水曜テーマ:④-3たぶん誰も書かなかった市場調査

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最近、奈良散策と銘打ってゲストをお連れした吉田さんの話。

高天原(たかまがはら)の高間彦神社を歩いていたら、ふと見知らぬおじさんに声をかけられ、まるで、最近の話のようにその神社について語り出したそうな。

その神社の奥深くに潜む、蜘蛛塚の縁起は、「この土地には、手足の長い住民が住んでいたのだが、余所からやってきた自分たちが土地を奪ってしまった。その『蜘蛛のように』手足の長い原住民を鎮めるために『蜘蛛塚』を作った。」ことにある、と。

いつの時代の話?古墳時代である。

東京からいらしたゲストは、どう反応したものかと困惑されていた、とか。

さらに、このあたりの地名は葛城、それは蜘蛛のように手足の長い「土蜘蛛」を葛のつるの網で捕らえて殺したから、という由来があるらしい。

つまり武器としての「葛」の力で、作られた「城」が地名だと。 

一度しかない人生を封じ込めたという意識がある側の人間は、「鎮魂」によってその行為を昇華しようとし、その鎮魂の象徴が明示的であれば、時代を超えてつながる。

蜘蛛塚はきわめて明示的な象徴。

さらに、武器としての葛をかぶった地名がある以上、武功を示す地名と鎮魂の象徴が常にセットとして想起されるのかもしれない(ある欲を満たすことに紐づけられているブランド名とその象徴であるブランドロゴみたいに)。 

そういえば「土蜘蛛」という能があった。  

能という芸能がなぜこれほど長い間生き残ってきたのか。

それは、鎮魂が一つの重要なモチーフになっているからなのだろう、と思う。

第四話:その3 調査という芝居

①調査という芝居の中でのこと

インタビューでは話し手と聞き手の相互作用によって、いろいろなお話しが出てきます。聞き手の私としては、ふんふんと頷いているうちに、だんだん、話し手の感情や思考が乗り移ってくるような気がします。

これは、必ずしも気持ちいいことではないので、乗り移らないようにやればいいのですが、乗り移られることをよし、としないと、話や場が盛り上がらない。この身体感覚、分かる人には分かるでしょう。

乗り移る、乗り移られる、っていうのは、なんだかオカルトちっくですが、きれいめのことばで表現すると、「共感の磁場」を生成すること。

何が乗り移るか、というと、相手の「欲」。

これもきれいめのことばでいうと、ニーズとかウオンツとか言われるもの(うーん、この言葉、うすっぺらくて、だいっきらい)。

うまく「欲」の巣窟を探り当てたときは、インタビューは半ば成功。新しい商品やサービスについてのもとが詰まっているわけですから。

でも、探り当てただけでは、インタビューは「半ば成功」にしかならない。

それは、伝え方によっては、伝わらないことが半分はあるからです。 

②調査が終わった後の芝居

調査が終わると、結果をお伝えするために調査報告書なるものが書かれます。オフィスで読まれるわけですので、ワードとかパワーポイントなんかを使って図や文字でつくる

一応やりますが、残念極まりない感じ。「食べて出すだけの存在から、華美と理想を極める存在」まで分散と分裂だらけの人間の姿、そんな赤裸々な姿、オフィスで体裁良く読まれるような形式で伝わるわけはなく。

「人間の欲の塊をうまく書けるソフト」が欲しいくらい。

欲の巣窟を探り当てたとしても、「オフィス仕様」きれいめのことばで書かれると、全くピンとこない、伝わらない。

でも、「人間の欲の塊をうまく書ける」ソフトなんかで書いちゃうと、正しい納品物としてみなされないだろうな。 

なので、ご報告の際は、「一応作った」きれいめのコトバで書かれた調査報告書は読みません。

「欲の巣窟」に関するポイントについては、あのときあの場で、話し手がどう表現したか、を「再現」するように「小さなお芝居」としてお話しすることにしています。

きれいでむずかしいコトバを駆使するよりもよっぽど伝わります。

もちろん、そういうご報告が許されるクライアントさんだけ、にですが。 

あ、そうそう、商品や、サービスを買うことって、自分の欲に対する鎮魂なんですよね。

だから商売、というものが続くのでしょう。

「商」という字の字源をご存じな方には、ことさら納得されやすいですよね。

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