう。

身体の構造にあう社会

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完全舗装された道路がばかりを歩いていると骨盤が後ろに傾きやすくなったり、膝が痛みやすかったりするらしい。

もちろん、最近はそういう衝撃を緩和するシューズなんかもあるけれど、そもそも、道路の材料が身体にあっていないわけだ。

バリアフリー化もまだまだ。

社会のあり方は人間の考え方や構造の一部が外化したという話はよく聞くが、確かにそうだろうと思う。

びゅんびゅん車が走りやすい方が効率的でいい、若くて元気な人が圧倒的に多い、そういう「勢い」ばかりが良しとされた、ある時代の「人間の判断」の側面が外の世界に極端に表れた結果、なのだろう。

「身体の構造にあう社会」というテーマで考えると、街の作り方、会社、学校のあり方についていろいろなことが浮かんでくる。

今の時代に重要かも。

 

下の写真は、「それ行けどんどん」、で、結局一つしか建たなかった関空の玄関駅「りんくうタウン」の「ゲートタワービル」。

二本建ってはじめて、「ゲート」に見える予定だったのに、名ばかりだよね。時間が経っても古い街並みとの違和感は全然なくならない。

伊丹空港、関西空港、神戸空港、人間の身体ならば3つもいらない似たような機能の臓器を近くに作っちゃったから、結局、全体として機能しないんだろうな。

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文楽 初春公演 大阪日本橋

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今日は大阪日本橋の国立文楽劇場初春公演にゆく。

時代を経ても変わらない人間のドロドロを確認するためである。

能も歌舞伎も私にとっては同じこと。

「ドロドロキレイ」である。

人間のドロドロを芸術まで昇華させてしまう、何というか、その「あざとさ」がまた面白くて年の初めに見に行く。

お天気もよかったので、家から25分ぐらい歩いて文楽劇場へ。

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第一部の出し物はR0010703.JPG

 二人禿(ににんかむろ)

 彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)

 壺酒観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)    

 

親子、男女、主従、敵味方など、

さまざまな組み合わせの人間関係の中で、

カネ、権力、名声、情愛が絡んで、

愛し合ったり、すれ違ったり、殺し合ったりする。    

 

11時からドロドロの中に浸って3時過ぎに劇場から出ると、

お世辞にも清浄とはほど遠い日本橋の風景が清々しく見えるから不思議だ。

一生懸命、年明け早々泥を塗ってみたのに、いつのまにか、泥がなくなってすっきり。

「初春こころの泥パック」なのね。

私も含めて、こういう古典芸能が好きな人は、見た目はどうあれ、結構、「業のきつい」ひとなんだろうとおもう。    

 

しかし、やはりというか、恐れていたとおり、老眼がさらに進んでいた。

人形の着物の紋がぶれて見えるし、表情なんか全く見えない。

だめだ、レンズを変えよう。    

 

敵見違え

老眼くやし

佐五平逝く

同情するも

かすんでみえず   

 

「彦山権現誓助剣」では、非業の死をとげた剣術指南役の主君の孫を連れた佐五平が、その老眼ゆえ敵を見誤り、剣術の技も無為に騙し討ちに倒れる。

傷を負って、「老眼故に残念残念」と悔しがる場面があるが、それを見ている私は、人ごとではないわけですね。

ああ年女。

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こころをなくさない生活

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「最近、忙しい?」と聞かれて、いつも「別に」と答えてしまう。

「忙」とは、「心を亡くした状態だ」と思うから、「忙しさ」を是とすることを自然と拒否する。

「海からの贈物」を書いたリンドバーク婦人も、簡易な生活を望みながら、妻として主婦として母親としてのさまざまな用事と仕事を操る日々について、思いを巡らせている。

「曲馬団の軽業師も私たちに比べればものの数ではなくて、私たちは毎日、本や、乳母車や、日傘や、台所の椅子を頭に載せて綱渡りをしている。それだけに注意しなければなならない。」

このような生活の弊害について、

「これは少しも簡易な生活ではなくて、その反対の、私たちよりも賢明な人たちが戒めている煩雑な生活である。それは私たちを統一にではなくて分裂に導き、恩寵を授ける代わりに私たちの魂を死なせる。」

今年のテーマは、「どこまでも、こころをなくさない生活」とする。

会社のブログなのに、どうして「生活」なの? と問う人に。

生活と「いわゆる仕事」を分けないのが私のやり方である。

包摂関係ならば、仕事は生活の中にどこまでもとどまる。

そういえば、

仕事と生活を切り離して、仕事を語る人のコトバは嘘くささが漂う。

そういうコトバを信じる人も少なくなってきたのは、世間に年寄りが多くなって成熟したせいかな。

高齢化社会の恩恵。

遷都1300年

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今年は平城遷都から1300年だそうな。

この時代の節目に、奈良に思いを馳せるのも悪くない。

「雅(みやび)」を武器に、いい意味でも悪い意味でも時代に媚びるのがうまい観光都市「京都」に比べ、

のんびり、ゆったり、構えている奈良。

私にとって、古都といえば、京都ではなく、奈良のこと。

1300年を期に盛り上がって欲しいという気もするが、

どうやって1300年をくぐり抜け、今ここにあるのだろうか、という素直な疑問で、

まずは、

頭の中の視界を解放しながら、時代と空間を俯瞰して思いを馳せてみることが、

奈良にたいするただしいアプローチのようにも思える。 

 

さて、今日は初詣。

大阪の南部、関空の玄関にあたる泉佐野市にある日根神社にお参り。

風もなく、暖かく、空も青い。

こころやすらかなお参りでした。

よき一年でありますように。

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謹賀新年 ばらんばらん

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みなさま、あけましておめでとうございます。

私の住む大阪では昨日より暖かになり、おだやかな元旦になりました。

2010年、伝耕は、今までのメンバーに加えてメンバーが1名加わり、ともに世間の荒波を越えます。

人様にとっては荒波でも、「おっと、いい波が来た!」と目を輝かせて海に駆けていくサーファーのような我らでありたいと思います。

1名加わって、4体のばらんばらん*、にてご挨拶。2名は関東、2名は関西に在住する、地域を越えた組み合わせです。

数字が偶数でも4でも、モノは考えよう、会社の所在地である「四天王寺」にちなんで「四天王そろい踏み」、鉄壁です(?!)。

本年も昨年同様、どうぞよろしくお願いいたします。

 *ばらんばらん:伝耕メンバーはそれぞれ自分の伝耕ロゴを持っている。「ばらんばらん」はそれぞれの伝耕ロゴが「ばらばらになっている状態」を指す。

この状態の意味するところは、それぞれの伝耕メンバーによって「耕された結果、相手が気持ちよくばらばらになっている」ことを表している。

で、この「ばらんばらん」は名刺の裏面に印刷してあるので、表面には、もちろん、ばらんばらんじゃないロゴが印刷してある。 

ちなみに、年賀状を差し上げた方には、ばらんばらんではない「伝耕ロゴ」が下記と同様に赤字に白抜きで掲載されております。

あわせてお楽しみ下さいませ!

→デザインは、某有名デザイン事務所所属、超忙しいのに無理くり伝耕がらみのお仕事を内緒で押しつけられているにもかかわらず本気でやってくださっている、Nさん(ゴメンね、今年もよろしく・ふふ)です。

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