ユニクロが60周年だそうな。
「わたしたちの感謝を、還元させていただきます。
ユニクロのリブタートルセーター全21色。
12/12(土)-12/18(金)7日間限定価格 690円」
すてきな色合いのグラデーションのセーターが新聞広告を彩る。
この広告を見たとき、いいようのない哀しさがこみあげてきた。
小銭入れの中身で買えるような価格で、こんなセーターを売る必要があるのか。
自分が欲しいと思う素敵な色のセーターを探す楽しみ、とか、
素敵なモノは探せたが、ちょっと手が出なくてお金をためようと我慢する楽しみとか、
妥協して買った別の商品に満足ができず、持ち越されてしまった楽しみとか、
「待ち」の間に経験するであろう「おあずけ感」を「不便感」と定義して一掃。
「解決されましたよ、ほら、690円で」。
690円で解決されるべき、何か特別な楽しみがこの後に用意されているのだろうか。
どんなレベルの楽しみを売り手は想定しているのだろうか。
今年の690円が、来年は特別価格で69円になっていたとしても、全ての人が驚くわけではあるまい。
むしろ、
価格と品質の天秤の有り様を大きく変え続ける彼らに対して、
その天秤を変え続け、究極的に我らの社会にどんな楽しみをもたらすつもりなのかと、
その根源を問う人を増やすだけだろう。
自分を含め、マーケティングだなんだと言って、肩で風を切っている・いた人達ですら、
この問いを今、自分に向けないでくれと願っているに違いない。
もしくは、未だ、問われている根源のあやうさに気づかず、
マーケティング視点のケーズスタディとして声高に論じようとする人がいるのであれば、
あえて、それに耳を傾けてみたい気もする。
そんなことを考えながら街を歩く。
洗練された商品とそれを手に入れる経験価値の双方を高め、ゆえにそれなりの価格を要求するデパートはがらがら。
その目と鼻の先にある、「DO IT BY YOURSELF」のための手芸材料の大規模小売店は、
完成品でもなく、洗練 されてもいない材料パーツを握りしめた人達がレジに並び、
690円より高いお金を支払っていた。
あまりにも簡単すぎる完成品消費から後ずさりして、わざわざ未完成なものを買い、未完成から完成に至る時間を取り戻そうとする人たち。
その時間をわざわざお金を出して買っている。
ユニクロの690円セーターを材料とし、わざわざそれ以上のお金を出して装飾パーツを買い、「自分なりの(?)690円セーター」にする人もいるのだろうな。
完成度の高いセーターが哀しくうつる、どこまでいっても哀しい姿である。
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