10年以上前に、永六輔氏が上梓した本「商人」。
商売の真髄満載だったっけ?と思って読み返してみた。
いや、そんなこと「だけ」はなかった。
曰く、
「不景気と言っていられなくなりました。
普景気です。」
10年前だって、そういえば不景気と騒がれていた。
「失われた10年」と称される頃。
なるほどね。
今回は「100年に1度の不景気」というキャッチらしいけれど、
グレードアップ(ダウン?)された不景気はこんなふうに表現するしかないのかしらね。
強力になった不景気だから、だれもが対応できなくても、ね、仕方ないよね、という赦しのためのフレーズでもある。
そういえば最近、成長を前提とした戦略を見直そう、なんて話がそこここから出ている。
グレードアップ不景気の最上級格が天井を突いてしまった。
今回は本当にこれが「普景気」と設定を変えた中での明日。
そうなんだけど。
この「普景気提唱者」が、成長の汁を吸いきった世代だったりする。
単に年取った自分に照らし合わせて、成長というありようが辛くなったんじゃないの、とか
これまで尽くした贅沢に飽きただけなんじゃないか、と下の世代は冷ややかに見ていることだろう。
ごもっともな意見にも思えるが、提唱者本人のぬくぬく状況を照らし合わせるとリアリティがない。
食い逃げじゃないの? 違うのなら、証拠を見せろよ、という冷たく光る目が無数に見える。
さらに、こんなことも書いてあった。
「マグロを喰いますね。
そのマグロを釣った漁師は金を受けとります。
運んだ奴も金をとります。
市場でも金が入りますよ。
われわれ板前も、料理をして金をいただくのが商売。
お客さんは喰うんだから別として...
マグロ自身は一銭もとっていない!
これが、どうも腑に落ちないんだ」
お客さんと自分と世間、それで三方よし、と言ったときに、
その世間とは何か?
「社会」。
では、
お金を請求しない「自然」は「社会」の中に入るのかそれ以外なのか、
このあたりの認識が最近とみに問われているような気がする。
無限に搾取できるものと想定しているものに対して、どうリターンすればいいのか、
自然からすれば、無限に増殖する「癌」のような人間。
明確に対価を請求しない相手からは搾取し続ける。
商売とは誰に対しての何の交換なのか?
交換のメディアとしてお金を発明した人間だが、
お金を発明したがゆえに、搾取され続ける対象。
そういうことばかりを集めて考察した本が読みたくなった。
どなたか、ご存じでしたら教えてください。
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