家に野生のランが一つだけある。植物を育てるのはあまり得意ではないが、山野に人知れず生息している野生のランというものを家で育ててみるとどうなるのか、ということが知りたかったので置いてみた。
どんな花が咲くかも知らない。これを求めるとき、どのぐらいの日を当てたらいいのか、どのぐらい水をやればいいのか、おおまかなことだけを聞き、おおまかに育て、ほぼ2ヶ月が経った。
まだ枯れてはいない。
ノウハウ本なんかに当たってみるということも考えてみたが、 それはやめてみた。
とりあえずじっと観察して、何か不調な兆しを見つけたら、
水をやるなり、日のあて方を変えるなり、
慣れないなりの試行錯誤もいいのではないかと。
自然は試行錯誤の数回は、可能性ある分散として、
この小さな植物の中にも折り込み済み、だと思う。
花が咲くときは、非常に小さいらしいが、濃厚な香りらしい。
たぶん、周囲のありとあらゆるにおいを封印してしまうほど濃厚な香りなのだろう。
第四話:その1 調査と類推
①得られた結果の読み取りと体験
たとえば質的調査で語られたことについての解釈についてはある意味で無限の可能性があります。それを規定するのは、その内容が、どのような人がどのような状況でどういう気分の時にそれを語ったのかという文脈。同様のことが量的調査の自由回答についても言えることです。調査の解釈で問われるのは、語った内容そのものではなく、それが語られた内容の文脈の理解のレベル。文脈を理解するには、少なくともその商品やサービスが供される文脈を自分ですくなくとも一例は再現できなくてはなりません。つまり、ある人が、いつ、どこで、どんなときに、どんな気持ちで使ったか、そしてそれについてどう思ったかということについて、語れないといけない。「ある人」とは、もちろろん自分自身のことです。
最近、驚かされるのは、そのプロジェクトの担当者が対象商品やサービスをきちんと使ったことがないケースが多いことです。商品やサービスを1人の顧客になりきって使ったことがない人が、「給与と交換される仕事」の範囲で調査の主担当になっておられる。特殊なケースかなと見過ごしたのが3~4年前、えーっと普通にそうなのかもと思い始めたのが、ここ2年ほど。マーケティングの手法については詳しいけれど、「顧客になりきって自分が出している商品やサービスを体験する機会を身銭を払って経験していない」。
主観的な意見だけではもちろんバイアスがかかることは承知の上で、誰も気づいていない主観の共通項が「インサイト」と呼ばれ、それを見つけて施策に活かすということがマーケティングの基本、だとすれば、自分で経験してみることで、自分の主観の中身についてよく認識すべきなのではないかと思いますがいかがでしょうか。自分が関わっている商品やサービスについての使用レポートを、担当になった時点で書くということは必須だと思いますが、最近ではそんなこと徹底されていないのかもしれません。こんなこと、MBA風の教科書にはベタなこととして書かれていないのでしょう。何か、横文字の手法や新しい手法をたくさん使って、かっこよく結果を出したい、という人が増えており、それ以外はしないという人が主流になりつつあるような気がしています。
自分が経験した文脈をきちんと持っていない人が、単に仕事だからといって担当の商品やサービスの調査をし、その結果だけをもとにして何か新しい洞察のもとにすばらしいプランができる?
私はそう思いません。仮説作りの基本は自分の感覚と世間で言われていることの落差にあると思っています。
②表現されたことの真偽とホンネの堀り場所、ホンネの階層
タテマエがあって、ホンネがある。私の感覚では、タテマエとホンネって荒っぽい表現だと思います。言葉上ではそれぞれ一つづつしかないと思いますが、タテマエは2つぐらい、ホンネはタテマエよりももっと多くて人によっては何段階もあったり。それは別段不思議なことではありません。もう少し言うと、ホンネは状況適応的に変わる。生き物としてはその場その場の適応が出来た方が生き延びる確率が上がるからでしょう。また、状況と言っても、好ましい状況については、それがずっと続けばいいというものではないので、自ずと閾値がある。つまり、ホンネの数はその人が好む状況の数ほどあり、状況に対応するホンネの適応範囲はその状況が好ましいと思える閾値によって決まる、と言えるのではないかと思います。
飲食する好きな場所について聞いてみたとして、①新世界で串カツを食べるのも良し、②芦屋でお茶するのも良し、③中目黒のレストランもいいよね、という回答が出たとする。でもどれもずっと続くとイヤ。人間は気移りし、あちこちと気分が飛ぶものだと。そこまで?ちょっと浅すぎますよね。この例なら、①新世界=ベタ風、②芦屋=セレブ風、③中目黒=トレンド風とざっくり分けたとして、さて、なぜ、3つが必要なのでしょう?と考えてみたとする。思いついたら、もう一つ下のホンネに近づけるかもしれませんね。例えば、いろいろな「風」を使いわけることが、自分の世界の広さを確認でき、先ほど3つは重なりがなくて網羅感がありそうに思えるから、というホンネが類推され、さらに、それってどうしてでしょうね、と掘ってみると、そういうことを経験することは今の状態の私にしかできないから、なんていうホンネがまた類推され、ここまでで止めてみたら、「いろいろな場所を使い分けること自体が自分の効力感と刹那感の表れである」なーんて要約できるかもしれません。
だからといって、これをどう使うか?もちろんその結果を使うテーマによりますよね。深いホンネを掘ったからと行って、あなたのプロジェクトに使えるとは限らないでしょう。たとえば、フリーペーパーを刊行していて特集記事を考えているのなら、読者ターゲット設定として先ほどの例を使って、「いろいろな飲食場所を使い分けることで自分の効力感と刹那感を解消したい人」と設定してみるといろいろアイデアも出てくるのかもしれません。でも、あなたがしなければいけないのがベタ風な地域にある飲食店のメニュー開発だったら、先ほどのようなところまでホンネを掘るのは掘りすぎで、堀場所も具体的なメニューについての類推が必要だったので適切ではなかったですね。
ホンネの堀場所とホンネの階層、量的調査であれ、質的調査であれ、ここを間違え続けると調査自体があまり使えないものになってしまいます。
でも試行錯誤は必要。間違えても、人間という面白い生き物の一面が見えるわけなので、良しとしましょう。思ってもみない花が咲くように、何かが立ち上ってくるかもしれません。私自身、本当にたくさんの市井の人たちの話を聞いてきて、やっぱり、人間って面白い、と思いますから。
今日はアップの時刻が遅くなってスミマセン。
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